第24話 武家の娘
悠蘭がしばらく歩いて六波羅御所へ近づくと門の前に見知った人物が腕を組みながら立っていた。
まだ意識が戻らない菊夏を抱えながら、悠蘭は声をかける。
「——鬼灯様」
「悠蘭ではないか」
鬼灯は悠蘭が抱えている菊夏の存在に気がつくと血相を変えて駆け寄って来た。
「……菊夏っ!」
意識のない姪と悠蘭の顔を交互に見合わせ、鬼灯は眉間に皺を寄せた。
悠蘭はそんな混乱した様子の鬼灯に菊夏を預けると、深く頭を下げた。
絞り出すように声を発する。
「申し訳ありません、鬼灯様。彼女が北条家の方だとは知らず……」
「……なぜお前が菊夏を?」
「彼女は気を失っているだけで、見たところ外傷はありませんのでご安心ください。それでは俺はこれで——」
「待て」
顔を伏せたまま立ち去ろうとする悠蘭を鬼灯は引き留めた。
「菊夏を抱えて歩いて来たのだから疲れているだろう? 少し休んで行かぬか」
「え?」
「ついて来るがよい」
動揺する悠蘭をよそに鬼灯は半ば強引に邸の中へ彼を招き入れた。
有無を言わさず中へ入っていった鬼灯を追いかけるように悠蘭は門を潜った。
六波羅門が閉じられた頃にはすでに空が赤く染まっていた。
中に入ると悠蘭は鬼灯に案内された部屋に入った。
書院造りの邸に入るのはこれが初めてのことだったが、自分の住まいである寝殿造りの邸とはまったく違う様式の室内に悠蘭は目を泳がせた。
菊夏を別室に寝かせに行った鬼灯が戻るまで悠蘭は入って来た襖を背に正座した。
畳が敷き詰められた部屋にはい草の香りが漂っている。
間もなく戻って来た鬼灯が床の間を背に膝を折ると悠蘭は緊張した面持ちで鬼灯に向かい合った。
考えてみれば、鬼灯と一対一で差向うのはこれが初めてのことだった。
兄、月華の師匠であり上司であるこの鎌倉の武将とは、半年前の事件がなければ一生会うことはなかっただろう。
「何があったのだ」
鬼灯の問いに悠蘭は固唾を呑んで答えた。
「……よくはわかりません。気がついたら彼女が倒れていて——」
悪霊祭でのこと、楓が話していたことなど、悠蘭は包み隠さずすべてを鬼灯に話した。
彼は特に顔色を変えることなく終始黙って話を聞いていたが、悠蘭は居たたまれなかった。
なぜ菊夏が悪霊祭を見たいと楓に申し出たのかはわからないが、もしかしたら今朝、偶然甘味処で再会した際に自分が陰陽師だと言ったからではないのか、と思ってしまう。
もしあの時、余計な話をせずにすぐに別れていれば彼女をこんな危険な目に遭わせることもなかったのではないか。
自分を責めずにはいられない悠蘭の様子を汲み取ってか、鬼灯は優しく言った。
「悠蘭——お前は菊夏のことをどう思っているのだ」
突然の問いに、悠蘭は俯いていた顔を急に上げた。
「ど、どうって……何を突然……」
「先ほどからお前は泣きそうな顔をしている」
恥ずかしさで湯気が出てくるのではないかと思うほど熱を帯びた顔を背けながらも内心ではそれを肯定している自分がいた。
これまで感じたことがない喜びや怒りが湧いてくるのは、きっと彼女のことが気になって仕方がないからなのだろう。
自分でも制御できず、自分でもわからない感情がいつの間にか芽生えていた。
「やはりお前たちは兄弟だな。まるで月華を見ているようだ」
「兄上を?」
「百合殿が土御門に攫われた時の月華も今のお前と全く同じ表情をしていた」
「…………」
「自分の力が及ばなかったと後悔しているのか」
「……かもしれません。俺と知り合わなければ彼女はこんな危険な目に合うこともなかったかもしれない」
「——菊夏のことを好いてくれているのだな、悠蘭」
その言葉に、悠蘭ははっとした。
これまで考えたこともなかった。
菊夏とは知り合ってまだ日も浅く、彼女のすべてを知っているわけではない。
だが、ことあるごとに菊夏の存在が気にかかるようになり、気がつくと自分の中で彼女の存在が大きくなっていた。
「……はい」
もうごまかすことはできない。
たった2回しか逢ったことがない相手でも好きになってしまったことは認めるしかなかった。
「ですが、鬼灯様。俺は彼女にまだ名乗ってもいない……無礼なやつなんです」
「ふむ、そうらしいな」
「……えっ?」
「お前たち、今朝も逢っていただろう」
「逢っていたというか、偶然遇ったんです。みつ屋という甘味処のあんみつを義姉上への土産にしようと寄ったら彼女がいて——」
「戻ってから菊夏もお前の話をしていた。名無しの権兵衛と呼ばれているらしいな」
「それは……名乗る機会を失ってしまいまして。気がついたら彼女がそのように俺のことを呼んでいて……」
俯く悠蘭に、鬼灯は不敵に笑いながら続けた。
「もしかして昨日、鳥兜を触ろうとしたあれに注意したというのもお前ではないのか?」
「……はい、その通りです。紅蓮寺での修業の帰りに京都御所へ向かっていたら、彼女が素手で触ろうとしていたので思わず声をかけてしまいました」
「確かに菊夏は不機嫌な様子で戻ったが、おかげで命拾いした。私の大事な姪が2度も世話になったな。礼を言う、悠蘭」
鬼灯は長い髪を垂らしながら悠蘭に向かって頭を下げた。
彼は慌てて制止する。
「おやめください、鬼灯様」
「——悠蘭、折り入って頼みたいことがあるのだが聞いてくれるか」
「はい、何でもおっしゃってください。俺にできることなら何でもしますから。兄上の恩人で皐英様の最期を看取って下さった鬼灯様に頭を下げさせたなんて知れたら、俺はふたりから叱られてしまいますよ」
「そうか。それはありがたい。では悠蘭、菊夏をお前の妻にしてはくれぬか」
「はい、いいですよ。俺にできることなら何でも。妻にすればいいんですね……妻に……妻に……つ、妻にっ!?」
何も考えずに素直に受け入れたつもりが、復唱しているうちにとんでもない申し入れだったことに気がついた悠蘭は、ひっくり返りながら最後のひと言は叫んでいた。
「そうだ。お前が菊夏を好いているのなら問題なかろう」
「い、いや、でもそんなこと勝手に……彼女は無礼な俺のことを嫌いだと思いますのでっ」
「大丈夫だ、あれもお前のことを好いている」
「そ、そんなこと、本人に訊いてみなければわからないのでは!?」
鬼灯はじっと悠蘭の目を見ていたが、彼は困惑して目を泳がせていた。
「き、鬼灯様、そ、その話は彼女が目を覚ましてから改めてにしませんかっ。今日のところは俺も祭祀の後片づけがありますので、これで失礼します!」
「ああ、よかろう。だが、菊夏が望めば妻にしてくれるか」
「…………考えておきます」
悠蘭は考えてもみなかったことを打診され、頭を抱えながら鬼灯の書院を後にした。
六波羅を出ると、明るい満月が見えていた。
悠蘭は月を眺めながら大きくため息をつく。
これまでずっと兄の月華が突然、妻を迎えたことを不思議に思っていた。
多くの公家の者は家同士が決めた相手と婚姻し、夫婦となっていると聞く。
だが自分の周りにはそんな者は誰もいない。
兄は自ら見つけた相手と誰にも知らせず婚姻した。
あの仕事の虫だった中務少輔でさえ、すべての見合いを断っていたと聞くが自ら選んだ相手と夫婦になろうとしている。
家が決めた相手でなくとも妻として迎えていいものだろうか。
まして菊夏は武家の娘。
考えるだけで頭が痛くなることばかりだったが、ひとつだけ明らかなことがある。
それは、自分と似たような境遇に育ってきた菊夏しか、自分を理解してくれる人はいないということだ。
再び月を見上げ息を吐くと、後ろからその肩を叩きながら声をかけられた。
「何を悩んでるんだ?」
近づいて来た久我紫苑の顔がおぼろげに月明りに浮かび上がり、驚いた悠蘭は腰を抜かすところだった。
「お、脅かさないでくださいよ、紫苑さん」
「いつになく悩める少年の面してたから、からかわずにはいられなかったんだ。悪かったよ、脅かして。で、何か悩みでもあるのか」
「ちょっと……いろいろとありまして」
「へぇ。まあいい、お前も来い。お前の悩みも俺と月華が聞いてやるから」
紫苑は半ば強引に悠蘭の袖を引っ張りながら歩き出した。
「えっ……ち、ちょっと紫苑さん、どこに行くんですか」
「どこって西園寺邸だ。李桜が椿殿と仲たがいしたみたいで落ち込んでるらしいんだ。月華が酒を持って来いってわざわざ俺を呼びに来たんだよ」
「い、いや俺は悪霊祭の後片付けがあるので御所に戻らないと……」
「それならもう片付いてたぞ」
「片付いていた?」
「ああ。李桜の同僚の今出川楓がお前の部下を手伝ってすべてきれいに終わらせてた。だから問題ないだろ。さあ、お前の悩みも残さず吐き出してもらうから覚悟しろ」
怒りに任せてひどいことを言ったのにも関わらず楓が後処理を手伝ってくれたとの話に悠蘭は深く反省したが、同時に紫苑の申し出を断る理由がなくなり肩を落としたのだった。




