第15話 真実は何処
紅蓮寺で思わぬ苦行を強いられることになった月華は日が真上に来る頃に九条邸へ戻った。
仏像の掃除までさせられ自分から言い出したことであるものの、余計なことを申し出てしまったと多少後悔の念が残った。
肩を軽く回しながら華蘭庵へ向かう。
入口に辿り着くと、中から談笑する百合の声が聞こえてきた。
誰かと話をしているらしい。
聞こえてくる楽しそうな百合の笑い声に眉を潜めながら月華は襖を勢いよく開いた。
そこには見知った友人が鎮座していた。
「月華、どこに行ってたの。待ちくたびれたよ」
百合と向かい合って話をする友人の西園寺李桜を見て、月華は目を丸くした。
畳の上に置かれた文机の上に、どこから持ち込んだのか山のように積まれた書物が並べられ、その前には浅黄色の朝服を纏った李桜が目にくまを作り青白い顔で正座している。
「李桜……どうしたんだ、その顔」
「ああ、これのこと?」
李桜は目の下あたりを触りながら苦笑いしていた。
「昨日、月華と別れた後に邸へ帰ったんだけど、何となく居づらくてさ。結局、すぐに邸を出て御所へ行ったんだ」
「お前、徹夜で仕事をしていたのか」
「別に誰かに迷惑をかけてるわけじゃないんだら、問題ないでしょ。何かしてないと考えこんじゃうから仕事がはかどって、むしろ良かったよ」
「だが、このままというわけにもいかないだろう?」
「今夜は帰るよ。でも話をできるかどうかはわからないけどね」
月華は呆れて言葉も出なかった。
とっとと話し合いの場を持つなり謝るなりしてしまえばいいのに、と思いながらもどうするかは李桜が決めることである。
月華は見守る他なかった。
内容がわからない百合はふたりの会話をきょとんとしながら聞いていたが、李桜の顔を覗きながら言った。
「李桜様、何かあったのですか」
突然の問いに李桜は狼狽えながら答えた。
「え? な、何もないよ、百合殿。ねぇ、月華?」
椿と仲の良い百合に対し昨日の自分の所業を暴露することなど、できるはずもなかった。
李桜は助け舟を求めるように月華を見る。
月華はしかたなく頷き、同意した後、話題を変えることで李桜を助けることにした。
「ところで李桜……まさかとは思うが、昨晩言っていたとおり俺に仕事を手伝わせるつもりなのか?」
「ご名答。相変わらず冴えてるね……とは言っても、本当に書類仕事を手伝ってもらおうと思ってるわけじゃないよ」
李桜の隣でくすくすと笑いを堪える百合に困り顔を見せながら、月華は腰に差した刀をそばに立てかけ仕方なく文机の前に腰掛けた。
「で、何をさせようって言うんだ」
「例の犯人像を探ろうと思う」
李桜は積まれた書物の山の上から1冊を取ると月華に差し出した。
「犯人は誰かを探してるんじゃないかと思うんだ」
「探しているって誰を?」
「そんなこと僕にもわからないよ。でも、無差別に殺しているようで狙っているのは美人ばかり。ひょっとして犯人は殺したいほど相手を憎んでいるのに、相手の顔を知らないんじゃないかと思うんだよね」
「顔を知らない相手なのに憎いのか?」
「そこがいまいち繋がらなくて謎なんだけどね」
李桜は自分も書物を手に取るとぱらぱらと開いた。
「しかも毒を使っていることも引っかかる。月華、毒で相手を殺そうとする時ってどんな時だと思う?」
「毒に精通しているからとか、毒を入手しやすい立場にあるとかだろうな。非力で自分では直接手を下せないからっていうこともあり得るかもしれない」
「まだ、もうひとつ理由があるでしょ」
「もうひとつ……?」
「相手が苦しむ様子を見たいから、っていうこともあると思わない?」
「……だとしたら相当な恨みがあるということだろうな」
月華は李桜から差し出された書物を開いた。
そこには一連の事件に関する記録が記されている。
文机を挟んで向かい合う李桜も手に取った書物に目を通しながら呟いた。
「事件が始まったのはちょうど半年ほど前。その頃、京では大きな事件があった。その事件に関係した人物だとしたら、恨みが深いことも十分あり得るよね」
はっとして顔を上げた月華だったがすぐに訝しげに李桜へ詰め寄った。
「だが、あの事件に関わったのは俺たちと近しい者たちだ。その中にこんなことをする者がいると思うか?」
「そうは言ってない。でも僕たちはあの事件のすべてを知ってるわけじゃない」
「どういう意味だ」
月華は目を通していた書物を文机に投げ出すと頬杖をついて李桜を睨みつけた。
半年前に当時の左大臣の乱を治めた当事者である自分たちが何よりも一番、事件をわかっているはずだと疑わなかった月華にとって、李桜が言わんとしていることは理解することができなかった。
「だってよく考えてみたらおかしいことだらけじゃないか。柿人様はどうやって輪廻の華のことを知ったの?」
「それは……父上と同じで奥州へ行った際に聞きつけたんじゃないのか。椿殿だって言ってたじゃないか。近衛家当主に連れられて奥州へ行った時に百合と知り合ったと」
「じゃあ、その百合殿が近江の紅蓮寺にいるってどうしてわかったの?」
「それは……土御門に探させたんじゃないのか」
「土御門皐英って何者? どこから来たの? あいつに関する記録は朝廷の書庫にも残ってない。でもあいつを土御門家に連れてきたのは柿人様だよ」
「…………」
「柿人様は輪廻の華を手に入れ、呪術を使える陰陽頭を手に入れたからことに及んだんだろうけど、なぜ今だったの? 百合殿のことを知り得たのが奥州でなのだとしたらもう10年くらい前の話だよね。陰陽頭が土御門家の養子になった時期は知らないけど、僕が朝廷に仕えるようになった時にはすでにあいつは陰陽寮にいた——っていうことはもう5年も前から皐英の存在を知っていたことになる」
「李桜……何が言いたいんだ」
「だからあの事件は柿人様が起こした事件だけど、その後ろで糸を引いてる黒幕が他にいるんじゃないかって思うんだよ。それが今回の犯人と直接関係があるのかはわからないけど……あの事件はまだ終わってないのかもしれない」
それまで口を挟むことがなかった百合は事件のことを思い出したのか膝の上で拳を強く握りしめていた。
月華はその手を優しく包み込むと大きく頷いた。
百合が少し安心したように表情を緩める様子を見て、それまで対岸の火事だと思っていた今回の件が、急に身近に迫ってきたように感じていた。
「心配ない。俺とこの九条家が全力で百合を守る」
「ごめん、百合殿。嫌なことを思い出させたよね」
「いえ……私には月華様がいてくださるので大丈夫です」
李桜は見つめ合うふたりの様子を見て少し羨ましい気持ちが沸いていた。
もし自分と椿が同じような境遇に遭ったら、こうして互いを信頼し合えるのだろうか。
椿は百合のように自分を信じてくれるのだろうか。
そんなことを考えている李桜に向かって月華は言った。
「もし李桜が考えている通りだとすると、西国に何かあるのかもしれない」
「西国……?」
「ああ。鬼灯様が言っていたんだ。近衛家に踏み込んだ時、西国へ向けた密書を持った使いがいたってな。今回の毒殺事件の犯人も、もしかしたら西国に関わりある者かもしれない」
そう言うと月華は急に立ち上がった。
立てかけてある刀を手に取ると、百合の頭を軽く撫でて部屋の入口へ向かった。
「月華、どこへ行くの」
「ちょっと西国の様子を探って来る」
「……えっ!? 今から?」
「京の事件に関しては幕府に関わりあることでもないし傍観しているつもりだったが、ことの発端が半年前の事件にあったのなら無関係というわけにもいかないだろう。もし黒幕とやらが目論んでいる目的が達成されていないのなら、まだまだ犠牲者は増えることになるかもしれないし、倒幕を諦めていないのかもしれない」
「そんな……」
「百合、一晩留守にするが後は頼む」
襖に手をかけて振り向いた月華に力強く頷いた百合は微笑んで夫を見送った。
華蘭庵に百合とともに取り残された李桜は居心地悪そうにして山積みになった書物を、広げた風呂敷に包み始めた。
「李桜様、もう行かれるのですか」
「ごめんね、百合殿。せっかく月華が京に戻って来たのにふたりの時間を奪ってしまったようなものだよね」
「お気になさらず。月華様は私たちのために旅立たれたのですから。きっと何かを掴んで戻られますよ」
李桜は百合の言葉に救われ、目を伏せた。
そんな李桜に百合は心配そうに言った。
「それよりも先ほどの話ですが……」
「黒幕がいるっていう話?」
「それも気になりますが、私は毒殺犯が誰かを探しているということの方が気になります」
「どういうこと?」
「もしあの事件に関わった方が何かの恨みを持っているのなら椿も危険なのでは?」
虚を突かれたように李桜は目を丸くした。
百合は構わず続ける。
「椿がこれまでどのように噂されてきたかはご存じでしょう。絶世の美女と言われてきた椿を狙っているのなら、美人ばかりが狙われていることも頷けます。近衛家のせいで責めを負うことになった家があるとすれば、もう近衛家当主は刑に処されてこの世にいないのですから、代わりにその血筋である三の姫に矛先を向けても不思議はないのではないですか」
「狙われているのは椿殿だってこと……? 確かに美人が狙われてるっていうから気をつけてはいるつもりだけど」
「椿はずっと近衛家の中に閉じ込められていたようなものでした。その顔はほとんど知られていません」
百合の言葉に李桜は急に背筋が凍るような寒気を覚えた。
確かに自分も半年前の事件が起こるまで三の姫と接点を持つことなどあり得なかった。
朝廷の中で土御門皐英だけが唯一、椿の顔を間近で見ることを許されていたと言っても過言ではない。
「李桜様、どうか椿から目を離さないでください。あの子にはもう守ってくれる家はありません。椿を守ってくれるのは李桜様以外にはいないのです」
李桜は百合をまじまじと見つめた。
確かに百合の言うとおり、他に椿を守れる者などいるはずもない。
だが今の自分にその資格があるのだろうか。
彼女の信頼を失ってしまった自分に。
「本当に椿殿にとって僕は必要なのかな……」
「……えっ?」
「いや、何でもないよ。椿殿のことは任せて。それじゃあ百合殿、またね」
椿との関係が今後どうなってしまうのかはさておき、狙われているかもしれない彼女のことを守ることは当然のことだ。
だが後ろめたい気持ちがあるのも事実である。
そんな葛藤を抱えて俯いたまま書物を収めた風呂敷を抱えると、李桜は百合と目を合わせることなく華蘭庵を出た。




