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 吾妻は潜水艦を血祭りにあげながら、アダマン諸島への物資輸送を続けた。

 しかし戦局は好転しない。

 五月七日。ドイツ大統領カール・デーニッツが無条件降伏の書類にサインした。ナチスドイツが滅亡。

 五月一六日、目障りな吾妻を沈めるため、イギリスは駆逐艦四隻をアダマン諸島へ送り込む。しかし吾妻の活躍を羨んだ重巡洋艦羽黒が一緒に行動していたため、返り討ちにあってイギリス駆逐艦四隻は全て漁礁となる。

 六月二〇日、シンガポールから運び出せる物資がタイ産の米程度になったことで、シンガポールに残存する艦艇の仕事は終わる。

 イギリスも、降伏目前の日本と戦って損害を出すのも馬鹿馬鹿しいと、アダマン諸島の封鎖を止めた。


 本土への空襲はますます激化し、海岸部の重工業都市は艦砲射撃を受けるまでになる。

 それでも日本が戦い続けたのは、米軍の残虐行為と日本の継戦を煽る、朝日新聞を始めとするマスコミのせいで、世論が『戦争の継続』を望んだからだった。

 軍部と政府は降伏に傾いていたが、世論の反発を恐れてそれを言い出せなかった。七月二六日のポツダム宣言が無視されたのも、そのためだった。

 なお太平洋戦争どころか日中戦争の始まりから、天皇陛下が原則的に戦争を行うことに反対し続けていたことは、日本どころか連合国にも無視されている。


 とうとう。

 八月六日、広島に。

 八月九日、長崎に。

 『新型爆弾』原子爆弾が投下され。日本軍と政府は『世論を忖度している場合ではない』とポツダム宣言の受諾を決意。

 これは八月八日にソビエトが日ソ中立条約を破棄したことも、判断材料としては大きい。


 八月一〇日、日本は連合国にポツダム宣言の受諾を打電するも、正式な文書ではないため連合国はこれを無視。ソビエトの勢いは止まらず。

 一四日、日本は第三国を通してポツダム宣言の受諾を通告。

 一五日正午、ラジオから玉音放送が流れ、本土における戦争はだいたい終わった。


 しかし、シンガポールを中心とする南方軍はそれに反発。戦闘を続ける。

 一六日、ソビエトが南樺太へ侵攻。この時には本土への疎開船も出港し始めたが、ソビエトはそれを優先的に狙った。独ソ戦の傷を癒すための奴隷と物資を、ソビエトは求めていた。

 一七日、皇族の勅旨があったことで南方軍も停戦に応じる。インドネシアにて独立戦争が勃発。

 なお、勅旨後の中華の日本人は、軍人も民間人も逃げ遅れたモノは殺されるか奴隷となった。一族郎党皆殺しを避けるために女性や子供を『売る』光景も普通に見られた。

 一八日、ソビエトが千島列島は占守島に侵攻。

 二一日、占守島の日ソ軍は停戦するも、ソビエトは千島列島への侵攻を止めなかった。

 二二日未明、樺太における日ソ停戦合意。

 二六日、満州での戦闘が終わる。

 三〇日。やーっと連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーが横浜に到着する。

 九月二日、東京湾上の米戦艦ミズーリの甲板上にて、日本の降伏文書が調印される。これをもって、太平洋戦争の戦闘は終結した。

 しかし降伏文書の調印後も、満州・中華・千島列島・樺太に残る日本人をソビエトは『奴隷狩り』した。これは明確なポツダム宣言違反であったが、連合国は言葉で苦情を訴えるだけで制裁を加えたりしなかった。

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