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 ベラ湾で第四駆逐隊が血祭りにあげられている、なんて知らなかった吾妻は、第四駆逐隊からはぐれて以降最大船速を取り続けたこともあって、八月六日深夜にはコロンバンガラ島に到着。

「急げ!」

 米軍の襲撃を恐れた守備隊と山野艦長に急かされて。夜間シフトの面々は必死に物資と陸兵を陸揚げする。

 七日の夜明け前には全物資の陸揚げを完了し、そのままコロンバンガラ島を離れた。


 幸運だったのは、米海軍のムースブラッガー艦隊が『まさかそんなに早く揚陸が終わる訳もないし、そこまで帰路を急がないだろう』と考えていたことだろう。

 なお、山野艦長が陸揚げを急がせたのは、陸揚げをしていた場所の水深が浅く、仮に攻撃を受けたら艦が沈むことなく座礁するからだ。こいつ本当にブレない。

 吾妻は、翌七日の一三時半にラバウルに帰投。

 ブイン輸送を終えた川内と合流した時雨がラバウルに帰投したのは、一四時半のことだった。




 ラバウルにて第四駆逐隊の末路を聞いた山野艦長は、それはもう落ち込んだ。

(溺死出来るところだったのに!)

 しかし、それを見た吾妻乗員は全く別の印象を受けた。

(艦長は戦えなかったことを悔いておられる!)

 自分達の不甲斐なさによって第四駆逐隊とはぐれてしまったと、乗員室は奮起した。


 ラバウルの指令部は、全く異なる印象を受けた。

「吾妻は使い物にならんな」

 夜間とはいえ、隊列を組めない艦艇など百害あって一利なし。そう判断した連合艦隊指令部は、吾妻をブルネイ―呉間の物資輸送に宛てることにした。

 呉で燃料庫に石炭を満載し、大小の貨物庫に様々な軍需物資を載せてブルネイに行き。

 ブルネイで大貨物庫にドラム缶入り重油を、小貨物庫にゴムを満載して呉に行く。

 吾妻は1943年八月二〇日にブルネイに着任してから、吾妻はひたすらに、たったそれだけの航海を続けた。

 吾妻乗員はベラ湾夜戦に参加出来なかった屈辱を晴らすべく、一回一回の航海を真剣に行った。

 単艦としての航行と戦闘の練度は磨かれ、米軍と当たれる程度にまでなった。


 しかし戦況は待ってくれない。

 九月八日、枢軸の一角たるイタリアが連合国に降伏。

 九月一七日、ニューギニアの要衝ラエが陥落。連合軍に占領される。

 一〇月二一日、学徒出陣が始まる。


 一一月四日の呉からブルネイの航行途上。吾妻は潜水艦からと見られる雷撃を受けるも、何もしなかったにも関わらず逸れたため被害はなかった。

 吾妻は山野艦長がワガママで作らせた対潜兵器『山嵐』を使い反撃するも、逃走を優先したためか被害を与えられなかった。

 なお、この時『即逃走』を選んだのは、山野艦長の『逃げる時が危ない』という中途半端な前世知識のせいである。


 一一月一日、ブーケンビル島沖海戦。日本軍敗北。

 一一月末、ギルバート諸島沖における航空戦に日本は敗北。マキン島・タラワ島に米軍が上陸。日本軍守備隊は玉砕する。

 一一月二四日、ブカ沖夜戦で輸送隊が壊滅的打撃を受ける。鼠輸送の終焉。

 一一月二五日、台湾の新竹の日本軍基地が米軍・中華民国軍の空襲を受け、基地は被害を受けるも米軍に被害ほぼなし。

 太平洋戦線はますます追い込まれ、1944年二月一七日にはとうとうトラック島が空襲を受ける。


 1944年二月二〇日、呉からブルネイの航路上で、またしても潜水艦から吾妻は雷撃を受ける。

 吾妻は雷撃の方向である左舷に舵を切り、『山嵐』で反撃後逃走。潜水艦による追撃はなし。


 六月一五日、米軍がサイパンに上陸。米軍は疎開船をそれと知りながら血祭りにあげ。

 その情報を知ってしまった日系民間人達は米軍に降伏することが出来ず。更に負傷者しかいない野戦病院を取り囲んで歩兵の火炎放射機で焼き殺すなど、米国が批准していた国際法を無視した残虐な戦闘か繰り広げられた。

 これは朝日新聞等日本の大手マスコミが戦前から報道し続けた米軍の姿そのものであったため、日系民間人は集団自決の道を選ぶしかなかった。米軍に降伏すれば拷問されることが確定したからだ。

 なお、米軍が日系民間人が大勢いる島に上陸したのはこれが初だが、朝日新聞がどこから・戦前のうちに米軍の鬼畜の所業の情報を入手したのかは謎である。

 ともかく、七月七日にサイパンの日本軍は玉砕したが、少なくとも一万人の日本人民間人が自決もしくは米軍に殺害された。


 時は遡って六月一六日、日本の重工業地帯である八幡が、中国から進出した米軍による空襲を受ける。明らかに製鉄所を狙った空襲だったが、被害は民間人の住む市街地の方が酷かった。

 六月一九日、マリアナ沖海戦。日本軍は大鳳・翔鶴・飛鷹の三隻の空母を損失する。これにより日本は西太平洋の制海権・制空権を失う。

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