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手作りドールチェア×英国紳士


新品の、大きなランドセルをかぽかぽと揺らしながら、小学校に入学したばかりの少年は、母に手を引かれて、その店へとやって来た。

「よろしくお願いいたします」と頭を下げる母の手を掴んだまま、キョロキョロと当たりを見回す。


「……あ…」


吊られたヘデラの鉢の中にいる彼を見つけて、その子は、小さく声をたてた。


「どうしたの?」

「………なんでもない…」


彼が見える自分は、おかしい、らしい。

普通ではないのだと、友達が教えてくれた。

だからだろうか。

自分は母に、彼らのことを隠している。

そして隠している自分と同じように、彼らはいつでも、どこかに隠れている。






(………アイツらも、じぶんのこと『おかしい』って、思ってるのかな……)


だから、隠れてるのかな。

でも、それは。

なんか、ちょっと。





モヤモヤとした気持ちの少年は、この十日(とうか)後、今度は独りで、その店へとやってきた。

料理を待っている時に、給仕を担当する彼女にソレ(・・)を渡した。


「お店に飾っていいの?」

「はい、使ってくれたら(・・・・・・・)うれしいです(・・・・・・)






◆◇◆◇◆



テレビでレトロブームなんて言葉を聴くようになる以前から、そのレトロな店は空根の家の近所に存在している。





『喫茶店カンロ』





駅前のアーケード街の一番端にある最古の店舗。

丁寧に植えられて季節の花がいつでも咲いているプランターが置かれた、出窓のあるドールハウスのように愛らしい、洋風の家。

所々、白い塗料が剥落した木造で、小豆色の屋根の片側半分を覆い隠すほどに、アイビーが延びている。

だがしかし、元々は進駐軍が通うバーとして、戦後すぐに建てられた。

可愛い外観とは裏腹に、来歴は案外と骨太である。





空根が小学生の頃、両親が仕事で不在の時は『カンロさんのところで待っててね』と言われるのがお約束。

いつもカウンター席で、浮いた脚をプラプラと揺らしながら、シロップ漬けのチェリーが乗ったメロンソーダなどを飲んでいた。

中学生になって家の鍵を持つようになってから、来店頻度はずいぶん減ったが、月に一度、こうして店へとやって来る。

空根は葡萄模様のステンドグラスの小窓が嵌め込まれたドアを手前に引いた。

白いペンキか所々剥げた、少し草臥れたドアを引くとドアベルの音が軽やかに響く。


カラ、コロロン、カラン。


その音に反応して、白いチュニックに焦茶色の無地のエプロンというシンプルな装いの妙齢の女性が小走りで奥から出てきた。

給仕担当の甘楽(かんら)婦人は、常連からは親しみを込めて『おばちゃん』と呼ばれている。

だが昨年、古希のお祝いの言葉が町内紙に載った彼女は、すでに自分のことを、おばあちゃんと呼んでいた。

料理は全て厨房担当の旦那さんの担当。

キッチンスペースからなかなか出てこず、通学中の小学生からレアキャラ扱いされている。



「あらあらあら~、いらっしゃいなぁ~、ひよちゃん!」

「お久しぶり、おばちゃん」

「そうねぇ~、また来てくれて嬉しいわ~、ゆっくりして行ってね~!」



空根は、いつものようにカウンター席に座り、革のカバーがかけられたメニューを、穴が空くほどじっくり見て、今日は何を食べようかと吟味していた。

『今日はカンロで食ってくる』と母にメールして、学校帰り、こうして立ち寄った。

夏の期末を無事に乗り越えた、自分へのご褒美だ。

逆に、悪いことや嫌なことがあったら景気付けに…と言い訳をして来店する。



良いことであれ、悪いことであれ、ここで何か食べる時は、何かしら理由が必要だ。

空根にとって、ここの料理は特別だから。



あんなことがあったが、アレを食べた。

こんなことがあったので、コレを飲んだ。

……と、色々な記憶を『美味しかった』という額縁に入れて丁寧に飾る。

そして、そのまま美術館の絵画のごとく、海馬の中で、忘れがたい記憶として大切に扱われていた。


「ひよちゃん、今日は何食べる~?」

「ナポリタン。あと食後にチョコバナナパフェとアッサムティー」


ナポリタンは空根の大好物だ。ビーフシチューも、カルボナーラも、ハンバーグも、ビフテキも、全部美味しい。

なので厳密にいうと、カンロで提供されるものが全部、空根の好物だ。

どれだけ身長が伸びようと、運ばれてくる食事を待つ、空根のそわそわとした様子は、黒いランドセルを、かぽかぽと揺らしながら店に来た『ひよちゃん』のままだ。

自分たちが提供するものを楽しみにしてくれていると察した婦人は、カウンターの奥でほっこりと笑う。


「お待たせ~」


運ばれてきたナポリタンスパゲッティーは、秋の夕焼け色。

太めのパスタに輪切りのピーマンの緑と、くし切りの玉ねぎの白が交ざり、ケチャップの赤に負けず、パスタの彩りとなっている。

短冊切りの厚切りベーコンがゴロゴロと入っているのも嬉しい。

空根はそこに、たっぷり粉チーズをかけて食べる。

これでもかというほどフォークに巻きつけて、大きなひと口。

口に入りきらなかった分をチュルリと吸って噛むと、もちもちのパスタとしゃくしゃくとした玉ねぎの歯触りが口の中で、美味しい美味しいと炸裂する。

飲み込む寸前、静かにカーテンを閉めるように、ピーマンの青い味が優しく舌に触れた。

質量の大きなベーコンはいつも、重力に負けてパスタに絡まず落ちてしまうので、パスタを数本絡めたフォークの先端にザクリと刺して食べる。

脂身の甘味とケチャップの酸味に口内が支配された。





やっぱり、やっぱりだ。

間違いない。

カンロのナポリタンは最高だ。





「……ふはー、…ンまかった…」


ものの十五分でナポリタンを完食した空根は、満足げに微笑みながらため息をつく。


「はい、チョコバナナパフェと、アッサム」

「ありがとう」


ナポリタンの平皿と交換されたのは、縁取りに青いラインが入ったパフェグラスに盛られたチョコバナナパフェ。

そして、開きかけた花の蕾みたいな縦線の溝があるティーカップに淹れられたアッサムティー。





黒光りするチョコレートソースが満遍なくかかった生クリームとアイスと斜め切りのバナナ。

板チョコの王冠と、ウエハースの聖剣を持つ、アーサー王の登場である。

ナポリタンで満足していた胃袋は降参して、さっさと門扉を開いた。別腹別腹と理性が白旗を振り、甘味の到着を待ちわびている。





満月のような丸いアイスをスプーンで掬い、そこにチョコソースと生クリームを合わせて、3つの味を一気に楽しむ。

アイスが残り半分というところで、スプーンがチョコフレークの層にたどり着いた。

勿体ぶって、ちまちま食べていたアイスを大胆に崩してフレークと混ぜると、バニラアイスが

ジャクジャクとした食感の混じったチョコアイスへと変わる。

さらに食べ進めれば、生クリーム、溶けたアイス、柔らかくなったフレークが、濃厚なチョコソースと混ざる。

それを残しておいたバナナにたっぷりと絡めてから、ひと口。




あー…正解だな。大正解だ。

チョコとバナナの相性は。




「…ふはー…、ンまかったァー…。……あ…」

(………そういえば…あの日(・・・)食べたのも、ナポリタンとチョコバナナパフェだったな……)



母に連れられ、初めてカンロに入店した時、彼を見かけた。

小学1年生の頃の空根はまだ、自分にしか見えない生き物との距離の取り方を幼いながらに模索していて、2度目の来店で、ナポリタンを注文しながら、甘楽婦人にソレ(・・)を渡した。

空根は視線を上げる。

宙吊りのヘデラの鉢を支える棚の端に置かれた、拾い集めた小枝を木工用ボンドと糸で繋いだ、手作りのドールチェアとテーブルのセット。






相変わらず、彼はそこに座っている。






オールバックにされた、白髪交じりのアッシュグレイの髪。

彫りの深い顔と深緑色の目。

鷲鼻の下には、左右対称にキッチリと切り揃えて、固められた口ヒゲが上に向かって生えていた。

仕立てばかりのような燕尾服。

黒光りするシルクハットを、テーブルに立て掛けたステッキにひっかけていた。

そして、いつものように、パチンコ玉くらいのティーカップで紅茶を飲んでいる。

母と来た日に、観葉植物の葉の裏に隠れて、紅茶を飲んでいるのを見つけたから。

それは隠れていた、不思議でおかしい、煙草の箱サイズの英国紳士へのプレゼントだった。





(……良かった…まだ使ってくれてる……)


嬉しかった。

作って良かった。


3回目の来店の時に、そこに座る彼を見て、空根少年は静かに歓喜したこと思い出す。

当時とまるで変わらない、ナポリタンとチョコバナナパフェの味が、それを思い出させてくれた。

そこで、ふと空根の視線に気がついたらしい紳士と空根の視線が出会う。





(「……×××!」)

英国紳士は咳払いをひとつ。





しまった、見すぎたかと視線を反らそうとしたが、紳士は胸ポケットからハンカチーフを取り出して、大きく広げると口を拭いた。


大して汚れていない口を、わざとらしく。





「………あ……」


紳士の意図に気がついて、空根は急いでテーブルの隅に置かれたスタンドから紙ナプキンを取り出して、ぐりぐりと口元を拭いた。

使い終わった紙ナプキンをべったりと汚す、ケチャップの赤。






(「……××××」)


ふにふにと口ヒゲを揺らし『…よろしい』と笑っているよう。




空根は軽く赤面しながら、パフェグラスの下に敷かれた厚紙のコースターの上に、ケチャップで汚れた紙ナプキンを丸めて置いた。

……あぁ、そうだった。

自分はもうナポリタンやチョコバナナパフェなどのお子ちゃまメニューで、いつまでもはしゃぐような年齢ではない。


「……ンンっ!」


唇を指の甲で押さえながら、小さな咳払いをひとつ。

姿勢をただし、すっかり綺麗にした口元にティーカップを運んだ。





偶然にも小さな英国紳士が紅茶を飲むのと、全く同じタイミングで。

高校生になった空根は、少し冷めた紅茶と、宝物のような時間を味わった。



先日、友人が夫婦で経営していた喫茶店が閉店し、ひどく残念な気持ちになりました。アレもコレも、もう食べられないのかと、店にいた時の思いを活字にいたしました。

時間は戻らない。そして、あるひとつの場所でしか作れない時間もある。

だから宝物のように、記憶を大事に。


あああぁ~…カルボナーラも美味しかったなああああー!!! ビフテキもまた食べたいなあああああー!!!

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