カラオケリモコン+ドルオタ
「あああああー…生ギガエルー…」
ドリンクバーから持ってきたカルピスの三分の二を一気に飲み干した一条寺は、高らかに生還を告げる。
学校帰りにカラオケへの寄り道。
空根、花村、そして一条寺の三人。
花村とは中学から一緒だったが、一条寺とは高校からの友人だ。相当に歌が上手いので、彼とカラオケに来ると、あれこれと新曲をねだるのが毎度のパターンだ。
だが一条寺は、まだ歌う気がないらしく、夏の制服の白いシャツの胸の部分を摘んで上下に揺らし、吹子の要領でクーラーから流れてくる涼しい風を服の中へと入れている。
その隣では花村がコーラで喉を潤しながら、カラオケリモコンの画面をちょいちょいと指先でタッチして、推しのアイドル声優の新譜が入っていないかチェックしていた。
「いやしかし、今年の夏の暑さはマヂでヤバイ」
「んだな〜。これでクーラーの無いアパートに帰るとか、まじで地獄だわ」
「えッ?! いっちゃん家、クーラーないの?!」
「うん、ボロアパートだもん。昔の漫画に出てきそうな」
「うわ逆に見たい。今度遊びに行っていい?」
「ごめん、ダメだ〜。うち厳しいから」
「あらら、残念」
花村と一条寺が、そんな雑談をしている前で空根は、モニターの横に置かれていたカラオケリモコンを充電器から離して持ち上げた。
「………う〜ん…」
ぶらん、ぶらん…。
町内会のお祭りみたいな、赤い襟の白い法被姿。
黒縁メガネに赤い色の鉢巻の、小さいおっさんが、パネルタイプのカラオケリモコンの端に掴まってぶら下がっていた。
おっさんと言っても、三十路後半ぐらい。
体は三頭身くらいで、UFOキャッチャーに入っているぬいぐるみのようだ。
なんとなく、落としてしまわないように、ゆっくりとカラオケリモコンをテーブルに移動させると、彼はチョインッ! と飛び跳ねて、空根が持ってきた烏龍茶のグラスのそばに着地する。
その白い法被の背中に『I・❤︎・一条寺』とプリントされていた。
チョロロロロロ、と小走りに、テーブルの中央に貼られた夏の新作メニューのポップの真ん中に立つ。おっさんの目の前には一条寺。
(…………追っかけのファンか…)
目の前にいる一条寺にも、隣にいる花村にも、法被姿のおっさんは見えていない。
そして、おっさんは法被の下から、ヌッッとペンライトを取り出した。
(あんな爪先サイズのペンライト、どこで買うんだ?)
後ろ姿のおっさんの背中を凝視してしまう空根だが、はたから見るとメニューを見ているようにしか見えず、花村が「なんか美味しそうな新作あったん?」と同じようにメニューを覗き込んでいるが、彼の目の前には、小さいおっさんがいる。
空根は意味もなくドキドキしていた。
見つけてほしいような。
さっさと逃げてほしいような。
「空根〜。何歌う〜?」
目に映っていない目の前のファンを待たせて、一条寺が空根の方にマイクを差し出してくる。
「……おま…うん…」
お前の追っかけファンが気になって選曲どころじゃない、と言いかけて口を紡ぐ。
そこに、夏限定メニューの『練乳いちごかき氷DX』を踏み越えて、先程のおっさんがチョロチョロと、空根の方に戻ってきた。
キラキラした目で空根を見る。
カラオケリモコンのメニュー画面にあった『オススメソング』の項目の一番上に来た、半年前にリリースされたCMソングのタイトルを、両腕でバンバンと叩きながら。
「俺はあとでいいや。それより、いっちゃん、これ歌ってくんない?」
「あ〜。歌えっけどBメロは覚えてるか自信ないな。それでもいい?」
空根のおねだりに、一条寺はさっさと選曲ボタンを押してから、一度差し出したマイクを握り直す。
初夏のダルさを吹き飛ばす元気なダンスナンバーで、メニューのPOPの所定位置に戻ったおっさんは、ぶんぶんとペンライトを打ちながら応援する。
【(!!・!!・!!・!!・!!・!!・!!〜〜〜〜、〜〜ッ!!!)】
右!! 左!! 右!! 左!! 右!! 右!! 左!! うううう〜〜〜〜、おうッ!!!
音に合わせてペンライトを左右に振り、しっかりと溜めてから、万歳で跳ねる。
推し活の充足感に汗がきらめき、『I・❤︎・一条寺』の法被が快活にひるがえる。
「はぁ〜、どうだった?」
歌い終わった一条寺は、大声を出してスッキリした様子だが、自信無さげな苦笑いだ。
それに対して空根は。
「……モテるんだな、いっちゃん」
「ごめん、意味分かんないんですけど」
『最高だったよー!!』とファンサに相槌を打つドルオタなおっさんを見ながら、思わず呟いてしまったが、もちろん一条寺との会話は成立していなかった。
そんな二人を見向きもせず、花村が歌い出した時には、おっさんは消えていた。
何故だろう、花村に同情してしまう。
あぁ、そうだ。俺も自分が歌う曲選ばなきゃ、とカラオケリモコンの画面に視線を落とすと。
バンバンバンバンバンバン!!!
そこにいたのは必死の形相で、先ほどと同じようにパネルを叩く、ドルオタおっさん。
妥協案として、空根は男性グループ曲を選択し、一条寺にもマイクを握らせた。
おっさんは二時間居座り、一条寺に応援を送り続け、花村が歌う時には見えなくなった。
催促して、メニューの上に戻るを繰り返す法被のおっさんは、戻ると必ず同じ位置で立ち止まっていて、前に出ようとはしなかった。
その後ろ姿を見ていてふと、あることに気がついた空根は「あぁ〜…」と感嘆符をこぼす。
(メニューの真ん中は、アリーナ席だったか)
今年は夏が異様に長かったような気がしていますが、過ぎてしまえばあっという間でしたね