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 首元の温かさに凝りだけでなく表情まで解けた顔をしたアンナに大満足な私は、すぐ傍に人が来ている気配にまったく気が付かなかった。

「何を騒いでいるんだい?」

「ひゃっ?! お兄様!」

 やばい、高笑いしてるところを見られた?

 最近ずっとアンナ達以外に対しては上っ面だけの笑顔で全スルーする令嬢奥義を発動していたのに。馬鹿笑いしてるところを見つかるなんて。

 どう誤魔化そうかと悩んでいた私の後ろから、興奮した声が上がった。

「コルト様! お嬢様の素晴らしい発明品を、どうぞコルト様もご体験下さい!」

 んあ?

 硬直する私を横に、アンナが興奮した様子でコルトお兄様にお手玉もどきの効能を説明しながら実際に使わせている。どうしよう。どう対応するのが一番なのかしら。

「ほう。これは気持ちがいいな。実際に肩と目の疲れが取れる気がする」

 仕方がない。ここは、この流れに乗っておくしかないだろう。

「えぇ。中に入っている豆の温かさが、凝りを解すための温熱療法に丁度良いようですわ」

 いろいろ試した結果だと聞こえるように言葉を選ぶ。まさか前世の記憶だとか言えないものね。

「そうか。幾つか試作を?」

「ハイ。大きさや中身(量だけだし使用目的自体が違うけどね)をいろいろと」

 それ以上は企業秘密ですわ、とほほほと笑う。

「そうか。オリビアもいろいろと考えていたのだな」

 失礼な。私はいつだって自分の未来を考えてる。断罪回避とか修道院で快適に暮らす為のスキル修業とか。

「それでこれは、凝りの治療器具ということでいいのか?」

 おっと。それだけじゃない。

「基本的にはそれでいいと思います。でも、ある種の頭痛にも効くのです」

「ある種の頭痛?」

「片頭痛です。ただし全部の片頭痛ではありませんけれど」

 そう。血行が悪くなって起きるタイプの片頭痛には効果がある筈だ。

「頭全体が締め付けられるように痛むような片頭痛は、これで後頭部や首から肩に掛けて温めれば症状が和らぐはずです」

 自慢げに説明をしてお兄様の方を向くと、その表情は硬く妙に真剣そのものだった。なんでだろ?

「ということは、それ以外のこめかみから目のあたりが鼓動に合わせてズキンズキンと痛むような片頭痛には効かないのか?」

 私は、少し悩んでそれに答えた。

「このお手玉もどきでは効果があるどころかむしろ悪化させてしまうでしょう。でも」

「でも!?」

 がっと両腕を掴まれて揺さぶられる。

 なにこれ怖い。どちらかといえば軽薄なところのあるお兄様の必死の形相に引かずにはいられない。

「でもなんだ、早く言わないか!!」

「コルト様、お嬢様が怯えています。少し押さえてください」

 ビビり過ぎて蒼白になっている私に気が付いたアンナが決死の覚悟でお兄様を止めてくれる。怖すぎて涙目になっていたところなのでありがたい。

 身体が離れて、ようやく少しほっとした。こんなに必死になるなんて、一体どういうことだろう。

「すまない。ちょっとそのタイプの片頭痛で苦しんでいる方がいるので治せるのかと思ったものでな」

 なるほどねー。彼女かな。女性に多いんだよね、片頭痛持ちって。

「大変ですね。片頭痛は長く続く時も多いですし辛いとお聞きしてますわ。

 こめかみに鼓動と連動するような痛みが走るタイプの方は痛みが出ている場所を冷やすといいのです。できれば」

「できれば?!」ひっ。また顔がすぐ近くに来た。ビビる。

「お兄様、怖い…」

 アンナを盾にして縮こまる。

 足を震えさせながらも、私を後に庇ってくれるアンナの背にしがみつくようにしながら説明を続ける。説明さえ終われば解放されるに違いない。

「この中身を、この豆と同じ位のサイズまで小さく丸くした素焼き…テラコッタの欠片に置き換えて、水で濡らして当てれば楽になるかと。ついでに扇で扇いで風をやればもっと効果がある筈ですわ」

 血流が異常過多になった状態の片頭痛ならば血流を押さえる、つまりは冷やしてやればいいのだ。この世界には電気も魔法もないし(どうせ転生するなら魔法が使える世界がよかった!)、まだ冷蔵庫もないからこの方法が一番だろう。

「…この豆入りのものは温めることで効果が出るのだったな?」

 お兄様の言葉に頷いてみせる。勿論、私はアンナの背中にしがみついたままだ。

「では、その欠けたテラコッタの粒にはどんな効果がある?」

 …気化熱、という言葉が通じるだろうか。オリビアの記憶の中にはそれに該当する知識はないのだけれど。

 でもアフリカ周辺ではこの原理を利用した冷蔵庫は古来よりあったという話だった筈だし、名前を告げるより実際にやってみせれば納得はしてくれるか。

「実際にやってみましょう」

 私は、アンナに新品のテラコッタの鉢とそれが入る大きさの盥に水を入れたものを用意するようお願いした。


 お兄様に、水を入れた器へ漬けて濡らしたテラコッタ鉢に手を入れて貰って、そこに向けて扇子で扇ぐ。

「冷たい。どういうことだ?!」

 そう叫ぶように疑問をぶつけてくるお兄様の無駄に綺麗なお顔に手で水を掛ける。

「何をする?!」

 そこを、扇子で扇いだ。そうして、声に出さず笑顔だけで感想を訊ねる。

「…水を掛けただけより、冷たく感じる」

「でしょう?」

 我が意を得たり、とついアヤシゲな笑顔が顔に浮かびそうになるのを慌てて取り繕う。危ない。令嬢スマイルを崩さないように気を付けねば。

「水は蒸発する時に、その周りの熱を奪っていくのです。テラコッタである理由は重さと多孔質…じゃなかった、えーっと素焼きのものは、磁器製品より細かい穴が沢山開いているでしょう? それだけ空気に触れる面積が広くなって、多くの水分を蒸発させることができるのです」

「つまりはそれだけ温度が下がる、ということか」

 なるほどな、とお兄様は顎に手をやって考え込んでいた。

「では、実際に冷えるその治療具を作ってみてはくれないか? できるだけ早く頼みたい」

 えー? お手玉…まぁいいか。お兄様に恩を売っておけば、もし断罪された時には庇って貰える可能性がでるかもだし。

「畏まりました。出来上がりましたら、お兄様のお部屋にお届けに上がればよろしいですか? それとも従僕に御託けをすればよろしいでしょうか」

「…いつでもどんな方法でもいい。この家にいる時でも、学園ででも、出来上がったらすぐに俺を探して持ってきておくれ、オリビア」

 最後になってなぜかキラキラさせながらお兄様が笑顔になった。意訳としては「とにかく特急で作れ」というところか。仕事でならよくある割り込みごり押しね。あるある。

 そんな心の内を表に出さないように気をつけながら、私はカーテシーでお兄様がサロンから出ていくのを見送った。


「お嬢様、こちらのヤードロング豆のものは私が戴いて本当に宜しいのですか?」

 さてどうしようかと考えている所に、アンナが話しかけてきた。

「えぇ、勿論よ。私の手だから縫い目が粗いのは申し訳ないけれど、十分使えると思うわ」

 私は使用時の注意点、「1、水に濡らさない(黴るから) 2、直火に掛けない(燃える・焦げる) 3、熱しすぎた時は包む布を増やす(火傷注意)」などを細々と言い聞かせた。

 アンナは、そんな世話焼き婆っぽい私にはにかんだ笑顔を見せて、「ありがとうございます。大切にします」と喜んでくれた。ふう。その笑顔だけでご馳走様って気分になれるね。


 その後、庭師のサンにお願いして、割れてしまって使い物にならなくなったテラコッタ鉢を分けて貰った。下女に声を掛けて、小麦が入っていた丈夫な袋に入れて貰いその上から更に槌で粉砕して貰い大豆サイズの破片が出来ていることを確認。

 そして更に、袋の上から全体を擦り合わせるように何度も擦って貰った。

 ハッキリ言って重労働なんじゃぁあぁっぁ。

 やるのは私じゃないけれど。あんなに気軽に発注すんなと思うほど作業がゆっくりしか進まない。

 そうか。ここには機械もなければ、便利な道具もほとんどないのだ。

 異世界に来ちゃったんだなぁ。

 私は、急に寂しくなった。

 私が一人勝手にアンニュイな気分になっている間に、下女チームは交代で小麦袋を擦り続けてくれたようだ。

「お嬢様、この状態で如何でしょう」

 袋の中にあるテラコッタの破片は完全に粉と化したものも多かったけれど、欲しかったサイズの粒も沢山見えた。ちゃんと角が取れて丸くなっている。

「ありがとう。では、これを洗って、角が取れて豆粒サイズに出来上がっている物だけ私の部屋に届けて貰えるかしら」

「判りました。すぐ持っていけると思いますよ」

 そう言って彼女たちは井戸のある方へと歩いていった。…あの滑車もすぐに直せたようで本当に良かった。

 完全破壊なんてした日には、使用人達にどんな目を向けられることになっていたことか。

「失敗は成功の基というけれど、取り返しのつかない、何の糧にもならない失敗はあるのよ」

 そう。あの日の私の様に。


 結婚式の招待状を貰った日。

 本当は、私こそ彼女にプロポーズをするつもりだった。

 とはいっても日本では同性婚は認められていないので入籍というと養子縁組になるのだけれど、ちょっと違うなと思って『二人でパートナーシップ制度に登録しませんか』というつもりだった。

 引っ越ししたり、そもそもカミングアウトしていないお互いの両親への報告をどうするのかとかいろいろあるけれど、それでも、心が繋がっていると信じていた私は一所懸命計画を立てていたのだ。

 まぁ、心が繋がっていると思ったのは、私の独りよがりだった訳だけど。

 ずっと繋いでいた手だけでは、心までは繋げられなかったらしい。

 彼女にとって私は恋人ではなく、危険の少ないごっこ遊びの相手だったのだろう。

 いけない。手が、身体が冷たくなり視界が昏くなる。立ち眩みを起こした私を、温かな手が支えてくれた。

「お嬢様、大丈夫ですか?」

「…アンナ。ありがとう」

 いつも傍にいてくれる人がいるというだけでこんなにも温かい。支え合う手は恋でなくともいいのだと知った。


 お兄様の彼女に使って貰うならば、古びたテーブルクロスは拙いだろう。

 でもレースやシフォンでは水が滴るのを防げない。なので吟味した結果、綿ニットに定めて試作に繰り出す。

 といっても筒状にザクザク縫い合わせて中にテラコッタ片を入れて上下を縫い合わせるだけなのですぐ作れた。

「とりあえず、テストが必要ね」

 出来上がったばかりの”ズッキンズッキン来る片頭痛用お手玉もどき試作品1号”を水差しにぶち込む。たっぷりと水を含むまで時間が掛かりそうなので、その間にササゲもどきのお手玉を作ることにした。

 アンナも一緒に作ってくれるというので、綿ニットの袋をいくつか作ってもらう。私の粗い縫い目では試作はともかく繰り返しの使用に耐えられない気がしたのだ。というかひっくり返した時点で『無理だ』と悟った。

 なんとか2つほどササゲもどきお手玉を作ったところで、水差しに突っ込んだ試作1号から泡が上がらなくなった。どうやらこれ以上は水を吸い上げられないようなので取り出して用意して貰ってあった洗面器の上で軽く絞る。

「こんな感じかしら。さあアンナ、そこにお座りになって?」

 逃さないわよ、と目に力を入れて笑顔で命令を下す。勿論表情は笑顔のままだ。

「なんだか、お嬢様が怖いです」

 う。それは、危険人物認定ということだろうか。

 怖くナイデスヨー? スッゴク優しイよ? 私は手をワキワキさせながらアンナに近付いた。


「うわっ。涼しいというより、冷たいです!」

 あのまましばらく無言で見つめ合った結果、折れてくれたのはアンナだった。当然か。

 という訳で、先ほどササゲモドキで温めていたのと逆に、目元に試作1号を乗せて私が扇でそよそよと風を送っているところだ。

「あぁ~。これはこれで、リフレッシュされる気がします~。素敵です~」

 腑抜けた声がアンナから洩れる。ふふふ。仕事モードのアンナがこんなに崩れるなんて初めてだ。5つ年上のアンナはいつだって冷静に私のお世話を黙々としてくれている存在だった。

「…今日は、アンナのこれまで知らなかった部分を沢山見せて貰った気がするわ」

 前世の記憶を取り戻して半年、その前の記憶も入れるとそろそろ3年、ずっと傍にいてくれたのはアンナだった。

「お嬢様だって、今日は私の知らないお嬢様がたくさんでした。沢山笑った顔を見せて下さって、アンナは嬉しいです」

 アンナが突然そんなことを言いだすので、つい赤面してしまった。

 いつの間にか目を隠していたアンナが、試作1号を手に持ちこちらを向いて笑っていた。

「お嬢様の笑顔が、私達使用人一同の幸せです。どうぞ、もっと沢山お見せ下さい」

 その言葉に恋の熱はなかったけれど、それでも私は自分へと向けられた純粋な好意に涙が溢れそうになって困ってしまった。


 どうやら性能的には問題ないようなので、さきほどアンナに作って貰った袋にテラコッタ片を詰めて閉じて貰う事にする。えぇ勿論これもアンナにですが、なにか?

 私もササゲもどき版をちくちく縫いながら、お手玉もどきの名前を考える。さすがにこのままお兄様の彼女にプレゼントするのもどうかと思うし。

「名前、どうしようかしら」

「オテダマではないのですか?」

 あー、そっか。こちらではお手玉が遊び道具の名前という意識ないもんね。でもなー。

「まぁいっか。お兄様の彼女にお渡しする時に使うだけだものね」

 豆で出来たお手玉が温め用で、テラコッタ片で出来たお手玉が冷やす用。

 なんか長ったらしくて恰好良くないけど、用途が伝わればいいんだもんね。うん。

 そうして出来上がった物を、さっそくお兄様のところに伝言を届けると、お兄様はすぐに私の部屋まで取りに来た。

 試作品で実際に効果を試して貰うと、お兄様はその効果に大興奮で、

「凄いな、これは。ありがとう。早速陛下に届けてくる!」

 そのまま駆け出すようにどこかへと出かけて行ってしまった。

「こんな時間に会ってくれる令嬢などいないでしょうに」

 お届けするだけなのかもしれない。

 それにしても、お兄様はさきほどなんと仰ったのでしょう?

 なにか聞き捨てならない御方が出てきたような気がしますが。きっと気のせいですね。

「あら。お兄様ったら酷いわ。一緒にしておいた手遊び用のお手玉まで持っていってしまうなんて」

 私はお兄様の所業にぷんぷん怒って請求額を3倍にしてやることにした。

 特注品の請求額って、請求者の気分次第そういうものよね? 


 

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