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 そこからは更に学園では表情を揺らすことないよう淡々と暮らした。

 その分、侯爵家では精力的に修道女として暮らしていく為の準備に励むことにする。

 正しい修道女として暮らす為に必要な素養としては、毎日の食事作りにお菓子作り、裁縫に刺繍、そして野菜作りや水汲みは必須らしい。特に修道服は自らの手で縫うのが基本だと聞いてげんなりした。私が通っていた女子校みたいだ。

 あの子と出会ったのは中等部でだったけれど、私は幼稚舎からそこに在籍していた。

『善き妻、善き母となるべく勉学に努める』嫌な教育スローガンの学園だった。さすが在籍時に創立100周年を迎えただけはある。戦前余裕である。残念ながらどちらにもなるつもりのなかった私には無用の長物でしかなかったが。

 しかし、そこでの教えは修道院で暮らすには有益かもしれない。似たような生活な気がするし。多分だけど。

 残念ながら侯爵令嬢である私には土いじりなど、庭の花を摘むどころかその種類を選定すること位しか許されない。花を生けるのも令嬢には許されるけれど、育てるのは完全アウトのようだ。

 仕方がないので「水汲みがしてみたい」と侍女のアンナに言ったら、「水差しからご自分でコップに移してみたいのですか?」と訊かれたので、「井戸で、つるべの桶を使って汲み上げてみたいの」というと、真っ青な顔して全力で首を振られた。

 侍女頭まで出てきて「水汲みがどんな仕事が判ってますか?」と全力で止められた。

「水汲みの仕方が判らないほど馬鹿じゃありません」と言い張って、強引に井戸まで連れて行って貰った。絹の手袋の上から下女たちが使う木綿の手袋を重ね付けるよう条件を出されて仕方がないので受け入れる。指が動かし難いしなんか気持ち悪い。けれど受け入れるしかない。確かに今から手をボロボロにしてしまうのは、これ見よがしな感じで良くないだろう。


「ではお嬢様、とりあえず一度お試しを」

 そういって侍女頭が滑車に繋がれた桶をうやうやしく手渡してくれたので、周囲が何か説明してくれようとしているのは判ったけれど、くどくど説明されるのが嫌で、心の中で『せぃやっ!』と声を掛けながら井戸に向かって勢いよく投げ入れた。

「「「あ」」」

 カラカラカラカラ。目の前で桶に繋がっている縄が勝手に動く。

 おぉ全自動、なんて一瞬でも考えた私の馬鹿ばかバカ莫迦!!

 反対側の桶が繋がった縄を押さえておかなかったので、あっという間にそちら側が滑車の高さまで巻き取られてしまっていた。

 桶を投げ入れる前に、反対側の縄につけられた桶も押さえておかねばいけなかったらしい。知らなかった。皆が教えてくれようとしたのはそれだったのか。焦らずちゃんと聞いておけばよかった。反省。

「…ごめんなさい」

 井戸に落とした方の桶には水が入っていて重くて動かせないし、滑車に絡まるようにして頭上で止まっている桶にはジャンプしても手が届きそうにない。

「お仕事増やしてごめんなさい。反省しているわ」

 しょぼん、として謝ると、みんな、すぐには許してくれなくて赤い顔をして黙っている。めっちゃ怒らせたと怖くなり、とにかく謝り倒した。

「お嬢様は幼い頃から聞き分けがよろしくて我が儘をいわれないお方でしたから、こんないたずらをするお姿は新鮮です」と侍女頭が代表で許してくれたけれど、皆のお仕事の邪魔をしたい訳じゃない。失敗した。


 次は、もうちょっと女の子らしいことにしようと、「お菓子作りをやってみたいわ」とお願いしたら、料理長みずから型抜きまでしてくれたクッキー生地に、砂糖で出来た花を飾る事だけが許された。

 こんなのお菓子作ったことにならないと思うの。

 ちなみに出来上がったクッキーは美味しかったので、アンナの口にも放り込んでみた。吃驚してたけど「美味しいです。ありがとうございます」と言ってくれた。美味しいよね、うちの料理長が作ったクッキーだもん。

 アンナに勧められてお父様とお兄様にも食べて貰うことになったんだけど、「すごいな、オリビア」と褒められたのは、どうしても解せぬ。

 


「やっぱり、刺繍? 裁縫?しかないかー」

 ドレスを作るのは無理でも、刺繍や小物作りならご令嬢がやり込んで究めていても可笑しくない。

 でも、売り物にできるほど繊細な作業を自分にできる気がしない。

「刺繍ほど丁寧さが求められなくて、でも令嬢が嗜んでいて可笑しくないような、修道女に必要な作業…うーん、うーん」

 机に向かって頭を抱えて座っていても仕方がない。外の空気でも吸おうと窓を開ける。

「良い匂いね。薔薇かしら」

 薔薇のポプリとかサシェを作る程度ならギリギリ令嬢の趣味として受け入れて貰えるかもしれないけれど、修道院で手間のかかる薔薇の栽培とかしてる訳ないわよねぇ。してても野に咲くレベルでほぼ自然に咲くのを眺めるだけだろう。それでは商品出来るほどの数は咲かない。手入れしないと蕾すら付かないと本で読んだことがある。

 薔薇以外でポプリに向く花。何かあったかしら。ドライフラワーにしてもちゃんと香りが残るほど強い花って野に咲く花には少ない気がする。

 私に出来て、バザーに出せる小物…サシェ…あぁ、一つだけある、かも。

「ねえ、アンナ。プリングル領で収穫している豆ってどんなものがあるのかしら。すぐに手に入る乾燥させた豆類があるならすべて見せて欲しいの」

 最近の私の言動に少し慣れてきた様子のアンナは、困惑した顔をしながらもすぐにワゴンで沢山の乾燥豆を運んできてくれた。


「あぁ、良かった。少し小粒だけれど小豆はあるのね」

 小粒の小豆。ササゲだっけ? あれによく似た豆を掌の上に転がしてみる。重さも感触もよく似ている。きっとこれならいけるだろう。

「アズキという豆は知りませんが、そちらはヤードロングという品種です。本来はまだ柔らかい鞘の状態で収穫し、茹でてサラダに使ったり炒めた後スープにして食べます。乾燥豆は戻してから細かく刻みソースに使うようです」

 アンナが詳しい説明をしてくれる。すごい。物知りだ。

「そうなのね。でも今は食べる為ではなく使ってみたいの。これをボール一杯分ほど用意して来てくれないかしら。それと古い布が欲しいわ。できればカーテンやリネンのようなある程度厚みがあるもので、使い倒されてクタクタになっていればいるほどいいわ。それと裁縫道具もよろしくね」

 侯爵家で使われていたものなら、そこまで言ってもきっとボロ布はやってこないと思ったけれど、やはり表情を無くしたアンナが持ってきた布はまだ十分綺麗な華やかなテーブルクロスだった。生地に見覚えがある。

「ふふ。これ、お兄様がワインを零した染みね。知ってる? 赤ワインの染みは乾いてしまう前に白ワインで洗うようにしてから洗濯すると綺麗になるのよ」

 水より、同じ成分のワインを使った方が汚れが溶けだし易いし白ワインの方が色が薄い分、赤ワインでついた汚れは目立たなくなるそうだ。授業でやった。

「そうなのですね! 洗濯係に伝えてみます。ありがとうございます。みんな喜ぶでしょう」

 落とせなかったと告げるのは辛いもんね。あぁいう作業って引き際が難しいし。


「では。やりますか」

 適当な長さに布を切って折って、端を2回直線縫いして、縫い目から1ミリずらして折る。

 筒状にした布地をざくっと横幅の3倍程度で切り分け、切った口を再び縫い合わせる。

「とりあえず1個、お試しで作ってみましょう」

 布をひっくり返して開いている口から少量のヤードロングビーン…ササゲモドキを入れて、ぐでぐでの状態で上の口を、下の縫い合わせから90度ずらした状態で合わせて縫い閉じれば出来上がりだ。

「お嬢様、それでは形がきちんと四角くなりませんよ。それに豆はもっと沢山入るのではありませんか?」

 私の作業を見守っていたアンナから忠告されたけれど、「これでいいの」とスルーして作業を進めた。後で思ったけれど、まるで悪役令嬢が周囲の忠告を聞かないで自滅する時の会話のようだと笑ってしまった。


「できた」

 ポンポンと上に投げたり受け止めたりしてみて感触を確かめる。うん。豆はもっと少なくてもいいかも。

「…それで完成なのですか?」

 アンナが変な顔をして私の手の中で弄ばれているぐでぐでの三角形の物を見ていた。

「これ1個では足りないわ。あと最低1個。できれば5個作ったら、使い方を見せてあげるわね。あぁ、でもぱんぱんになるまで豆を入れたものもいくつか作りましょう」

 私がうきうきと不器用な手つきで縫物を続ける姿を、アンナは胡乱な目つきで見ていた。


「できたわ。完成よ!」

 ちいさなぐでぐで三角お手玉と、端を引き絞って閉じた俵型の本家お手玉。

 私に手渡され、ぐでぐでの潰れた三角形をしたお手玉を触っていたアンナは「これ、妙に気持ちいいですね。触っているだけで癒される気がします」とむにゅむにゅしていた。

 うむ。もうちょっと大きく作って癒しを狙うのもありね。

「こちらの楕円形のものは、こうして遊ぶのよ」

 右手に持って順に上に投げながら左手でキャッチ、くるくる回していく。

「お嬢様、いつのまにこんな芸事を?!」

 芸という程の事ではないと思うけれど。

「文字を決めておいて歌いながら回して、その文字を言う時に反対廻しにするとか、いろいろルールを決めても面白いのよ」

 私はこちらの童謡を歌いながら節の最後の一音の時に反対廻しにしてみせる。

「おぉ~!」

 ぱちぱちとアンナが拍手してくれた。

「お嬢様、それでこちらの小さなぐでぐではどう使うのですか?」

 そういって、手に持っていた小さなお手玉を差し出して聞いてきたのでリクエストに応えて実演することにする。

 目の前にはまだ布地やお裁縫道具が広がっているので、別のテーブルへと移動した。

「こちらは5個のお手玉を使うわ」

 テーブルの上に撒いて、私はそれを数えながら一つずつ拾っては上に投げる。

「落ちる前に次のものを拾うの。一周したら1個投げて落ちてくる前に2個拾うわ。その手に持った2個を投げて落ちてくる前に違う2個を拾うの。次はまだ拾ってなかった1個を拾うわ。そうしてそれを」

 ぽーん、とこれまでよりひと際高く上に投げた私は残りの4個のお手玉を両手で集め持ち、その上に投げたお手玉を受け止めた。

「これで成功よ!」

 ほー、と感心した様子で私の手遊びを眺めていたアンナは、「子供が喜びそうですね」と褒めてくれた。うん。一緒に歌う数え歌もあるんだけど、それを歌ったら「どこでそんな歌を?」と聞かれても困るのでそれは無しで。こちらの童謡で丁度良さそうなものを探そうと思う。

「でも、手遊びも楽しそうですけど、私はもにゅもにゅ揉んでいる方が嬉しいかも」

 へにゃっと気の緩んだ顔をして、アンナがテーブルの上からぐでぐでお手玉を手に取って揉んだ。ササゲモドキの重さと丸みが癒し効果をもたらすのかもしれない。

「そういえば…そうね。アンナ、貴女にもっといいものを作ってあげるわ」

 私は自信満々で、再び裁縫道具と格闘を始めた。


「はい、あげるわ」

「…ありがとうございます」

 受け取ったアンナの顔は、非常に微妙だった。

 これまでよりずっと大きな長方形をしたそれは、見た目からして先ほどのお手玉たちと違って可愛くないし、片手にすっぽりとはいかないので両手でもにゅもにゅするサイズだ。

「でも、触り心地はやっぱりいいですね。素敵です」

 ふにゃっと蕩けたような顔でお手玉もどきを揉む姿を侍女頭に見られたら説教物だな、と思う。でも可愛いのでこれは正義だ。

「ふふ。揉むのもいいけれど、これは温めて使うのよ」

 まだ部屋の暖炉に火は入っていないので、厨房にお邪魔させて貰う。


「ラーク料理長、またお願いがあるの」

 先日クッキーを一緒に作って貰った時にお世話になった顔を見つけて声を掛ける。

「お嬢様! このような場所に再び足をお運び戴けるとは。先日のクッキーはお見事でした」

 またお作りになられるのですか? と言われて苦笑する。あれはお菓子作りとは言わない、絶対だ。でもそんなことはおくびにも出さないで礼を伝える。

「あの時はありがとう。楽しかったわ。でも今回は違うの。端っこでいいからオーブンの近くにこれを置いて温めて欲しいのよ」

 温かくなるまででいいの、と笑顔で伝える。

 料理長は、手渡されたそれを不思議な顔をして見つめていたけれど、夕食の仕込みはまだ佳境に入っている訳ではないので快く引き受けてくれた。

「温めるのは、どのくらいまででしょうか。手で持てる程度でよろしいですか?」

 それ以上になったら焦げそうなので、頷いておく。

「それならオーブンに入れるのではなく、オーブンの上に置いておくだけでいいでしょう」


 お茶を一杯、注いで貰っている内に、ほかほかのお手玉もどきがティーコゼーに包まれて、ケーキと一緒に届けられた。

 手に取ると、少し熱すぎるけれど確かに持てなくもない程度には熱い。なので、もう一枚布地で巻いてから、恐縮するアンナを椅子に座らせた。

「上を向いて目を閉じていてね」

 最後は観念する様子で言われた通りのポーズと取り、硬くなったまま座っているアンナの目の上に、温めたお手玉もどきを乗せる。

「気持ちいいです! なんですか、これ?! すっごい気持ちいいですよ!!」

「でしょう!」

 私は高笑いしたい気持ちで自慢げにその賞賛を受けた。

 小豆の重さと、簡単に形を変えるその形状と、そして保温性はこうした温熱療法に最適なのだと、このお手玉を『子供の手遊び』という授業で作った時に教えて貰ったのだ。

 福笑いなんてこの授業ときしかやったことないもん。そんなレベルの遊びを、道具を自分で作りながら教えて貰うという。女学校の創立当時から代々受け継がれてきたという謎授業だった。

「しかもこれ、目の疲れが取れるだけじゃないのよ!」

 そう言ってアンナの顔の上からそれを取り上げると、「あぁ~」と切なげな声が上がる。

 そんなに気に入ったのか、お嬢さん。へっへっへ。でも、もっといい事もその身体に教えてあげよう。

「これを首に巻いたり肩に乗せれば~」

「はぅっ!! これも、いい!!!」

 そうだろそうだろ。うひひひひ。



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