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「そう聴こえた気がしたんだけど、どう見ても叶えられてないわよねぇ」

 

 私は校門の前でふと立ち止まると、諦めのつかない気持ちで豪奢な校舎を見上げため息を漏らした。

 淡いピンク色の壁、葡萄の蔓が絡まる装飾を施された石灰漆喰の柱、正午になると天使がラッパを吹く大きな絡繰り時計。校門から校舎へと続く前庭には大きな噴水がある。

 ここは聖コムピサン学園。この名前でなんで女子校ではないんだと言いたくなるこの学園は、ソレイユ王国におけるすべての13歳になった貴族子女がデビュタント前に貴族としての基礎を習うために3年間通うことを義務付けられている学校であり、乙女ゲーム『いつかあなたと』の舞台でもある。

 何の因果か、あの子が、私に似ているキャラクターがいると喜んでやっていたゲームの世界に、私は転生させられたらしい。

 そう。あの日、猫を庇って死んだはずの私は、薄れゆく意識の中で確かにあの猫に話し掛けられたのだ。

「なにが【それが僕を助けてくれたキミの願いなら、叶えてみせよう】よ。冗談じゃないわよ。私のポジション、悪役令嬢じゃないの」

 気が付いたら、第一王子の婚約者である侯爵令嬢オリビア・プリングルとして一週間後にこの学園に入学するというところだったのだ。

 婚約者、それも男性の婚約者がいる人生など望んだことはない。

 唯一の救いは私達はお互いにデビュタント前であり深窓の令嬢として王子ですら手を触れることを拒否できること、だろうか。でもいつまでそれで押し通せるものなのだろうと思うと不安しかない。

 とはいえ、ヒロインに奪って貰うまでの事だと思えば少しは心が安らいだ。

 それも、実際にヒロインに出会うまでの話だったけれど。

 ヒロインである男爵令嬢マリナ・トリス。艶のある栗色の髪と蕩けたチョコレートの様な温かみのある茶色の瞳をした、愛くるしい令嬢だ。

 ──あの子にそっくり。

 あの子に見せて貰う画面ではヒロインの顔は出てこなかったから気が付かなかった。

 成績優秀で、か弱そうに見えて芯の強さがある。そんなところまでそっくりなあのヒロインに、私はこれから婚約者を奪われるのだ。

 どんな頼まれごとでも嫌な顔ひとつせずに誰よりも卒なく丁寧に熟すヒロインは教師たちからの信頼も厚い。その優秀さと信頼により高位貴族でなければ勧誘さえされない筈の生徒会役員に骨折して生徒会の仕事がこなせなくなった生徒の替わりとして乞われて入り、そこで攻略対象達と出会うのだ。

 生徒会長の第一王子ティモン・ソレイユ殿下は最上級生の3年生、怪我をして役立たずになったとマリナに代打を頼むのが私の兄であるコルト・プリングル侯爵家嫡男でティモン殿下と同じ最上級生、騎士団長子息のアーノルド・レイは私達の隣のクラス。ヒロインを生徒会役員の代打として推薦したこの学園の理事長クレイブ・トールは王弟で公爵様。愛する妻と死に別れ現在は独り身だそうだ。乙女ゲームで後妻を狙うのって滅多にないんじゃないだろうか。つか、この『いつかあなたと』以外に私は知らない。乙女ゲームに詳しい訳じゃないけど。そして隠しでもう1人いるんだけど、シルエットのみが公表されていて未だルートに入る条件すら見つかっていないという話だった。

 それぞれが皆、誰もが見惚れる様な美形で如何にも乙女ゲームの攻略対象らしい存在ばかりだ。

 メイン攻略対象であるティモン殿下のルートでは、殿下は私という婚約者がいることを思い悩み、マリナは殿下に私という婚約者がいることと自分の家の爵位の低さにより思う事すら諦めようとする。

 それでも惹かれ合っていく二人。離れようとしても、まるで運命の様に絡み合うふたりに、悪役令嬢たる婚約者オリビアはヒロインに辛く当たる。

 学園のダンスパーティーで、オリビアをエスコートしていた筈の殿下が他の令嬢達に嫌がらせを受けている所に遭遇、突き飛ばされたマリナを守ろうと、オリビアの手を振りほどいて駆け寄ったことで逆にオリビアが転倒、ドレスを破いてしまう。

 そこで、それまで静観していたオリビアの怒りに火がつくのだ。

 プリングル侯爵家から殿下とトリス男爵家へ正式な抗議がいき、ふたりは謹慎処分を受ける。

 しかし、学年末テストだけは受けねばと登校したところで、吸い寄せられるように階段の上にいる殿下と、階段を昇ったところで出合い頭に居合わせることになったマリナ。お互いの視線が絡んでふたりはそのまま動けなくなる。

「いい加減に身の程を弁えなさい!」

 その時も、殿下のすぐ横にいた婚約者であるオリビアの我慢が限界を超え、平手打ちしようと手を上げる。

 しかし、そのオリビアの手が打擲したのはマリナを庇ったティモン殿下だった。

 そのままバランスを崩し、階段から落ちるティモン殿下。怪我は大したことは無かったものの、嫉妬で第一王子に怪我を負わせた罪によりオリビアは婚約を破棄され貴族用の収容所に入れられ、そこで毒杯を渡されその生涯を閉じることになる。

 ティモン殿下は、卒業式の後マリナに告白をして二人は結ばれるのだった──。


「…って。冗談じゃないわよ。なんでそんな当て馬にされる為に転生しなくちゃいけないのよ。しかも本当に殿下は生徒会長だし! 私は書記だし!」

 本当にコルトお兄様が骨折して、ヒロインのマリナ・トリス男爵令嬢が教員推薦で生徒会にやってきたのだ。

「仕事においてはとても有能で、女性らしい細やかな配慮もあって。皆に可愛がられているのよね。はぁ、今から放課後が憂鬱だわ」

 オリビアとして生きてきた記憶もあるけれどそこにだって殿下に対する想いなど欠片もない。だから、婚約破棄になるのは構わないというより大歓迎だ。それでも。

「あの子にそっくりのヒロインが、オリビアの婚約者と恋を育んでいく様子を目の前でつぶさに見せつけられるのだけは…」

 困る。苦しい。辛い。そんな安っぽいどんな言葉でも言い表せそうにない位、嫌なのだ。

 おもわず目をぎゅっと閉じる。足が動かなくなって、少しだけ棒立ちになってしまった。

 侯爵令嬢の振りなんてしていられない。

「おはようございます。どうしました? だいじょうぶですか、オリビア様」

 声まで似ている。

 どこか甘く響く柔らかな声。私であって、私ではない名前を、その声が呼ぶ。

「マリナ様、おはようございます。なんでもありませんわ。お気になさらないで」

 できるだけ平坦な声をだし、顔を向けることなく歩き出す。

 あの子にそっくりな顔は見たくない。

 あの子にそっくりな声で呼ばれたくない。

 あの子にそっくりな貴女が、他の男に恋をしていく姿を見ていたくない。

「お顔が真っ青ですよ?! 保健室へ行かれた方がよろしいのでっ」

 ぱしん、と腕に掛けられた手を弾く。

「触らないで戴けるかしら」

「し、失礼いたしました」

 私の不興を買ったことに気が付いたのか、マリナがおろおろした様子で頭を下げた。

 彼女が悪いのではない。ただ、触られたくないのだ。

「オリビア。心配してくれたクラスメイトにその態度はよくないぞ」

「ティモン殿下。おはようございます」

 婚約者の険のある声に、立ち止まり淑女の礼を取る。

 こちらからした朝の挨拶すらスルーして、婚約者ではなくヒロインであるマリナ嬢を思いやる配慮のなさ。

 朝からふたりがいちゃつく切欠にされたことに気が付いて、伏せた顔の自分の口元が醜く歪むのが判る。

「悪かったな、マリナ嬢。オリビアは悪い奴ではないのだがイマイチ表情筋の動きが悪いのだ」 

 更にこちらを下げる失礼な物言いに鼻白む。私は正論しか言ってないわ。

 ──ヒロインによるメインルートの攻略は順調のようね。

 皮肉な思いに自分の口元が更に歪むのが判って、それを悟られないよう静かにその場を立ち去ろうとしたのに、マリナが殿下に向かって突っかかっていった。

「ティモン先輩、ひどいです! オリビア様はお加減がよろしくないのですよ?」

 お加減も何も、気分が悪い理由は貴女だと言ってやれたらどれだけスッキリするだろう。

 それでも、実際に口から出ていくのは違う言葉だ。

「トリス様。この国の第一王子殿下に対して、気安くお名前を呼ぶのはお止めになった方がよろしいかと。それも尊称ではなく先輩など。殿下とお呼びするべきです」

「オリビア、この学園では家格に拘ることを善としない。だからマリナ嬢も気にしないでくれ」

 家格も何も、殿下もつけさせずファーストネームで呼ぶのを許すなど、婚約者の前でよくできるものだ。

「…殿下が許可をされたとは存じませんでしたもので。トリス様、失礼いたしました」

 本当は、ここで婚約者がいる癖に他の女生徒にファーストネームで呼ぶことを許す脳ミソお花畑男を非難するか、婚約者のいる男子生徒対してその婚約者を前にして馴れ馴れしく名前呼びする女の不快感を前面に出すべきなのだろうけれど、馬鹿馬鹿しくて付き合っていられない。

 勝手に、好きなだけ乳繰り合うといいわ。

 くるりと身を翻して教室へ足を進める。

 その後ろから、懲りもせずマリナ嬢が走り寄ってくる。

「あの! オリビア様にお話したいことがあるのですが」

「なんでしょう。できれば、気分があまり良くないので無駄話に付き合いたくはないのですが、私に何が御用でもおありになって?」

 できるだけ冷たい視線を向ければ、愛らしい顔にびくりと緊張を走らせ顔を強張らせた。

「…いえ。申し訳ありません。またの機会にさせて戴きます」

 男爵令嬢にあるまじき勢いで使用人の様に頭を下げるマリナをその場に残して歩き出す。

 そんな私に、モチロン脳ミソお花畑殿下は苦言を呈した。

「おい、もう少し和やかに会話はできないのか。そんな仏頂面をして。それでも侯爵家の令嬢か」

 ふん。こちとら今の私の中身は平民もいいところだ。そして侯爵令嬢になってまだ半年足らずだ。

 それを口に出すほど愚かではない。そんなことをすれば、医者を呼ばれて怪しげな薬を飲まされた挙句一生領地に幽閉されるか、奇天烈な祈祷を受けて棟にでも幽閉されるか辺りが待っているのがオチだ。

 私はお綺麗な顔をした第一王子殿下に向かって、作り物の笑顔で微笑んでみせる。

「申し訳ございません。この顔は生まれつきですの。この顔と一生付き合うのがおいやでしたら今すぐにでも婚約破棄でもなんでもなさればよろしいと思いますわ」

「なっ?! いきなり何を言うんだ、オリビア」

「私はいつでも受け入れます。意中の方がいらっしゃるなら応援させて戴きたいくらいですわ」

 皮肉げな視線を当てれば、ティモン殿下は焦った様子で動揺していた。

 ふん。隠している恋心でも言い当てられて焦っているのね。

 なんてお手軽。恋しいと思うだけでいいなんて。男と女というだけで、たとえそれが婚約者以外に抱いた道ならぬものであろうとその想いは簡単に肯定されるのね。

 言い返す言葉を探して口をぱくぱくと開けたり閉めたりを繰り返すばかりの殿下を置き去りにして、私は今度こそ自分の教室へ向かった。



 憂鬱なまま一日の授業を終える。

 同じクラスにいるせいで、ずっとヒロインから視線を向けられるのが地味に辛い。

 そこまで警戒しなくとも、ゲームと違って私から何かをするつもりはないのに。それともそんなに虐められたいのだろうか。

 虐められないと進まないイベントでもあるのかもしれない。

 盗み見る様な視線にイラついて、平常心が崩れそうだ。虐めでも嫌がらせでもなく、ただこの苛立つ気持ちを八つ当たりしたくなる。

 この後の生徒会の仕事で生徒会室に向かう足取りは重い。なので図書室へ寄り道することにした。


『だから…おね…します。ええ、…んきです…ト先輩だって、…に、しあ…って欲しいでしょう?』

『それは…もち…ん、…って…を、しあわせに、と思ってはいるんだ』

『…ったら! …いでしょう? コルト先輩』

 近付くにつれハッキリと聞こえてくる男子生徒と女子生徒の声。

 密会現場に行きあたってしまったと慌てて身を隠せば、それが自分の兄とヒロインで固まる。

 ティモン殿下とだけでないなんて。

 まさか自分の兄まで手に入れようなどと考えている阿婆擦れだとは思わなかった。

 …そこは、あの子と違うのね。

 そう思ったところで、二股をかけられて棄てられた癖に何を言っているのかと嗤った。



「トリス様は、最近ティモン殿下のみならずコルト兄上とも仲が宜しいのですね?」

「いいえ! そんなことはないです。本当です!!」

 私の問いかけに、必死な様子でマリナが否定した。私の言葉に慌てる姿に、眉を顰めた。

 そうね、いま生徒会室に一緒にいるのは殿下のみで兄上はまだいない。

 汚らわしい。殿下だけに心を寄せるならまだしも、複数の男性を手玉に取るような真似をするなんて。

 私の強い視線を浴びて、目の前に座る愛らしい容姿をした妖婦が上目遣いに見上げる。

「もしかして、ヤキモチ、焼いてたりします、か?」

 イラッ。そう訊かれて不快度が一気に増加する。

「いいえ、まったく」

 できるだけ綺麗な笑みを形作る。

 我ながら、オリビア・プリングルという令嬢の所作の美しさと完璧さには舌を巻く。転生に気が付いてすぐ鏡を見ながら自分の顔を確かめてみて思ったのだ。

 前世である自分にはない、一切の無駄を感じさせない美しすぎる動作に表情。

 記憶の中にある、マナーの教師によるスパルタな特訓を思い出すだけで恐怖に背中が伸びるようだ。

 しかし、こうして意識が入れ替わってしまい緊張しながら生活をしてみると、私の入れ替わりに気づく人はまったくいなかった。不審に思われる事すらなかった。

 それだけ表面的な、浅い付き合いしかできなかった。そういうことだろう。

 淑女として生きることを求められるということは、そういう事なのかもしれない。

 そうだ。いっそゲームの中の悪役令嬢のように殿下に怪我をさせて自ら退場するのもいいかもしれない。

 いっそ殿下に怪我をさせなくとも不興を買って婚約を破棄されて、反省の意を込めて自ら修道院に行くと主張するのはどうだろう。神と女性だけの園で静かに暮らせるのは案外天国に近いものがあるかも。

 私の中で、この転生生活に諦めがついた気がした。


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