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花鬼~紅葉、燃ゆる~  作者: 光沢武
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八話

幸丸の乳母であった加代は、元は藤島家に仕える侍女だった。


加代は夫であった木島(きじま)(とう)吉郎(きちろう)が持病である肝ノ臓の病で亡くなってからは、長く、娘の藤乃を一人きりで育てていたのだが、元々、教養もあり、家老の木村壮一郎の遠縁の娘であった事から木村を頼りに、藤乃を実家に預けて、藤島家へ奉公する様になった。


加代は要領も良く、よく働く侍女であったので藤島家で重宝され、お美代が側室に決まると、やがて幸丸の御育てを任される乳母へとなった。

お美代の信頼も厚く、幸丸も加代によく懐いていた。

そして、数年後にはそんな母を頼りに、今度は娘の藤乃がお美代の侍女として召し上げられて、母娘揃って幸丸に仕える様になったのである。


それ故、東山の屋敷にお美代と幸丸が隠れる事になった際には、当然、加代と藤乃が御供を任されたのだが…結果は御覧の通り。


加代はお美代を亡くした事と、厳しい詰問が続いた事で体調を崩した為、幸丸の乳母を辞め、娘の藤乃を残して今は自宅で一人療養している。






「何?加代が私を訪ねて来た?」


文机に向かって教科書を開いていた幸丸は、多江からの知らせに本を閉じると、直ぐに加代を部屋に通す様に命じた。


幸丸が加代と会うのは実に、あの騒動以来の事である。


多江に案内され、勝手知ったる幸丸の部屋へと通された加代は、随分やつれた顔をしている。やはり、心身共に参っているのだろう。


「幸丸様、御久し振りで御座います。御元気そうで何よりの事。」


「ああ、加代は…少し、やつれたか。あまり無理をするものじゃない。…それで、今日は、どうした?」


「はい、実は、昨日の事で御座います。木村様が私の家へと参られまして、」


「…木村が?」


「初めは見舞いだと仰られました。私、療養中の身で、その上、一人きりの為、碌な御持て成しも出来ずに申し訳無いとお断りさせて頂いたのですが、何やら内々に大事な話があると仰られ、それが尋常では無い御様子でしたので、御話しを御聞きする事にしたのです。」


「加代と木村の二人きりでか?」


「はい、私と木村様の二人きりで御座います。」


「それで、木村は何と?」


「それが…」




木村の話は本町の薬種問屋、近江屋で盗まれたトリカブトの話だった。


兼元の命で、密かに近江屋の顧客台帳を手に入れた木村は、その名簿の中に泉屋の主である新兵衛と、加代の名前があったのを見つけたらしい。

近江屋は評判の良い薬種問屋であるからして、顧客の数も多く、無論、疑っている訳では無いと前置きをされながらも、こちらを窺う木村に加代は身震いしたと言う。




「…台帳の中に身内の名を見つけた木村こそが、驚き、慌てただろうな。」


「幸丸様!私は、決して、決して、その様な恐ろしい事はしておりません!」


加代の話を聞いてうっそりと笑った幸丸に、加代は顔を蒼白にして否定した。


「勿論、分かっている。加代がそんな事をする筈は無い。けれど、近江屋か…」


思案する幸丸に、加代は唇を震わせながら問い掛けた。


「…幸丸様、私達は、これからどうしたら良いのでしょう?」


「特に何も。今まで通り、家でゆっくりと療養しておれば良い。…大丈夫、近い内には何の憂いも無くなるよ。」


幸丸はすっかり背中の丸まってしまった乳母ににこりと微笑んで見せた。


「…折角だし、藤乃を呼ぼうか?加代が来ていると言えば、千代様も多少は融通してくれると思うから。」


「いいえ!いいえ!結構です。…私は、そろそろお暇させて頂きますので。」


「そうか、それは残念だ。」


未だ震える加代を見送り、幸丸は一人、加代から聞かされた近江屋の話を反芻していた。











「ふーん、加代様が来てたんだ。流石に土産は泉屋の菓子じゃ無いみたいだけど、この店の金鍔(きんつば)も美味しいねえ。」


加代が手土産に持って来た金鍔は、その名の通り刀の鍔の形を取った、円形の菓子である。上方で作られたこの菓子は元は銀鍔(ぎんつば)と呼ばれていたが、江戸で流行り始めると「銀より金の方が景気が良い」と言って、「きんつば」と呼ばれる様になったそうだ。

表面の皮の香ばしさと、中のしっかりとした餡が丁度良く口の中で交わり、「成程、こりゃ景気の良い味だわねえ」と赤い鬼は満足気に食べている。


「これは錦屋(にしきや)の金鍔だな。落雁の泉屋に対して、錦屋はこの金鍔が売りになってるんだ。…まあ、加代もあんな事があった後だし、泉屋においそれと顔は出せなかったんだろう。」


「おやまあ、藤乃様とは大違いだねえ。」


けらけらと笑った赤い鬼を()み付けて、幸丸は溜息を吐いた。

昼間、幸丸を訪ねて来た加代の様子を思い出す。

すっかり生気の無くなってしまった乳母の姿は、いっそ哀れでもあった。

けれど、幸丸の望みの為には、もう少し辛抱して貰わねばならない。

それに彼女もこの一件の当事者なのだから、文句は無いだろう。


「…何となく、事のあらましが見えて来た様にも思えるけれど、はっきりとした確証が得られないな。私自身の足で色々と調べる事が出来れば良いのだが…もどかしいものだ。」


幸丸は皿の上に乗った金鍔をぼんやりと眺めて呟いた。

そんな幸丸の顔を見やり、赤い鬼は呆れた顔で言った。


「何言ってるんだい、その為に、私がいるんだろう?坊が出来ない事を代わりに私がやる。その代わり、坊は私の望みを叶える。それが私達が出会った時の約束だったろう?だから、坊は素直に私を頼れば良いんだよ。」


赤い鬼が幸丸の額をぴしゃりと打って、その黄金色の目を細めて言った。

打たれた額がヒリヒリと痛んだが、心はすっかりと軽くなる。


「そうだな…うん、そうだ。それが私達の約束だったな。」


幸丸は赤い鬼に笑って見せると、皿の上の金鍔を食べ始めた。


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