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花鬼~紅葉、燃ゆる~  作者: 光沢武
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沙羅双樹の焼き団子(三)

最上の講義を終えた幸也は『招道館』内にある図書室へと足を向けていた。


紅緒の祖父の残した蔵書は確かに興味深いものが多かったが、かなり専門性の高いものであった為、読み解くには時間がかかる。

鬼界に来たばかりで右も左も分からぬ幸也にとっては、まずは子供の読み物程度の本で十分であった為、ならば『招道館』に所蔵されている本を読めば良いと、面談の日に白雲学長に勧められたのだ。


廊下を歩きながら、幸也は教室の様子を窺った。

外からでは中の様子は確認出来ないが、話し声の聞こえる教室が二部屋あり、他は無人の様だった。


白雲学長の話によると、現在『招道館』に通っている学生では、三年前に鬼界に来たのが直近の話で、その学生は室町時代から鬼界に嫁いで来たとの事。

幸也とはほぼ四百年ばかり生きて来た時代が違っている。

相手が女性と言う事でも、鬼界での生活に慣れるのには苦労しているのでは無いかと推察するが、つい先日、出産の為に休学届が出されたそうなので、幸也と『招道館』で出会う機会は暫く無さそうだ。


個別での講義である為か、図書室まで歩くのに誰一人として遭遇する事なく、幸也は目的の図書室まで辿り着いてしまった。

可能ならば自分と同じ様に鬼界へ来た者と言葉を交わしてみたかったのだが、と思いつつ、図書室の扉を開ければ、部屋の中は当然だが静寂に包まれていて。

部屋の奥に司書らしき男が座っていたが、幸也を一瞥するだけで面を伏せて書き物の続きを始めた。


幸也はぎっしりと書物の納められた書架を眺めながら、距離や時間、重さ等に関する本を探した。最上の講義を受け、距離の違いについて興味が沸いた為だ。

幸也の背よりも高い書架の列を歩きながら、幸也はそれぞれの棚に番号と題目が掲げられている事に気が付いた。番号については何の番号なのかは分からなかったが…後に図書分類法に基づいて振り分けられたものだと知った…題目を目安に室内を進んで行った。

膨大な書物の中、成程、これならば目的の本を探すのに然程、時間は掛かるまい。


「便利なものだな、」


感心して歩いた先、『二番・歴史』の一角で難しい顔をして本を捲る男が目に入った。

股引きを履き、黒い髪を刈上げた二十代半ばらしき男だ…尤も、鬼界においては見た目と年齢は比例しない事は周知の事実であるが。

男も幸也に気が付くと、黄金色の瞳を丸くして驚いている。

けれど、直ぐに幸也の元に足を踏み出すと、白い八重歯を見せて笑って言った。


「よう、坊主。おまえさん、紅緒先生の旦那だろ?」


「…そうですが、あなたはどなたですか?」


男の不躾な言葉にも、幸也は落ち着いて返した。

自分が紅緒の夫である事は、宗一郎の言う様に広まっているのだろう。

『招道館』に登校する為、一人で町を歩いていた幸也を見る者達の視線の中にもそれは見て取れた。


紅緒は少々…いや、かなりの菓子好きで慎みも()()()であるが、美しく、優しい女性だ。

そんな紅緒の夫に幸也の様な子供がなったと知れば、不快に思う者や面白可笑しく騒ぎ立てる者もいる筈だから。


「何でえ、ガキのくせに妙に達観した面してるじゃねえか。まあ、あの紅緒先生が選んだってえんだから、ただのガキじゃあ無いのかも知れねえけどよ。」


男は無精髭の生えた顎に手をやると、幸也を見ながら


「オレは辰三(たつぞう)、この町で簪職人をやってる。おまえさんと同じ、江戸から来た男さ。」


と、ニヤリと口元を上げた。


「江戸から!?」


「ははっ、どうだ?驚いたか?」


幸也が思わず声を出したのに、辰三は得意気に胸を張って片目を瞑った。

澄ました顔の幸也の表情が崩れたのが面白いのか、口元はニヤニヤと笑みを作ったままで。


「とは言っても、オレが暮らしていたのは寛永の時代で、おまえさんより百年以上前らしいけどな。」


「寛永…」


「そうさ。だけど、百年以上違えば、色々変わるもんだ。オレは見た通り教養も無いただの簪職人だし、お前さんとは年も違う。故郷を懐かしむ話し相手ってヤツをオレに求められても、御期待には添えられねえぞ。」


少々睨みを利かせた辰三の牽制に、戸惑いを見せた幸也を見据え、


「なーんて、おまえさんはどう見ても良い所の御生まれの様だし、オレみてえな男の話なんて(はな)っから興味は無いだろうがな。ははっ、あっちでこんな口の利き方してりゃ、無礼者!って斬り捨てられてるかもなあ!はははははっ!」


と、辰三は大きな声で笑ってみせた。

静かな図書室でのそれに、奥の部屋からコホンとわざとらしい咳払いが聞こえ、辰三は慌てて口元を抑え、人差し指を立てて「しー」と幸也を見下ろした。

そんな辰三に幸也は戸惑いを残したまま、それでもしっかりと頭を振って否定した。


「…そんなこと、致しません、」


「まあ、こっちでは身分なんてものは無いからなあ。でも、高貴な生まれのおまえさんからしたら、オレみてえな男にこんな態度されりゃ、腹が立つんじゃねえか?」


「確かに私は旗本である藤島家の元で生まれましたが、妾腹の子です。それに、私自身が何かを成し遂げて得た身分でも無い。まして、あなたの言う通り、こちらには身分の差は無いのです。そんな私が、こちらで簪職人として身を立てて生きているあなたに対して身分を笠に何かを物申す等、出来る筈も無い。」


きっぱりと言い切った幸也を、辰三はパチリと一つ瞬きをして「ふうん?」と幸也の顔を覗き込み、白い八重歯を見せてニンマリと笑った。


「うへえ、何処ぞの武家の御子息だとは思ってたけど、旗本と来たか!しかも、妾腹?…そりゃまた、お世継ぎの問題とか色々と揉めたんじゃねえのかい?」


「それは…、」


辰三の核心を突いた問い掛けに、幸也は当然ながら言い淀んだ。

何もかも捨てて鬼界へやって来た身ではあるが、同郷とは言え、何処までをこの見知らぬ男に話して良いのか分からない。同郷の者と話してみたいと思っていたが、まさかこんなに急に、自分でも未だに思い出すだけでも辛い、自身の身の上話をする事になるとは思ってもみなかったのだ。


そんな幸也の葛藤を見やり、辰三は「おまえさんも苦労してここに来たんだな」と一つ頷いて「だけど、苦労話ならオレも負けねえぜ?」と笑って続けた。


「オレは孤児(みなしご)で親の顔も知らないまま育ったんだ。そりゃもう野良犬以下の生活で、身分のある御方からは面白半分で追い掛けられ、斬り付けられたりもしたもんさ。だけど、昔から手先が器用だったのと、運も良かったんだろうな、ある時、腕利きの飾り職人の親方に拾われてな、その人の元で修行させて貰える事になったんだ。」



辰三の親方は江戸の町でも五本の指に入ると言われた飾り職人で、そんな親方の元で仕込まれた辰三もめきめきと腕を上げて行き、工房に入って数年も過ぎた頃には辰三の作った簪は若い娘の間で評判になっていた。

次第に町人の娘だけでなく武家の娘にも名は知れ渡り、辰三の元には多くの依頼が舞い込んで来る様になったが、辰三は未だ独立をせず、恩義ある親方の元で働いていた。

親方もそんな辰三を認め、娘と辰三を添わせ、後を継がせるとまで宣言していた。


思えばこの頃が、辰三にとって人の世での最も幸福な日々だったろう。


恋に仕事に、心身ともに充実した生活を送っていた辰三だったが、ある日、辰三の暮らす長屋に役人が押しかけて来た事で一転する。

訳も分からず縄に縛られた辰三が番所に着いて聞かされたのは、辰三に金貸しの男を殺害した容疑が掛かっていると言う信じられない言葉。

何かの間違いだと訴える辰三に、役人は懐から簪を出して告げた。


現場に辰三の作った簪が落ちていた、と。



「…あなたが作ったからと言って、下手人にされるのは可笑しな話では無いですか?あなたの簪を買った誰かかも知れないのに。」


「ところが、その簪はまだ製作途中の物で売りに出してはいなかったのさ。」



製作中の簪は工房に置いていたと言う辰三の話を役人達は聞かず、酷い責めを受けながらの尋問は続き…このまま責め殺されるのではと思っていた時、真犯人は見つかった。

博打の借金に首が回らなくなり、金貸しに金を借りたが期限までに金を返す事が難しくなり、どうにか待って貰う様に頼み込んだが断られ犯行に及んだそうだ。


辰三の恩人とも言える、親方が犯人だった。



「親方はカッとなってやった訳じゃなかった。初めからオレの簪を懐に忍ばせて、金貸しの家に行ったそうだ。」


「…どうして、そんな事を、」


「親方のお嬢さんに泣きながら言われたよ、親方はオレの才能を褒めてはいたが、同時に憎んでもいたんだとさ。」


これから老いて行く一方の自分と、すくすくと育つ若木の様な辰三と…親方は自分が見出し育てたと言う誇らしさと喜びの裏で酷い嫉妬の炎に身を焼かれていた。

そうして、その身を全て焼き果たした時、親方の中で何かが壊れ、凶行に及んだのだろう。


「オレは何も知らなかった。親方が博打で首が回らなくなっていた事も、金貸しに金を借りていた事も…オレを殺しの下手人に仕立て上げたい程、憎んでたってことも。親方はオレの前では、いつだって『親方の顔』をしてたんだからよ、」



見事、冤罪を晴らした辰三だったが世間での評判は回復する事なく、寧ろ、親方が捕まった話と共に面白可笑しく騒ぎ立てられた。

当然、親方の娘との話は無かった事になり、辰三自身も仕事に打ち込む事も出来ずで酒浸りの日々が続いたのだが…



「まあ、そんな時によ、かみさんに誘われてこっちに来る事になったんだ。」


「…え?」


色々と話を飛ばし過ぎてはいないだろうか?と突然纏められた話に、幸也は思わず辰三を凝視してしまったが、辰三は気にする事なく幸也の肩を叩いて続けた。


「正直、惚れた晴れたじゃなかったけど、あっちで生きて行くのも辛過ぎてな…まあ、逃げて来た訳だ。」


「逃げて来た…」


「ああ、何もかも捨てて逃げたんだ。それでも、こっちに来ても直ぐには立ち直れなくてな。暫く、グダグダしてたんだけど、まあ、かみさんにケツを叩かれたって言うか、勝手にケツを叩かれた気分になったって言うか…かみさんは髪結いを職業にしてるんだが、かみさんの髪も綺麗な絹の様な髪をしててな、その髪を見てたらオレの簪を挿した姿が見たくなったのさ…で、また簪を作ってみようって気分になって現在に至るって訳だ。」


八重歯を見せて笑った辰三に、幸也は酷く似通った自分の境遇を重ねた。

言葉に詰まる幸也を、辰三は笑みを深めて言った。


「どうにもならなくて逃げた先だったけど、今じゃあ、何とかこっちでも楽しく暮らしてる。オレにはかみさんがいて、一人じゃないからな。おまえさんだってそうだろ?」


そう言って大きな声で笑った辰三に、やはり奥の部屋から咳払いが聞こえ、慌てて口元を覆って「だから、何とでもなるもんさ!」と声を潜めて辰三は宣言する。


逞しく図太い男の声に、幸也は励まされた気持ちがして素直に頷いた。








辰三の話を聞いた後、図書室で本を借りて校舎を出た処で幸也は足を止めた。

五日前、紅緒と一緒に見た沙羅双樹が目に入った為だ。

本日、登校した時には、初めて受ける講義の事で頭が一杯で花を見る余裕は無かったのだが、何とかそれも終えて、漸く肩の力が抜けたのだろう。


一日咲きの夏椿の花は当然ながら既に苔の生えた地面に落ちていて、真白い花が幸也の目に映る。幸也は紅緒に語った平家物語の冒頭を思い浮かべていたが、そんな幸也の背中から、しゃがれた声が掛けられた。


「そんな所に突っ立ていちゃ、通行の邪魔だよ、坊や。」


驚いて振り向けば、杖を付いた老女がギロリと幸也を睨んでいる。

幸也は慌てて「申し訳ありません」と道を譲ったが、老女は鼻を鳴らすだけで前に進もうとはしない。そもそも門から『招道館』に続くこの道は広く、幸也が立ち止まっていたからといって通行の邪魔にはならないのだが。


幸也を見上げたまま動かない老女に、幸也は困惑したまま「では、」とその場を立ち去ろうとしたが、老女は幸也の行く先に体を動かして、それを遮った。

ますます困惑する幸也に、老女は「おまえさん、紅緒ちゃんの夫なんだって?」とカラカラと笑う。


「…そうですが、あなたはどなたですか?」


本日、二度目の台詞である。

この言葉も常套句になりそうだな、と思いながら、幸也は老女に問い掛けた。


「あたしの名前は絹だよ。うちの倅から紅緒ちゃんの話を聞いてね、あんたにわざわざ土産を持って来てやったのさ。」


と左手に持っていた風呂敷を幸也の前で振った。

幸也は眼の前で揺れる風呂敷と絹を交互に見やって目を丸くした。


「学園長の御母堂でしたか、失礼しました」


幸也が礼を取ると、絹は再度鼻を鳴らして不満気に言った。


「御母堂なんて仰々しい言い方をするんじゃないよ。あたしの名前は絹だ、絹って呼びな!」


「申し訳ありません、絹さん、」


「そうだ、それで良い!」


絹はカンカンと杖を鳴らすと、幸也に風呂敷を押し付けた。

幸也は押し付けられた風呂敷に首を傾げる。


「あの、これは?」


「焼き団子さ。紅緒ちゃんがあたしの焼き団子をどうしても食べたいって駄々をこねてたって倅から聞いてね。そんなに食べたいって言うのなら、食べさせてあげようかって思ったから作って来たんだ。」


「それは…ありがとうございます。」


五日前の紅緒の()()を思い出して幸也は顔を赤らめ、絹に知らせた白雲学長を少々恨みつつ、礼を言った。


「あんたの分もあるから紅緒ちゃんと一緒に食べると良いよ。その代わり、あたしが紅緒ちゃんに焼き団子を作った事は誰にも言うんじゃないよ。自分にも作ってくれってせがまれるのは面倒だからね。」


絹が嫌そうに顔を顰めるのに、幸也は少しだけ笑ってしまった。

きっと、紅緒の様に駄々をこねる元常連客が多いのだろう。それ程に「絹さんの焼き団子」は愛されて来たのだ。


幸也が風呂敷をしっかりと受け取り頷いたのを見て、絹もニヤリと笑って頷いた。

そうして、幸也の隣に立つと、先程の幸也と同じ様に夏椿の花に目をやった。


「坊や、さっき、あの夏椿の花を見てたね?何か珍しいものでも見つけたのかい?」


「いえ、ただ、平家物語の冒頭を思い出していました。」


「ああ、祇園精舎の鐘の声ってヤツか。」


絹が肩を竦めて言ったのを、幸也はくすりと笑って聞いた。

鬼界では平家物語は誰もが知っている物語の一つなのだろうか?


「落ちた椿の儚さに盛者必衰の憐れを思うって?ふん、馬鹿馬鹿しい話だね。」


「馬鹿馬鹿しい、ですか?」


「ああ、そうさ。あんた、あの落ちた夏椿を見て憐れに思ったかい?」


幸也は絹が指差したのを目で追い、白い花をもう一度見やった。

緑の苔の上にある夏椿は陽光を受けてキラキラと真白に咲いて、地面に落ちても尚、輝いている。


「…美しいと、思います。」


幸也は素直な心で、そう告げた。


「そうだろう、そうだろう!花なんてもんはね、大体が儚さなんて無縁のしぶとい生き物なんだよ。あたしは、そのしぶとさが綺麗だって思ってるんだ。」


絹は皺の寄った目尻を細めて口元を上げた。

そうやって笑った絹の顔は意地悪そうな見た目であるのに、不思議と優し気に幸也の目に映る。


「固い蕾のいじらしさも、美しく花開いた時も、地面に落ちた後も、そうして腐り、養分となって土に返っても、花は全部綺麗なもんさ。見習いたいもんだよ。」


そよりと吹いた風に、地面に落ちた夏椿の花が揺れる。

よく見れば白く輝く花の中に朽ちて色褪せた花もあったが、それすらも幸也の目には美しく映った。


何故だか辰三の顔が目に浮かび、幸也は笑ってしまった。


―ああ、確かに美しい光景だ。




絹と別れ、家路の途中に幸也は絹から受け取った風呂敷に目を落とした。


家を出る時、紅緒は『招道館』で学んで来た幸也の話を楽しみにしていると見送ってくれたが「絹さんの焼き団子」と、はてさて、どちらが喜ばれるだろうか?


「…きっとあの人なら、団子を食べながら、私の話も喜んで聞いてくれるのだろうな、」


『招道館』での初めての講義の事、最上と言うやたら人の世に詳しい講師の事、幸也と同じ江戸から来た簪職人の辰三の事、紅緒と幸也の為に焼き団子を持って来てくれた絹の事…


団子を頬張り幸也の話に耳を傾けて笑う紅緒の姿が目に浮かび、幸也の家路に向かう足は自然と早まるのだった。


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