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花鬼~紅葉、燃ゆる~  作者: 光沢武
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沙羅双樹の焼き団子(二)

『招道館』の講義体制は基本的に個別指導で開かれている。

勿論、懇談会等の元が人間であった者同士が交流出来る場は設けられているが、それでも講習事態は学科と学習時間を選び、指導者を指名して申請する決まりとなっていた。


学生の皆が一様に鬼界で暮らし始めるでも無く、また、同じ時代を生きていた訳でも無い為に、それぞれの基礎知識の差等を考慮して、この様な体制を取らざるを得ないのだ。


『招道館』に勤務する講師は臨時講師を含めると現在は二十七名。

学科は社会、語学、生活一般、実技の僅か四科目だが、実技はある程度の知識を得てからの実地での講習となっていた。


社会では鬼界の歴史・地理・経済、語学では言語と文字が主な教科内容となっており、人の世でのそれと然程、変わらない。重要なのは生活一般で、これはそのまま鬼界で生活するに当たっての一般的に必要な知識を学ぶ為の講習だった。

その為に生活一般とされているが、細かな項目に分かれていて、履修手順が細かく決められていた。


幸也は白雲学長と面談をした日、講義内容の説明を受けた帰りに、早速、受講の申請を出す事にした。少々悩んで幸也は社会を選択した。


語学に関しては、鬼界が江戸の町を参考にして作られている為か、文字も難なく読む事が出来て緊急性を感じない。では、生活に直結する常識を学ぼうかとも思ったが、幸也は己がこれから生きて行く鬼界がどの様な場所なのか知っておきたいと思ったのだ。






「鬼界とは、例えば、四角い水槽の中に浮かぶ島の様なものです。」


机の上に置いた水槽を指して言ったのは、社会科の講師である最上(もがみ)の二鬼だ。


指名制とは言え『招道館』に通うのが初めての幸也には、二十七名の…社会科の講師は内、六名だが…特徴は分からない。学園内に知り合いもいない為、講師の評判も分からなかったので、受付の女史に勧められるまま申請したのだが、最上は痩せた体に眼鏡をかけた青白い顔の不健康そうな男だった。


「幸也さんが暮らしていたのは寛政から文化年間と聞きましたので、江戸の中期頃ですね。旗本の御子息との事ですから、この時代の学問や世上にもそれなりの教育を受けていらっしゃったと思いますので、それを踏まえて講義を始めさせて頂きます。」


幸也が「はい」と返すのに、最上は「では」と教本を開いて続けた。


「江戸に幕府が開かれる頃には「天球論(てんきゅうろん)」や「(こん)輿()万国(ばんこく)全図(ぜんず)」を通じて、地球が球体である事は少しずつ認知されて行きましたが、それも禁教令や禁書令、鎖国の影響で舶来品の輸入が禁止され、西洋の知識の浸透は上手く行かなかったとか。しかし、享保五年に禁書令が緩和され、再び西洋の知識は世の中に広く知られて行きます…幸也さんも日の本を含めた世界が球体であると言う認識はされていますよね?」


「はい。(ひら)住専安(ずみせんあん)の「唐土訓蒙圖彙(もろこしきんもうずい)」や中西(なかにし)敬房(たかふさ)の「渾天(こんてん)民用(みんよう)晴雨(せいう)便覧(びんらん)」にも天体図や地球儀の図は載っていましたから。それに、実際に見た事はありませんが、天文学者の渋川(しぶかわ)春海(はるみ)が日の本でも初めて地球儀を作っています。」


「そうですね、渋川春海は「坤輿万国全図」を参考に地球儀を作ったみたいですが、その後の…元禄年間ですから、幸也さんは御存知かも知れませんが、仏教的世界観を融合させた地球儀を作った()(じゅう)園院(おんいん)(そう)(かく)と言う住職もいました。彼はこの地球儀に仏教における架空の山、須弥山(しゅみせん)を地球儀の上部に置いて、仏教的観点から世界を見ていたのでしょう。まあ、実際の大陸の描写とは大きく異なる点もありましたが、それは須弥山の位置からそう書かれたものだと考察されています。そうそう、平住専安と言えば、家督を譲って隠居となってから大阪に移り住み医師として開業して生計を立て、学問を教える傍らで著作に励んだそうですね。学問を志すのに年齢は関係無いとのその姿勢に、私も至極、感銘を受けます。そうして、幸也さんが先程仰った「渾天民用晴雨便覧」もその時に書かれたもので…、」


幸也は最上の饒舌な言葉に頷きながら手元の教本に目を落とすが、最上の述べたものは一つも載っていない。最上が持っている教本と幸也の物と全く同じであるにも関わらず、だ。

内心で「これは鬼界の歴史と言うよりも、日の本の歴史では無いだろうか?」と首を傾げた。最上の知識を称賛すべきか判断に迷う処だ。


幸也からの微妙な空気を感じたのか、最上は青白い顔を少しだけ赤らめるとコホンと一つ咳を払って「鬼界が球体では無いと言う事を説明したかったのですが、少々話が逸れてしまいましたね、すみません」と、再度、机の上に置かれた水槽を指さした。


水槽には魚はいないものの、大きな浮草の丸い葉が一枚浮かんでいる。


「…つまり、この水槽に浮かぶ水草が鬼界にある大陸です。水槽の四面にある硝子は門ですね。」


「門、ですか?」


「ええ、界渡りの門の亜種の様なものと思って頂ければ良いかと…大海を航海した先にあるのは、目に見えぬ門なのです。但し、界渡りの門と違って行く先は分かっています。南の海の門を潜れば北の海へ繋がる門へ、西の海の門を潜れば東の海へ繋がる門へと出ます。要は、海にある門は羅針盤の示す針と逆の門へと繋がっているんです。」


最上が硝子の四面に指を這わせて言うのに、幸也は暫し思案すると眉を顰めて最上に尋ねた。


「…それは、便利な門だとは思いますが、仮に戦が起こった場合はどの様に国を守っているのでしょうか?それに、その海にある門は陸地からどの位離れた場所にあるのですか?」


「距離に関しては…そうですね、幸也さんが暮らしていた時代ではまだ本格的な海上測量は行われていないので二百海里と言っても分かりませんよね?」


「にひゃく、かいり…()、では無く?」


幸也は聞きなれぬ単位に首を傾げた。


「二百海里とは後の世で言う排他的経済水域と同じ距離で、幸也さんに分かりやすく説明すると、大体、江戸から京までの距離と言った処ですね。距離や時間の単位については、生活一般の講習で学ぶと思いますので、今回は詳しい説明は省かせて頂きますが、実は、この門は二百海里で開く時もあれば、それ以上先で開く時もあるのです。まあ、二百海里以内で開く事は無い様ですが、」


「どう言う意味でしょうか?」


「門に関しては正直分からない事だらけなので、私も上手く説明は出来ないのですが、現在、分かっている事だけで言うのなら、海上の門は固定されている訳では無いのです。常に変動している。なので、実際には便利な門と言う程、便利では無いのですよ。寧ろ、戻って来られない場合もあるので、余程の理由が無い限りは二百海里以上を航海するのは禁止されています。」


「では、海上の門を戦に利用する事は不可能なのですね?」


「はい…と、言うよりも、鬼界では幸也さんの思っている様な国盗り合戦が起こる事はほぼ在り得ません。どうしてだか分かりますか?」


最上は幸也に問い掛けると、幸也が思案する間に眼鏡を外して懐の手拭いで拭った。

幸也は日の本の歴史を思い浮かべて考察したが、的確な答えを導き出すのは難しそうだ。


江戸に幕府が開かれる以前、日の本では何度も国を挙げての戦があったが、幸也の暮らした江戸時代は世に言う、天下泰平の時代である。小競り合いや一揆は何度となく起こっているが、それでも徳川の時代は揺ぎ無いものだと思っていた。


だが、こちらに来てから日の本の未来を知り、江戸は無くなり、戦国の世と変わらず多くの戦が起こった事を知った。戦とは時代の転換期には起こるものらしい。

きっと、鬼界においてもそこに変わりは無いだろうと思っていたのだが…


それでも最上が断言する様に、恐らく、永い時代を歩んで来ただろう鬼界において、戦が起こらない事が在り得るのなら、


「…絶対的な統治者が国を治めているから、でしょうか?」


幸也は畏怖を感じずにはいられなかった義父を思い浮かべて言った。

幸也が何処かの国の主であったとして、あれ程の人物が治める国に攻め入ろうとは思わない。

最上は眼鏡を掛け直すと、幸也の答えに首を振った。


「いいえ、違います。幸也さんはこの鬼界の大陸については、どれ位、知っておいでですか?」


「東西南北に四つの国の様なもので分けられていると、それ位です。」


幸也の知識は紅緒に聞いた話と書斎にあった鬼界の地図だけである。

だからこそ、最上の講義は知らない事ばかりで興味深い。


「確かに鬼界には四つの国の様なものがありますね。しかし、正確に言うと、鬼界には国はありません。四つの土地は四鬼家が暮らしていると言うだけで、鬼界は唯一つの大陸なのです。」



幸也が現在暮らしている西の地・宇和灘は、鬼界の神が最初に海中より糸を垂らして引き上げた地だとされているが、その糸は三日間、霊峰に巻き付いたまま現在の大陸を引き上げた。

そうして神は男女の鬼人を作り、彼らの子供達に氏と土地を与えた。


西の地、宇和灘には長男である鏑鬼を、

東の地、弦祇(つるぎ)には次男である(おに)()()を、

南の地、鈹裡には長女である鬼對(きつい)を、

北の地、大胡(おこ)(ひら)には次女である(かさ)()を、


それぞれに住まわせ、その血族の当主を『楔』として置いた。

『楔』がいる限り、その土地は安定するだろうと、そう告げて。



「…ならば、それぞれの土地を与えられた『楔』が統治者では無いのですか?」


以前、紅緒にも同じ様な事を尋ねて笑われた事を最上に言うと、最上も苦笑してそれを否定した。但し、幸也の無知を笑った訳では無く、紅緒が笑った意味を察した為の様子だ。


「幸也さんの義父でもある現在の鏑鬼の当主殿は…う~ん、まあ、見たまんまの御人ですからねえ。公方様と同じだなんて言ったら、確かに物凄く嫌がりそうですね。…でも、ちょっと見てみたいので、幸也さん、当主殿に言ってみませんか?」


「お断りさせて頂きます。」


「そうですか、残念です。」


最上の冗談をきっぱりと断った幸也に、最上は笑って続けた。


「神の作った鬼界は神のものです。鬼人に与えられたからと言って、神のものを統治する事は出来ません。『楔』はあくまで神の土地を安定させる為に置かれたものと言うだけです。なので、我々はどちらかと言えば民主主義…そこに暮らしている者から代表者を選んで、皆の意見を取り入れて暮らしを良くして行く様にしているのです。まあ、その代表者には四鬼家の者が務める事が多いので、人の世から来た方々は、最初、彼らを統治者の様に誤認する者も多いですが。」


幸也は無神論者では無いが、それでも鬼界における神と言う存在が、こちらでは確固たる存在である事は分かった気がした。勿論、気がしただけで、充分に理解しているとは言えないけれど。

最上も、こればかりは種族的な意識の差があるので、初めから根本的に理解する事は難しいのだと告げて、幸也の質問の答えに戻った。


「仮に鬼人が治める国があったとして、国盗り合戦が起こらない理由は簡単ですよ。我々鬼人は、生まれた土地を離れると月日の経過とは別に妖力が弱まるのです。戦の起こる大きな理由の一つは、領土を広げる事でしょう?けれど、広げて自分達の物にしたとしても、余程、上手い事やらないと、そこでは自分の妖力を振るえず満足に統治する事は出来ません。力で奪った土地は、直ぐに力で奪い返される事になるでしょうね。」


教室の開いた窓から風が入り、水槽に浮かぶ浮草が揺れる。

今度の最上の言葉は、幸也にも直ぐに理解する事が出来た。

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