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花鬼~紅葉、燃ゆる~  作者: 光沢武
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沙羅双樹の焼き団子(一)

「沙羅双樹の花が咲いているな、」


梅雨の時期、門の脇で道行く者達へと顔を覗かせていた紫陽花は既に剪定され、緑の葉が陽光を浴びて輝いている。門を潜り『招道館』の看板が掲げられた白い二階建ての学び舎へ行く途中、校舎の脇に見えた夏椿の花に幸也は目を細めた。


「兵どもが夢の跡だっけ?」


隣を歩く紅緒が言うのに、幸也はクスリと笑って首を振る。

まさか鬼界でそんな言葉を聞くとは思ってもみなかった。紅緒は自分の事を博識では無いと言っていたが、案外、そうでは無いのかも知れない。

ただ、残念ながら、


「それは芭蕉だな。沙羅双樹は平家物語の方だ。尤も、平家物語に出て来る沙羅双樹は夏椿の事で、正確に言えば、沙羅双樹とは全くの別物らしいが。」


「へえ、そうなんだ。何でそんな間違いが起こったんだい?」


「仏教には三大聖樹と呼ばれるものがあって、その中の一つが沙羅双樹なんだ。だが、沙羅双樹は日の本では育てられない為、代替えとして寺院に植えられたのが夏椿だったらしい。」


「成程、それで、平家物語では沙羅双樹とうたわれたんだね。」


「ああ、夏椿の花は一日咲きで、夕方には花ごと落下する。その姿に、どんなに栄華を誇っていても、何れは衰える世の中の無常をうたったのだろうな。」


「祇園精舎の鐘の声、か。うん、懐かしいなあ。」


説明を続ける幸也の背中からそんな声が掛けられ、振り向けば、狸顔の中年の男が細く垂れた目を一層細めて、うん、うんと頷いていた。

幸也がパチリと瞬きすると、男は「ああ、これは失敬、失敬」と頭を下げて、


「僕は柄本(えもと)宗一郎(そういちろう)と言います。この町では仕立て屋を営んでいて、君と同じ元は人間だよ。どうぞ、よろしく。」


と、愛嬌のある顔でニコリと笑った。

幸也は宗一郎の「元は人間」と言う言葉に驚いた。幸也も鬼人となってからは、耳は天を向く様に尖り、頭部には白銀の角が生え、瞳も紅緒と揃いの黄金色に変わったが、宗一郎もまた、少々狸顔ではあるものの何処から見ても鬼人の姿、形をしている。義母の美奈子もそうであるが、言われなければ元が人間であったとは思えない。


「おやまあ、宗一郎さんが『招道館』に来るなんて珍しいじゃないかい。今更、ここで学ぶ事も無いだろうに。」


「いや~、そうでも無いよ。人生はいつだって学ぶ事だらけさ!」


朗らかに断言する宗一郎に、紅緒は話半分で肩を竦めると、幸也に改めて宗一郎を紹介した。


「宗一郎さんがこちらに来られて、そろそろ三十年でしたっけ?…宗一郎さんとこの仕立て屋には、うちの五鬼も世話になってるんだよ。」


紅緒の妹である五鬼は右足が不自由な為、出来る仕事が限られている。

本人曰く、それ程器用な(たち)では無かったが、病床の気を紛らわす為にと紅緒が持って行った道場の門下生達の稽古着の繕いから始め、次第に腕が磨かれて行った事から、これは、と思った紅緒が紹介したのが、宗一郎の営む仕立て屋だった。


「いや~、五鬼さんには、うちも随分助けられてるから。紅緒先生には良いお針子さんを紹介して貰ったって、瑠璃(るり)も喜んでたよ。」


「おやおや、もう私の真名を知ってるんですか?流石、早耳ですねえ。」


「僕が早耳と言うより、うちには噂好きのお喋り狐がいるからね。でもまあ、紅緒先生は有名人だから、瑠璃じゃなくても直ぐに真名の事は知れたんじゃないかな?良い真名を頂いたって、評判だよ。」


「うふふ。だってさ、幸也?」


紅緒が笑いながら、幸也の頬を指で突くのに、幸也は顔を赤らめて直ぐに距離を取った。

以前から思っていたが、紅緒は少々…いや、かなり、慎みが足りていないのでは無かろうか。

宗一郎が面白そうに、細く垂れた目を益々細めて眺めているのに気が付いた幸也は、コホンと一つ咳を払い、


「私は、幸也と申します。見ての通りの若輩者ですが、よろしくお願い致します。」


と、既に常套句と化した挨拶を口にした。


「これはこれは、御叮嚀に。幸也君は、お若いのにきちんとしているねえ。僕が君くらいの年の頃には、反抗期真っ只中だったよ。」


「おや、宗一郎さんにも、反抗期なんてもんがあったんですねえ。」


「そりゃあ、こう見えて、若い頃には色々あったからねえ。僕なんて特に反抗期だらけだったさ。あはははは。」


宗一郎が声を上げて笑うのに、紅緒も面白そうに「うふふ」と笑っている。

幸也は二人の気安い遣り取りを見ながら、多少の子供扱いを感じつつも、宗一郎が自分を見て、紅緒の夫だと言う事を当たり前に受け止めている事に、内心で驚いていた。


暫く、そうやって立ち話をしていた幸也達であったが、本日の予定は『招道館』への入学の手続きをする事である。

草履のまま校舎に入り、入館手続きを済ませると階段の前で「僕は上に用があるから」と宗一郎が言うのに別れを告げて、紅緒と二人で廊下の奥へと進んだ。


「先に必要な書類はまとめて提出しといたから、今日は学長との面談だけだね。あんたも疑問に思った事は遠慮せずに聞いておくんだよ。」


「ああ、分かっている。」


幸也が頷いた処で、紅緒は窓口にいた若い女性に要件を告げた。直ぐに書類が手渡され、左にある部屋へと通された。

部屋の前で草履を脱いで室内に上がれば、紺色に前髪の一房だけ白の混じった壮年の男が一人、机の前に座っている。

男は紅緒と幸也を認めると、榛色の瞳を細めて、


「ようこそ、『招道館』へ。私はこの学び舎の学長を務めます谷中(やなか)白雲(はくも)と言います。どうぞ、こちらへお座り下さい。」


と、二人に座席を勧めた。

会釈をして紅緒と幸也が座り、先程の女性が三人に茶を差し出して退出した処で、白雲学長は書類を広げて「さて、」と話を始める。


「では、事前に頂いたこちらの申込書に相違が無いか確認させて頂きますので、御名前から生年月日、年齢と元の御住まい、職業や身分、それから鬼界に来た日付を御聞かせ下さい。」


「…藤島、幸也と申します。寛政十一年十一月二十七日生まれ、年は…こちらでは不足になりますが、先日、十五となりました。元の住まいは江戸、麹町です。身分は九千石の大身旗本である藤島家の…妾腹の子として暮らして参りました。鬼界に来たのは先月の十五日です。」


「年齢の不足を理解していると言う事は、幸也さんはこちらの暦を既に御存知の様ですね。あちらとは随分と違うので驚いたでしょう?」


「はい。見る物、ほぼ全てに既視感を覚えるのに、当然ですが、根本的には違う世に来たのだと、暦の話を聞いた時に驚きました。」


「こちらは江戸時代を参考にしていますからね。だが、あちらと生活様式にそれ程の違いが無いと言う事は、幸也さんにとっては良かった事だと思いますよ。生まれた時代によっては、こちらの暮らしは不便に感じる方もいらっしゃいますから。」


白雲学長の言葉に、幸也は「確かに、」と頷いた。

紅緒の祖父が残した書斎には、江戸以降の時代についての蔵書も置いてあり、幸也も幾つか手に取って読んでみたが、幸也が暮らしていた時代に比べて信じられない程に高度な成長を遂げていた。白雲学長の言う通り、そんな時代で暮らしていた者がこちらに来たならば、さぞかし不便に感じるだろう。


「寛政十一年生まれと言う事は、西暦1799年ですか…この学び舎に通われている方の中で、幸也さんと生まれの近い同郷の方は残念ながら現在はいませんが、うちでは定期的に二階の一室を解放して同窓生を含めた懇談会等も行っているので、時期が合えば、それに近い同郷の方にも会える事でしょう。」


「私と同じ時代に生きた方が、こちらにはいらっしゃったのですか?」


「ええ、全く同じとはいきませんが、それに近い方が何名かいらっしゃいましたよ。中には町を離れて住まいを移された方もいらっしゃるので、懇談会に参加される人数は少なくなりましたが。」


白雲学長が机に広げた年表と名簿を確認しながら言うのに、幸也は「そうですか」と返して、一つ息を吐いた。

幸也と同じ時代を生きた者がいるならば、どうやってこちらの生活に馴染んで行ったのか、先達に学べるのならば、その言葉を聞いてみたい思いもあったが、少ない機会とは言え、全く無い訳では無さそうだ。


「その懇談会ってやつは、もしかして、今日もやってるんですか?」


それまで黙って話を聞いていた紅緒が、白雲学長に尋ねると、彼は「ええ」と頷いて、それを肯定した。

紅緒は白雲学長の答えに得心した様に頷くと、二階を指して言った。


「さっき、そこで仕立て屋の宗一郎さんに会いましてね、二階に用があるって別れたんですけど、懇談会だったんですねえ。」


「ああ、宗一郎さんは懇談会の常連さんですから。懇談会は強制では無く、希望者のみの会です。酒こそ出ませんが、簡単な料理や菓子が振舞われ、半年前から私の母の焼き団子も御出しするようになりましたから、宗一郎さんは、それが目当てで通ってるんですよ。」


白雲学長が笑いながら言うのと、紅緒が「(きぬ)さんの焼き団子っ!?」と大声を上げたのは、ほとんど同じで。紅緒は身を乗り出すと、白雲学長に迫って言った。


「懇談会には私も参加する事は出来ますか!?」


「紅緒さんは、うちの生徒さんでは無いですから無理ですね。…そもそも、あなたは生粋の鬼人では無いですか。」


「なら、幸也の同伴者としては!?」


「駄目です。」


「そこを、何とかっ!!」


「駄目ですね。」


「ううっ、絹さんの、焼き団子…、」


さめざめと嘆く紅緒と、ニコニコと微笑みながらもきっぱりと拒否する白雲学長の姿を、幸也は呆気に取られたまま眺めていたが、何とか立ち直った紅緒が「すまなかったね」と一言詫びて、特に求めていた訳でも無い「絹さんの焼き団子」について熱く語り始めたので、幸也はつい真顔のまま聞いてしまった。


紅緒の話によれば、白雲学長の母である絹は『招道館』の裏門を出て直ぐの土地に、長年に渡って茶店を出していたそうだ。


名物は勿論、焼き団子。


絹の店で出される焼き団子は陸稲(おかぼ)を引いた粉を練って団子を作り、四つの団子を串刺しにしてから炭火で焼いて、醤油で味付けされた実に素朴な焼き団子だった。濃厚な醤油の風味と、ムチムチとした歯応えのある焼き団子は『招道館』で学業を終えて小腹の空いた生徒達に人気で、帰りに寄って食べて行く者が多く、謂わば『招道館』に通う者に取っての思い出の味であり、お袋の味なのだが、菓子好きの紅緒に取ってもそれは同じで、出稽古等で町を訪れる時にはかなりの頻度で通っていた。


だが、絹の店は絹が一人で切り盛りしていた為、高齢になると商売をするのも難しくなり、二年前に多くの人に惜しまれながら店は畳まれた。

もう二度と「絹さんの焼き団子」を食べる事が出来ないのだと、残念に思ってたと言うのに…


「まさか!こんな所で!!職権乱用ならぬ縁故乱用をする人がいるなんて、思いもしなかったよ…っ!!」


食い物…いや、菓子の恨みは恐ろしいぞ!とばかりに紅緒が恨みがましく白雲学長を詰るのに、流石に幸也も「やめなさい」とそれを止める。

白雲学長はにこやかに微笑んだまま、


「縁故乱用だなんて、そんな事してませんよ。懇談会の差し入れの話は母から言い出したんです。店を切り盛りするのは流石に難しくはなりましたが、母も隠居したとは言え、まだまだ元気ですからね。」


と告げた。

白雲学長の言葉に紅緒はがっくりと肩を落とし、幸也は呆れた溜息を吐き出した。

一体、何をしに『招道館』に来たのやら…


不満気な顔の紅緒を置いて、幸也と白雲学長は話を続ける。

講義の内容や学費について、幸也は疑問に思った事の全てを聞いた。


そうして、幸也が『招道館』に通う日が、この日の五日後に決まった。


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