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花鬼~紅葉、燃ゆる~  作者: 光沢武
22/29

紫陽花に最中(一)

紅緒が祖父母から受け継いだ屋敷は山の中腹、石垣を積んだ上に建てられている。

門戸は二つあり、一つは竹林の中に作られた石段を登った先の個人宅へ繋がる門、もう一つは山道…と言っても、人が通れる様に整備された道ではあるが、山の中を登った先にある道場へと繋がる門である。



紅緒と幸也は傘を差し、石段の両端に植えられた紫陽花を見ながらその石段を下って行く。

幸也の初めての外出は生憎の雨となってしまったが、幸也に取って屋敷以外の風景は珍しく、見知った紫陽花の花ですら何処か新鮮な気持ちで眺めていた。


とは言え、本日の外出の予定は紅緒の両親の家に婚姻の報告と挨拶に行く事である。幸也が床に臥せっていた間に、先に紅緒が報せていたとは言え、こう言う事は最初が肝心だ。早目に済ませるに越した事はない。

紫陽花を眺めながらも、傘を持つ幸也の指は緊張の為に強く力が込められていた。


婚姻を結んだとは言え、幸也と紅緒の関係は一般的に思われている夫婦のそれとは違っていると自覚している。

政略で結ばれた訳でも無く、情はあるが、今はまだ男女のそれとは全く別物だ。

お互いに確かに手を取り合って共に生きる約束を交わしたものの、果たして、この関係を義両親にどの様に伝えれば良いものか…


「今からそんな顔してたら疲れる一方だよ。家を出たばかりなんだし、肩の力を抜きなよ。」


「ああ、分かってるんだが、つい、な。」


「緊張するのも無理は無いけど、父者も母者も堅苦しい方じゃないし安心しなよ…まあ、ちょいと変わった人達ではあるけどね。」


「…それは安心して良いものなのか?」


「さあてね?どちらにしろ、会えば分かるさ。」


「…そうだな、」


紅緒が黄金色の瞳を細めて悪戯気に「うふふ」と笑ったのを見やり、幸也は漸く傘を握る指の力を弱めた。

この紅緒の両親と言うのだから、確かに色々と規格外なのだろう。

幸也はあれこれ考えるのを止めて、竹の葉から落ちた雨粒に灰色の空を仰ぎ見た。


幸也が鬼界へ来てからほぼ毎日の様に雨が降っているが、それもその筈、鬼界は今丁度、梅雨の時季なのだと言う。

庭に咲いていたクチナシや、石段の紫陽花を見るに、鬼界とあちらとで、然程、変わった処が無い様に思えるが、紅緒が言うには鬼界では暦の在り方が違うらしい。

幸也が改めてその事を尋ねれば、紅緒の答えは簡潔だった。


「人の世では一年が三百六十五日って聞くけど、こちらでは一年は三百九十日なのさ。」


「三百九十?…それは、どう言った在り方なんだ?」


「別に、特別に複雑な事はありはしないよ。寧ろ、あちらより単純とも言えるね。あちらでは、一月(ひとつき)が三十日だったり、三十一日だったりするんだろ?おまけに、二月に至っては閏年なんてのもあると聞いてるよ。」


「確かに、閏年のある年は平年より暦日が一日多くなっているな。」


「暦の()()を補正する為って聞いたけど、そう言うのは、こっちには無いね。こちらでは、一月は全て三十日から成り立っているのさ。」


「全て三十日?では、まさか十三月まであると言う事か?」


「ふふっ、御名答。そうさ、鬼界には十三月があってね、その月を私達は『(おに)(つき)』と呼んでいるんだよ。」


鬼界の冬は長く、また、厳しいものである。

特に、十三月に当たる鬼月は、鬼人の持つ妖力も弱まり人間と変わらぬ程の力しか出せない。

それ故に、鬼月は『(こも)り月』とも呼ばれ、ほとんどの鬼人が外歩きを控え、家に閉じ籠って新年が来るのを待ち詫びる月でもあった。


「鬼の持つ力が弱まるのに、『鬼月』と呼ばれるとは不思議だな。」


幸也が首を傾げたのに、紅緒は笑いながら「それには訳があってね」と続けて言った。


「私達の妖力は一年を通してゆっくりと弱まってるってのが実際の話でね、十二月の終わり頃にはほぼ空っぽの状態なのさ。それを十三月の間に枯渇した妖力を取り戻して行くから『鬼月』…ちなみに、元が人間の伴侶には妖力は無いと言ったけど、正確には、妖力は使えないけどあるんだよ。伴侶である鬼人の妖力がね。」


「…それは、私の中にもあなたの妖力があると言う事か?」


「そうだよ。界渡りの門は鬼人にしか渡る事は出来ないからね、真名を貰って伴侶となった時に、私と幸也の間で魂の交感が成されたのさ。結果、私の妖力が幸也に流れ、あんたの体を鬼人のそれに変えたんだ。謂わば、一種の『合わせ』だね。」


鬼人の持つ妖力とは、元来より他と合わせる力の事である。

例えば、紅緒の弟である例の双子の兄の得意な術式は炎を操るものであるが、これは彼の妖力と大気中にある気体を合わせ炎を作り出しているから出来る技だった。幾ら妖力があっても、無からの創造は神の身でも無ければ不可能なのである。


「以前、幸也の寿命がちょいと長くなったって言ったのも、その『合わせ』が原因でね。私達の寿命は人のそれより倍以上はある。体に流れてる妖力が寿命を延ばしてると言われてるから、伴侶の中に流れ込んだ妖力が、人の身を鬼人に変え、寿命を延ばすって訳さ。」


「鬼人の妖力とは、とてつもない力を持っているのだな…」


「そんな大層な力でも無いけどね…まあ、話を元に戻すけど、妖力は無限では無く、有限で、枯渇した妖力を十三月の内にゆっくりと取り戻すのが『鬼月』の在り方なのさ。他にも妖力を取り戻す方法は二つあってね、一つは界渡りの門を潜る事。折角伴侶に真名を貰っても、伴侶を鬼界に連れて帰るだけの妖力が無ければ意味が無いだろ?界渡りの門がどういった仕組みなのかは分からないけど、門を潜れば鬼人は妖力を取り戻し、また人の世では滅多な事では枯渇する事は無いと言われているね。そうして、もう一つは…何だと思う?」


「さて、何だろう」


「鬼人の妖力は合わせる力。夫婦で()()()()()のが一番手っ取り早い方法なのさ。何故か十三月にしか効き目は無いみだいだけど。まあ、だから別名『籠り月』ってね。」


「な…っ!?」


紅緒の明け透け無い言い様に、幸也は顔を赤く染めると妻を見上げて口をはくはくと開け閉めした。

紅緒はその顔を暫く眺めていたが、幸也の顔があまりにも赤いものだから、とうとう我慢出来ずに噴き出してしまった。

途端、揶揄われたと思った幸也は、ふいと顔を逸らして眉根を寄せる。

完全にヘソを曲げてしまった幸也に、紅緒は素直に謝った。


「うふふっ、ごめんよ。別に幸也を揶揄った訳じゃないんだけどね、ふふっ、あんたがあまりにも可愛らしい反応だったもんだから、思わず、ね?」


「…男子が可愛らしいと言われて喜んでいると思っているのなら、それはあなたの大きな間違いだから止めた方が良い。」


「そんな事ないさ。可愛いって言われて喜ぶ男もいるもんだよ?…まあ、でも、今のは私が悪かったね。改めてごめんよ、幸也。」


そう言って、紅緒は差した傘から腕を出して、幸也の頭を一撫でした。

完全に子供扱いのそれだ。


「…袖が濡れているぞ。」


「うふふ、そうだね。」


紅緒は笑いながら、もう一撫でして手を引くと、今度はその手を前に差して幸也の視線を促した。


「ほら、見てご覧。あそこが町だよ。折角だし、少し寄って手土産でも買って行こう。」


「…江戸の町に、似ているな、」


紅緒の言葉に顔を向ければ、眼前に広がるのは幸也のよく知る町並みに似た風景で。

幸也はここに来てから何度となく覚えた既視感に瞬きを繰り返していた。


「鬼界が界渡りの門であちらに行けるのが要因の一つなんだろうけどね。互いに影響を受け合ってるんじゃないかい…卵が先か、鶏が先かって話だけどさ。まあ、これ位の生活様式が鬼人を含めて鬼界に生きる生態系に丁度良い塩梅らしいよ。」


「どう言う意味だ?」


「界渡りの門の先は人の世に繋がっているけど、どの時代に繋がるかは分からない。私は江戸であんたと会ったけど、弟達は平安の時代だったって言ったろ?それと同じ様に、ずっと先の時代に繋がる事だってあるのさ。」


「先の時代…では、江戸も何れ無くなるのか、」


「そうだねえ、それでも随分と続いた方だけど、時代は常に変化して行くものさ。先の時代は、そりゃもう、便利な世の中になったもんだよ…けど、あんまり身の丈に合わない物を持つと我が身を滅ぼすってね。だから、私達は今は敢えて、これ位を維持してるのさ。とは言え、江戸が無くなり次の時代を迎えた様に、鬼界だって同じであり続けるのも不可能だ。こちらはこちらで独自の変化を遂げる必要があるわけだ…要は、匙加減なんだろうね。」


「その匙加減は誰がやっているんだ?」


幸也の問い掛けに、けれど、紅緒は今度は答えなかった。

その代わり、いつもと同じ様に「うふふ」と口元を上げて笑っている。


幸也は再度、考える事を止めた。

ここは鬼界だ。

規格外の鬼人達が暮らすこの場所もまた、規格外なのだろう。


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