十四話
「…留吉を殺したのも、貴女ですね?どうして今になって、留吉を殺したのですか?」
多江の話を聞いて、幸丸は留吉の死が自殺では無いと確信を持って問い掛ける。
多江が幸丸の侍女になった事で留吉の暖簾分けの話は無くなった。
その事が多江の復讐であり、幸丸にはそれ以上の事を多江が望んでいる様には思えなかったのだ。
「それは、あの人と藤乃様が一緒にいるのを見て嫉妬したから…って訳じゃ無いんですよ。」
両親や兄は、多江がまだ留吉に未練があるのではと思っていた様だったが、それは大きな誤解だ。
多江が留吉に惹かれた理由は、多江とお美代を比べなかったからであり、それが成されないのなら、誰があんな男と夫婦になりたいと思うものか。
多江の中では、あの日を限りに留吉への情は全て綺麗に消えている。
「私があの人を殺そうと思ったのは、私が梅の花の木型を盗んだ事をあの人が疑っていた事が切っ掛けなんです。と、言っても、あの人は私がお姉ちゃんを殺したとは思って無かった様ですけど。でも、口が軽くてお調子者のあの人が、いつ誰にその事を言うか分からない。…事実、藤乃様には色々と泉屋の内輪の話もされていたのではないですか?」
多江がチラリと藤乃を見やったが、藤乃は困った様に曖昧に笑って見せるだけ。
それを気にせず、多江は続けた。
「だから、殺してしまおうと思ったんです。あの人が茶を運んで部屋にやって来た時に、茶請けに落雁も持って来て欲しいとお願いして部屋から出して、落雁を持って戻って来る前に、あの人の湯飲みにトリカブトを入れた。後は、死んだのを確認して、あの人の部屋に残りのトリカブトをこっそりと仕舞っておくだけ。…思いの外、皆にあっさりと自殺だと信じて貰えて、私も少し驚いてたんですよ?」
無表情のまま、多江が小首を傾げてみせる。
いつもであるなら、可愛らしく映るその姿も、今はただ不気味であるとしか思えなかった。
「こんな事を言うと、何をふざけた事をと幸丸様は怒るでしょうが、私が幸丸様の侍女になったのは、初めに言った通り、一人きりになったあなたの力になりたいと思ったからなのですよ。それが、あなたから母親を奪ってしまった、せめてもの償いなのだと…でも、あなたの側は、あまりにも居心地が良かった。」
誰の元へも嫁がずに生涯幸丸の為に尽くす事、それが贖罪なのだと勝手に決めて。
けれど、泉屋で居場所の無かった多江には、幸丸や佐々木と共に過ごす毎日は、多江の罪に反して楽しい事ばかりで…
「だから、また私の居場所が無くなるのだと思ったら、居ても立っても居られなかった。あの人が余計な事を喋ってしまう前に殺さないと…そう思って、トリカブトを使って殺したんです。勝手ですよね?この場所は初めから、私の場所では無かったのに。」
そうして、無表情だった多江の瞳から一筋の涙が零れた。
「あなたはさっき、私の身の内に巣食っているものは、どんなに隠しても隠しきれないと言ったけど、私は本当は隠したく無かったの。我慢する事に慣れてしまったせいで、隠している様に見えただけ。誰かにずっと、私の憎しみ、悲しみ、怒りを分かって欲しかった…でも、そんな人は居ないんだと諦めてもいたのよ。だけど、不思議ね?あなただけは私の本当の心に気付いてくれた…」
微笑んだ多江が、菓子箱の中の梅の花の落雁を摘まみ、口に入れる瞬間、
「幸丸様はいらっしゃるか!?」
複数の足音と共に木村の大きな声が聞こえた。
音を立てて襖が開かれ、佐々木を筆頭にした剣客が幸丸達の前にズラリと現れる。
中には既に抜刀している者も居て、只ならぬ様子であった。
「木村、これは何の騒ぎだ。」
幸丸は木村を見上げて訝し気に眉を顰めた。
けれど、木村は幸丸を見ずに側に控えた藤乃を睨み、大声を上げた。
「幸丸様、その者から直ぐに離れて下さい!」
「その者とは、藤乃の事か?どうして、その様な事を言う?」
「その者は藤乃ではありません!本物の藤乃は加代の家の土蔵の中に隠れておりました!」
藤乃の事で加代を訪ねた木村が見たのは、土蔵で夕餉を食べる藤乃の姿であった。
千代の元で侍女として働いている藤乃が何故こんな所に…
木村は加代と藤乃の前に出て、彼女達を詰問した。
突然現れた木村に、加代も藤乃も驚き、狼狽えた。
それ故か、木村がどんなに厳しく問い質しても、まるで要領の得ない答えを繰り返すばかりで一向に埒が明かない。
「幸丸様は、鬼に魅入られているのです。」
木村は舌打ちすると、門の前に待たせていた従者に加代と藤乃を見張らせ、急いで藤島邸へと向かったのであった。
「藤乃の顔をした別人め!貴様は一体何者だ!?」
木村も腰に帯びた太刀を抜き、藤乃の前でその刀身を据えて見せた。
藤乃は初め、困惑の顔で周りの者達を見ていたが、やがて、その口の端を上げると笑い声を上げた。
「ふふふ、何だい、やっと気付いたのかい。思ったより、随分と遅かったねえ?」
そう言うと、藤乃だった者の顔がぐにゃりと溶けた。
綺麗に結われていた真っ黒い髪は、燃える様な赤い髪に変わり、両の耳は天を向く様に尖り始める。
そして、頭頂部に光るのは二本の白銀の角。
黄金色の目を楽し気に細めたその姿は、見た事も無い程に美しい女の姿をしていたが、それ故に、彼女が自分達とは全く違う者なのだと理解させられた。
「お、鬼…っ」
誰かが息を呑み、震えた声が落ちた。
瞠目し、一瞬身を固めた木村であったが、直ぐに正気に戻り刀を握り直すと、赤い鬼に向かって叫んだ。
「おまえが、加代達の言っていた鬼だな!幸丸様に憑りついてどうするつもりだ!?」
「おやおや、憑りつくなんて人聞きの悪い。…でも、そうだね、もう私のやる事は無くなったみたいだし、だったら、こんな所に用は無いか…」
赤い鬼はそう言うと、何処にそんな力があるのか幸丸の体を軽々と抱き上げた。
木村が赤い鬼目掛けて刀を振るったのを躱し、廊下で待ち受ける佐々木に微笑んだ。
「あら、佐々木様、先日の手土産の羊羹、美味しかったですよ。」
佐々木はその邪気の無い笑顔に、虚を突かれ面食らったが、直ぐに斜めに構えていた太刀を赤い鬼の足元へと斬りつけた。
赤い鬼はクスクスと笑うと身軽にその太刀を飛び越えて、幸丸を抱いたまま庭にある敷石にフワリと着地した。
夜風を受けて散った楓が、そんな赤い鬼の周りで舞っている。
「…坊、これが最後になる。何か言う事があれば、この場で皆に言っておやり。」
赤い鬼が幸丸の耳元でこそりと囁いた。
幸丸は、こちらを呆然と見つめる皆の顔を見渡した。
廊下の奥に見えるのは、兼元と千代の姿。
二人共、顔を蒼白にしてこの異常な状況を窺っている。
佐々木は何か言いたそうにして、けれど言葉が出ないのだろう呆然と立ち尽くし、対して、木村は混乱と怒りの為か赤い顔で、剣客達をけしかけている。
ただ、残念ながら、折角揃えた剣客達も、人外と立ち向かう程の豪胆な者は居ない様だったが。
そして、多江は…手の中に梅の花を握り締めたまま、幸丸と藤乃だったモノの姿を食い入る様に見ていた。
多江の握る落雁…
先程は東山の屋敷に持って来た物と同じ物を用意したと言ったが、あれは幸丸の嘘だ。
多江の手の中にあるのはただの落雁で、多江が口に入れたとしても死ぬ事は無い。
その事に気付いた時、多江はどう思うだろうか?
それを幸丸が知る術はもう無いだろうけれど…
「…いや、何も。私から何か言う事は無いよ。」
「そうかい…、なら」
赤い鬼は幸丸をしっかりと抱え直すと、その赤い唇に弧を描き、殊更に低い声で宣言した。
「幸丸は我の贄に選ばれた!皆の者、心して聞くが良い、幸丸を取り返そうとは思わぬ事だ!もし、その様な愚かな事を考える者がいれば、藤島家に末代まで鬼の呪いがあると思え!」
その声は屋敷中に木霊し、その場に居た者を震え上がらせた。
赤い鬼はそれを満足気に見やると、立ち竦む藤島家の面々を残し、燃える様な髪を靡かせながら宵闇の中へと溶けて消えて行ったのである。