ジャンヌの祝福
2020/6/21 誤字訂正しました。
教えて下さって、ありがとうございます。
第一王子の軍勢の駐屯により、ウエスタンの人々の中に不安が募っていく。
そんな日々が続いたある夜、酒場から出た男が腰を抜かして叫びだした。
「白銀の天使様が空を飛んでいる!」
ジャンヌ様の伝承が残るこの街でなんと恐ろしいことを叫ぶのかと、周囲の人間はその男を取り押さえようとした。
だが、彼らもそれを目にした瞬間に、男が叫んだ意味を理解した。
――白銀の巨大な蝙蝠の翼を背負った者が、月光に輝きながら飛んでいる。
民達の驚きは、どよめきに変わり……そして畏れへと昇華されていった。
*
領主館の私室にいたクロードは、急に街が騒がしくなったことに違和感を感じて、窓の外を眺めた。
――まさか……バルデルが早まったことでもしたのか!
だが、街から炎が上がっているわけでもなく、民達の声は半ば歓声に近い。
館の警備をしている兵が空を見上げているようだ。
クロードもそちらを見て、自分の目を疑った。
白銀の巨大な蝙蝠の翼を背負った者が、こちらに向かって飛んでくる。
そのような光景が、目に飛び込んできたからだ。
そして、その蝙蝠は眩い光を発しながら領主官の庭に舞い降りた。
しばらくすると、慌ただしい足音と共に執事が部屋に入ってきた。
クロードはあまりの無礼さに執事を怒鳴りつける。
「挨拶もなしに、領主の私室に入室をするとは何事だ!」
執事が緊迫した表情をしながらクロードに報告した。
「ニエルド様と、サウスの重鎮二人がクロード様にお会いしたいと申しております。」
クロードは目を見開いて驚いた。
「それでは、あの蝙蝠は彼らだったのか……それはともかく、ニエルド様が来られたということは一大事だ。デボラと共に広間で会うので、準備をするのだ。」
執事はすぐに部屋を退出して、準備に取り掛かったようだ。
クロードは緊張した面持ちで、急いで広間へ向かうのであった。
*
私達は執事に広間に案内された。
クロードは、亜麻色の髪を短く刈っていて、いかにも精悍そうな顔つきをしている。
切れ長の青い目は理知的な輝きに満ちていた。
その隣には、彼とよく似た亜麻色の髪と青い目をした女性が座っていた。
とても品の良さを感じさせる佇まいで、悠然とニエルドを見つめているところから、彼女がバルデルの奥方なのだろうと私は思った。
ニエルドは、堂々たる態度でクロードに挨拶をした。
「夜分遅くの訪問、大変失礼いたしました。火急の要件のため、早くお会いしなければという一心で参上致しました。」
クロードは恐縮しながらニエルドに問いかける。
「ニエルド様が参られたということは、王からの勅命があったということになりますね。ご下命をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
ニエルドはデボラの方を一顧した後に、王命を伝えた。
「王はバルデル様のこれまでの忠節を考えて、処刑するまでには至らないと考えておられます。ですが、今回の騒動の責任を取らせる必要もあると考えておりまして……バルデル様をクロード様の家臣として賜りたいと考えておられます。」
クロードはあまりの内容に嘆息した。
「あのバルデルが私の配下になるということを求める時点で、王が彼に死を賜りたいという意思になるのではないでしょうか? ニエルド様もお人が悪い……バルデル様を処刑するという王命ならば、最初からそうおっしゃればよいのです。」
ニエルドは微笑しながらクロードに告げる。
「私の傍らにいるサウス重鎮のガイ様は、ヘカテイアの反乱を見事に調略されたお方でしてね……今回のような一見不可能に見える難題も解決してくれるのではないかと考えております。」
デボラが、王宮での一件を思い出して私と桔梗に頭を下げた。
「そなたらのことは知っておりますよ。バルデル様が王の錫杖により吹き飛ばされた時、誰もが動かなかった中、あの方を助け起こしてくれたそうですね……感謝いたします。」
私はデボラに深く一礼をすると、クロードに話しかける。
「ただいまご紹介に預かりました凱でございます。」
クロードは私と桔梗の白銀のマントを見て、問いかける。
「先ほど、ウエスタンの上空から飛来した白銀の蝙蝠はそなたらか?」
私は穏やかな笑みを浮かべながら静かに答える。
「ご推測の通りでございます。私と桔梗はカイン公の命を受けて、空からウエスタンに参りました。」
クロードは私達が何者なのかを確信したようた。
「なるほど……そのようなことが可能ということは、そなた達は超越者ということだ。」
私は頷いた後、デボラに問いかけることにした。
「もし、バルデル様が王太子でなくなったとしても、彼に生きていてほしいと願われますか?」
クロードがあまりにも無礼な質問だと怒りをあらわにしたが、デボラはそれを制止した。
彼女は静かに頷くが、愁いを帯びた表情で告げる。
「もしもバルデル様が生き延びて下さるならば、どれほどに嬉しいか……ですが、あの方はホッド様を王と仰ぐことを良しとはしないでしょう。」
私は表情を引き締め、強い意志を込めてデボラに聞いた。
「ならば、より王に相応しいものであれば、そのものに使えるのはやぶさかではないのでしょうか?」
彼女は深く思案した後、目を見開いて考えるのも恐ろしいという顔をした。
「あなたは、カイン公が王を自称するとでもおっしゃるのですか! そんなことをすれば民達が黙っておりません。」
クロードも同様に頷いて私に告げる。
「アルテミスは古来より、王の血縁の者か王女と婚姻を結んだ者、もしくは王からの禅譲を受けた者のみが王位を継ぐことを許されたのだ。いくらカイン公が優秀でも、それはやめた方が良いだろう。」
私はニエルドに目配せすると、彼はサウスで私達に見せた王の書簡をデボラに渡す。
彼女はその書簡を見た瞬間に気を失いかけた。
クロードが慌てて彼女に駆け寄って彼女を助け起こす。
「デボラ! いったいどうしたというのだ? 書簡には何が書いてあったというのだ!」
デボラが衝撃のあまり返事ができない為、彼は彼女から書簡をもぎ取って目を通し始める。
そして、クロードも雷に打たれたかのような衝撃を受けた顔をして固まってしまった。
彼は蒼白になりながら、声を震わせてニエルドに話しかける。
「フレイ様、いやニエルド様のご息女が王の隠し子だったとは……しかもユミル王がカイン公に王位を継がせたいと考えておられるとは……」
ニエルドが静かに頷いてクロードに決断を迫る。
「さて、ウエスタン領主クロード公、貴方は誰の御旗の下に馳せ参じるおつもりか? ご決断の時が来たのです。」
クロードはウエスタン地方に伝わるの伝承を思い出していた。
――ジャンヌは神ではなく、自らの生き方を信じろと言っていた。
そして彼は、間違って伝わっている伝承が一つあることを思い出した。
クロードは、決心した顔をになり、急いてバルデルに密使を送る。
そして、デボラを伴って、私達をウエスタンの広場に連れていくのだった。
*
ウエスタンの街の広場には、すでに多くの民が集まっていた。
彼らは私と桔梗のマントを見て、騒めき始める。
その中に、フードを被って顔を隠しながら、こちらを注視する者達が居た。
クロードが私に耳打ちをする。
「バルデル様とあの方の信奉者達です。」
私は静かに頷いて、クロードに問いかけた。
「それで、私達に何をさせるつもりなのか?」
彼は私と桔梗を民達の前に連れていき、威厳のある声で語り始める。
「ウエスタンの民達よ……再び我らの地に超越者を自称するものが舞い降りた。」
民の一人がクロードに問いかける。
「領主様、メイガスの例がありますぞ……そのような者を信用してはなりませぬ。」
クロードが周囲に聞こえるように、叫んだ。
「ウエスタンには、遥か昔からの伝承がある。再び民が神に惑った時、ジャンヌが現れて全てを焼き払うと!」
民達の目が、ウエスタンの広場で民たちを見下ろしているジャンヌ像に集まった。
クロードは民に問いかける。
「その伝承の続きを知っている者はいるか?」
民達は当然だという顔で同じ言葉を続けた。
「民の為に戦う英雄が舞い降りた時、ジャンヌから祝福が与えられるのだ。」
私と桔梗はクロードに促されて、ジャンヌ像の前に進み出た。
何処からともなく声が聞こえてくる。
――貴方達がもし世界を超えて来た者なら、私にその生き様を見せるのです。
私はミスリルの棒、桔梗は鞭鎌に理力を込めてジャンヌ像をまっすぐに見つめる。
その時、感情がないはずの像が優しげな笑みを浮かべた。
そして、金色の炎が優しく私たちを包み込む。
私たちは炎に包まれているはずなのに、母に抱かれるような温もりを感じた。
どこからともなく、美しい声の女性の歌が聞こえる。
民達が、その声に合わせて歌い始めた。
歌が終わった後、皆はジャンヌの声を確かに聞いた。
――白銀の翼を纏う者よ……この国の民を幸せにする為に進むのです。
クロードとウエスタンの広場に集まった民達は私達に傅いた。
フードを被った者たちは、その姿を見て街の外へ静かに去っていく。
その後ろ姿を、デボラは憂いを帯びた顔で見つめ続けるのだった。
*
バルデルは、若い貴族達に呟いた。
「カイン公の家臣が超越者だったとはな……確かに彼の今までの功績は異常な物だったが、あれを見た後なら納得はできる。」
若い貴族の一人が彼に問いかける。
「ウエスタンの民は、あの者に完全に掌握されましたな。どうされますか?」
バルデルはクロードからの書簡を思い出していた。
「どうやら先ほどの超越者のガイが、私とお前たちに会いたいそうだ。」
若い貴族たちは笑みを浮かべて静かに頷く。
「それは楽しみです……ぜひ話をしてみたいものです。」
バルデルと若き貴族達は、ウエスタンの広場での奇跡を思い浮かべた。
――彼は自分達の運命すら変えることができるかもしれない……
常識的に考えれば誰もが一笑に付すような希望なのかもしれない。
だが、彼らは確かに感じていたのだった。
超越者達を包む金色の炎から、自分達の穢れた手を浄化するような温もりを……