サウスへの凱旋
私達は夜明けごろにサウスの港へ帰港した。
まだこんな時間だというのにサウスの民達が港に集まっているようだ。
私は桔梗と海賊達を伴って、自分の船から下船する。
そして、マグニが下船し終わったところで、民達が不安げにサウスの海上の様子を聞いてきた。
「サウスの海上で大規模な戦があるため、しばらく船を出すなと聞いておりましたが…戦は終わったのでしょうか?」
私は民達に静かにうなずいた後、力強く宣言した。
「皆の者、我らサウス海軍は”海の守り手マグニ殿”の下、カマル王に協力してヘカテイアの内乱を収束させることに成功した。」
民達の表情が安堵に包まれ、周囲に喜びが満ち溢れはじめる。
ちょうど良い機会だと思った私は、ダナンと彼の部下達を民達の前に立たせる。
民達が海賊達を目の前にして訝しがった。
「どうして悪名高いダナン達がマグニ様の近くに立っているんだ?」
私は民へ、ダナン達が今回の件でサウスやヘカテイアに多大に貢献したことを説明した。
民達が私の説明に納得し始めたところで、マグニが高らかに宣言する。
「ダナン達は、サウス海軍長のガイを頭目と認めた。以後、彼らはサウス海軍として街の守り手となるだろう!」
ダナンとグエン、そして海賊達は皆私のほうを向いて傅いた。
民達が歓声を上げる。
「これで交易が無事に再開できるぞ!」
「グエン達だけでなく、ダナン達まで従えてしまうとは何という手腕だ。」
「マグニ様、そしてガイ様万歳!」
私は笑顔で歓声にこたえるが、内心では焦っていた。
―ダナンの件はカインに報告する前だが…大丈夫だろうか?
そんな私の様子を見て、桔梗が笑いを必死で堪えている。
だが、そんな彼女にも魔の手が迫ろうとしていた…
そう、海賊たちの一部が桔梗を呼び始めたのである。
「姐さん、そんなところで何をしているんですか!」
「お頭のそばにしっかり居てあげないと…姐さんいてこそのお頭です。」
桔梗が慌てる中、グエンが立ち上がり、彼女の手を取って私の横に並ばせた。
商人と民達が私を指さして驚いている。
「ありゃ、この前の”愛の実”で真っ赤になってた少年と少女じゃないか!」
「あの白銀のマント、確かに間違いない…」
「兄ちゃん、ヘタレだと言ってごめんよ…そんな凄い人だと思ってなかったよ。」
ダナンが不思議そうな顔で私に尋ねる。
「お頭がヘタレ…いったいどういうことなんですか?」
グエンが私の代わりに勝手の答え始める。
「お頭は、姐さんの尻に敷かれているのさ。俺たちを調伏させた後に、姐さんから説教されているお頭の姿といったら…」
桔梗が咳払いをしたところで、彼は途中で説明を止める。
ダナンが色々と察したようで、私と桔梗を交互に見て哄笑した。
「どんな英傑でも弱点があると言いますが、お頭の弱点は何というか…可愛いものですな!」
私と桔梗は二人揃って真っ赤になり、そんな私達を民たちは冷やかす。
「凄い人だけど、やっぱりそっち関係は弱いようだ!」
「また愛の実飲んで耐性つけていかないとな。」
「初々しくって良いねぇ! 私達の若い頃を思い出しちゃうよ。」
マグニがグエンとダナンを嗜める。
「おいおい…あの二人はこういったことに耐性がないのだから、あまり苛めてはならぬぞ。」
私はそんなマグニへ、目で抗議をする。
―マグニだって、少し前まで耐性がなかったではないか!
だが、マグニが余裕のある大人の顔をして、私を見返した。
―俺はシェリーに色々と鍛えられているからな…
私達のやり取りを見た桔梗が呆れたように首を振る。
―そういった争いをしている時点で、お二人とも未熟なのです。
ダナンとグエンが腹を抱えて笑い転げている。
「旦那方…姐さんが冷めた目でお二人を見てらっしゃいますぜ…」
マグニは照れ臭さを隠すように、威厳のある声で民達に告げる。
「再びサウスにこのような笑顔と活気が戻ったこと、義父も喜ぶだろう!」
民達の興奮が最高潮になる中、私達は領主の館へ戻るのであった。
*
私達が領主の館に戻るとカインとフレイ、そしてアケロスとアルベルトが迎えた。
私の後ろに控えているダナンを見て、アルベルトがカインに耳打ちをする。
カインは鷹揚に頷いて、私達を応接室に入らせた。
私達が椅子に座ると、カインは労いの言葉をかけた。
「ガイ君、お疲れ様。今回のヘカテイアの一件、見事に解決してくれたみたいだね。」
そしてダナンのほうを見て微笑を浮かべた。
「ついにサウス近郊の海賊全員を君の手中に収めてしまったようだね。」
アケロスが嬉しそうに私の頭を撫で回して称賛する。
「ガイ、まったくお前は大した息子だよ。」
ダナンが驚いた顔で私を見る。
「お頭…まさか、あのイースタンの至宝の息子だったんですかい。」
アケロスが自慢げに桔梗のほうを見てダナンに笑いかける。
「ガイもそうだが、キキョウも俺の自慢の娘だぞ。」
ダナンが混乱する中、カインが優しく彼に教える。
「ガイ君と、キキョウ君は異国から真実の愛のために駆け落ちして、イースタンに流れ着いたのだよ。まあ、色々とあってね…今じゃアケロスの養子になったってことさ。」
ダナンが納得したような顔になって呟いた。
「なるほど、だから頭は姐さんに尻に敷かれて…」
耳ざとくそれを聞いたアケロスが呆れた顔で私を見る。
「ガイ、お前はそっち方面では相変わらずヘタレているのか…本当に駄目な奴だな。」
ダナンが思わず吹き出し、桔梗の顔がみるみるうちに深紅に染まる。
そして、応接室に皆の笑い声が響き渡った。
笑いが落ち着いた頃に、フレイが嬉しそうな顔で私に言った。
「ガイ、お前は大した奴だよ。こちらの損害もなく、調略で敵をほとんど寝返らせてしまうとはな。しかも、カマル王も改心なされたとなれば、これからのヘカテイアの未来も明るいだろうな。」
私は静かにかぶりを振る。
「今回は時間がすべての鍵でした。フレイさんの情報網により、迅速に策が浸透させられたことが一番の大きな要因でしょう。次がカマル王自身の器量です。あの方は立派に務めを果たされたのですよ。」
そしてグエンとダナンに深く頭を下げて感謝した。
「そして、お前たちがいなければこの策は上手くいかなかっただろう。特にダナンの働きは素晴らしかった。迫真の演技でハシムを惑わせたと、カマル王から聞いたぞ。」
ダナンが照れくさそうに頭を掻く中、フレイが微笑を浮かべて私に言う。
「だがな、それら全てをお前の手のひらで転がしたのだろう? さすがの私も戦慄を感じたよ…文句がつけられないほどの功績だ。恐らくカマル王は、お前に感状を送るだろうし、アルテミスにも今回の謝礼をするだろう。」
カインが困った顔で私と桔梗を見つめる。
「そうだね…そうなると、ガイ君達は今回の功績によって、王都に招聘される可能性が高くなりそうだ。」
フレイも難しい顔になって深く頷いた。
「そうだな…特にガイとキキョウは、カマル王とアイシャ王妃に対して多大な貢献をしているからな。まず間違いなく、ヘカテイアからの親書にお前達の名前が明確に記されるだろうな。」
アケロスが厳しい顔になってカインに問いかける。
「それで…お前はガイとキキョウをどう扱うつもりなんだ?」
カインはアケロスの問いに深く思案する。
そして、私と桔梗を見ながら優しく聞いた。
「君達は、これから先どういう風に生きていきたいのかな?」
私は桔梗とアケロスの顔を見た後に、強い意志を込めて答える。
「私は、桔梗と静かに平和に生きていければそれでよかった。」
カインが静かに頷いて、私に続けるように促した。
私はアケロス、そしてカイン達のほうを見て話を続ける。
「だが、この国にきて…私はアケロスやクラリスさん、アルベルトにセリス、そしてカインという掛け替えのない友を得ることが出来た。」
フレイが意地悪な顔になり、『私は入っていないのか?』と聞いてきた。
私は優しくフレイに笑いかける。
「もちろんフレイも大事な友人だ。だからこそ、皆が幸せになることを願うんだ。」
そしてグエンとダナンを一顧して二人に語った。
「それにな…お前達みたいな可愛い部下も手に入ってしまったことだしな。落ち着いたら海軍を率いて、新しい交易の航路を作るのも面白そうだな。」
グエンとダナンは嬉しそうに私を見て頷いた。
カインは桔梗に問いかける。
「キキョウ君はそれで良いのかい?」
桔梗は私の方を見て、しっかりとした声で答えた。
「私は凱さまの行く道に、ただ付いていくだけです。」
フレイがそんな彼女を見て優しい顔になり、満足そうに頷いた。
「私ができる範囲であれば力になる…キキョウはそれを貫けばよいさ。」
アケロスがカインをみて意地悪っぽく笑った。
「羨ましいもんだなカイン…ガイにそこまで言われるんだからな。だったら、お前がしっかりとサウスを治めて、ガイ達を安心させてやらないとな。」
カインが苦笑しながらアケロスに言い返す。
「アケロス…君も大事な人に入っているんだからね。あまり無茶ばかりして、彼らを困らせちゃいけないよ。」
アケロスは胸を張って笑った。
「俺が困らせるのはお前ぐらいなものだ。ちゃんと他の奴は面倒見てやっているよ。なあマグニ! お前も今幸せだろう?」
マグニが苦笑しながら、どう答えたものかと悩んでいる。
カインがマグニを一顧してアケロスに言い返した。
「確かに君は僕をだいぶん困らせてはいるが…それ以外にも困らせた場所があるだろう?」
アケロスが不思議そうな顔でカインを見る
カインは真面目な顔で言った。
「君はイースタンの酒場から二度も看板娘を奪ったのを忘れたのかい?」
フレイが渋い顔をしてカインに言う。
「カイン…それはマグニの婚姻の宴の時にトールと共に聞いたよ。」
アケロスが呆れた顔でカインを見た。
「二番煎じはよくねえな…しかも俺があんなに必死で婚姻の宴の進行をしているときに、そんなことを言ってやがったのか」
フレイは渋い顔のままアケロスにもチクリと告げる。
「アケロス…お前がマグニを焚き付けた末の婚姻のせいで、私も胃に穴が開きそうになったよ。」
私は驚愕のあまり思わずフレイの顔を凝視した。
―あの冷徹なフレイの胃に穴が開くだと!
心の声が漏れていたのか、周囲の視線が私に集まり…
そして応接間に再び笑い声が響いた。
ダナンが笑いすぎて涙を流しながら私に言う。
「お頭も…くくっ…そんな動揺した顔をするんですね。」
フレイが憮然とした顔で私を見る。
「ガイ、お前は…いったい私を何だと思っているのだ?」
カインが手を叩き、皆を静めた。
「さて、そういえばガイ君とキキョウ君には伝えていなかったけれど、燕月亭がついに完成したよ。」
私は思わずアケロスを見ると、腕を組みながら頷く。
「お前たちの荷物もしっかりと運んでおいたぜ。」
フレイが私達を見て優しく告げる。
「此度の働きで少し疲れただろう…後の処理は私たちがやっておく。お前達は燕月亭でアケロスとクラリスと一緒に少し休むと良いさ。」
私達はフレイの厚意に感謝して、応接室を退出した。
*
アケロスに連れられて、私達は燕月亭へ向かう。
今では活気を取り戻した職人達の工房を通り過ぎたところでアケロスが振り返った。
「ガイ、キキョウ…新しい燕月亭を見て腰を抜かすなよ?」
そこから少し横道を入って少し歩くと…
見事な燕の意匠が施された黒鉄門が目に入った。
門に近づくと、その奥に白いレンガ造りで出来た屋敷のような建物が見える。
アケロスが鉄門の脇に吊るされている鐘形の呼び鈴を鳴らすと、拡張高い音が周囲に鳴り響いた。
クラリスが出てきて、桔梗の頭を撫でながら頬ずりをする。
「海の向こうでとても頑張ったんですってね、街の噂になっているわよ。」
桔梗がクラリスに抱き着いた。
「ただいま、お母さん…」
クラリスが家に入るように私たちを促す。
私達は純白のレンガ造りの建物につけられた、銘木で作られた扉を開けて中に入る。
私はあまりの見事さに絶句した。
床は見事に磨かれた石造りとなっており、中央には燕の意匠が施された木造の大テーブルが置かれている。
そして、窓や台の上に品の良い白磁が飾られており、それが何とも言えない調和を作り出しているのだ。
アケロスが自慢げに私達に語った。
「この前の調度品の件や、ガイが海賊を調伏させたことで職人たちが張り切っちまってな…俺も最初に入ったときは腰を抜かしそうになったぜ。」
そして私に耳打ちをする。
「今度の家はな…二世帯なうえに壁が厚いんだ。お前らが結婚しても出てかなくて大丈夫だぜ。」
私が顔を赤くする中、桔梗はクラリスは食事の準備をし始めたようで、台所から何とも言えない良い匂いがし始めた。
しばらくしてクラリスさんと桔梗が料理をテーブルに並べた。
程よく煮込まれた魚と野菜のスープ、そして肉と野菜の焼き物とパン。
思わずつばを飲み込んだ瞬間、外から鐘の音が聞こえた。
アケロスが外を見てぼやく。
「何だよ…これから食事という時に、野暮な奴だな。」
私も一緒に出ると、グエンとダナンが配下の海賊とともに酒樽を持ってきた。
「お頭、ダナンの奴がハシムに銘酒を全部渡さずに隠し持っていました。」
アケロスが大笑いして二人を招く。
「海賊らしくていいな、ちょうど食事もできてるんだ。それ持って家に来いよ。」
私は笑いながら彼らの部下達に指示した。
「今夜は無礼講だ、残った酒樽は船に持ち帰るなり酒場で楽しむなり、好きにすればいいさ。ただ、街では暴れるなよ。」
海賊達は嬉々として酒樽を持って港のほうに駆け出した。
私達は燕月亭で美味い料理を楽しむ。
普段はお酒に厳しいクラリスさんも、今日は特別だと私達に銘酒を注いでくれた。
私は銘酒を口にして、感嘆した。
「なるほど…これは確かに素晴らしい逸品だ。」
絹のような心地よい舌触りの中、深い樽の香りが喉から鼻に抜けていく。
そして滑るように喉に流れ込んでいく中で、さらに深い味わいを感じるのだ。
広間が騒がしくなってきたので周囲をを見渡す。
グエンとダナンがしきりに今回の件での私の活躍をクラリスさんに聞かせている。
彼女は穏やかな笑みを浮かべながら、嬉しそうな顔で聞いているようだ。
「そこで頭が俺の攻撃を見事に躱して、武器を弾き飛ばしたんですよ。」
「ヘカテイアの王様が頭の智謀に舌を巻いたんですよ!」
「あらあら、ガイ君はたくさん冒険をしたのね。」
アケロスは、桔梗に酌をされて上機嫌だ。
「お父さん、飲みすぎないでくださいね。」
「もちろんだ…もう一杯いいかな?」
「これで6杯目ですよ! お水持ってきますね。」
「キキョウ、大丈夫だよ。可愛いお前の酌ならいくらでも飲めちまうぜ。」
私は穏やかな笑みを浮かべながら、銘酒とクラリスさんの美味しい料理に舌鼓を打つ。
ダナンとグエンが私に近づいて、グラスに酒を注いで乾杯をねだる。
私は快くそれを受けてグラスを当てた。
銘酒が満たされたグラスは心地よい音色を立て、今回の陰謀を阻止した私達のことをねぎらうのだった。