カマル王の帰還
ハシムがヘカテイアの王宮から兵たちを連れて出立しようとした時、
彼の行軍についていかないと言っていた家臣達が彼の周りに集まった。
ハシムは何事かと訝しく思い、彼らに問いかける。
「どうしたのだ? 急に気でも変わったのか。」
家臣達の代表が彼の前に傅いて下を向いたまま答えた。
「私共は真実が明らかになるまでは行軍には参加できません…ですが、国のために自らお立ちになる貴方に心打たれてはいます。せめて、ヘカテイアの港までハシム様を見送りに行きたいのです。」
ハシムは満面の笑みを浮かべる。
「そなたらの気持ち、確かに受け取った。王を信じたいという気持ちの中、それでも出来る形で私に忠誠を示してくれたことを心に残しておく…皆の者、私に付いて来るが良い。」
彼の寛大な態度に家臣達は感じ入った様子で、周囲の者は傅いて下を向いた。
ハシムは家臣たちを一瞥した後に兵士たちに進軍を命ずる。
家臣たちも立ち上がり、彼の後に続いた。
だが、ハシムは大事なものを見ていなかった。
―傅いて下を向いていた家臣たちの表情を…
*
ヘカテイアの港より、ハシムは船団を率いて出港した。
二百人が乗ることができる大型の帆船が十隻、百人が乗ることができる帆船が三十隻という大船団が勇ましくサウスへと向かっていく。
ハシムは船団の中央にあるひときわ豪奢な大型の帆船で風を受けて堂々たる態度でヘカテイアの港に向かって手を振った。
埠頭では残された家臣達が冷めた顔でその出港を見送る。
そして…残された家臣達代表の手には書状が握られていた。
―しかもこれは弑逆されたとされる王女の筆跡で書かれたものだ。
『私は侍女に毒を盛られてしまいましたが、一命を取り留めました。今、私は王と一緒にヘカテイアの内乱を止めるべくそちらへ向かっています。皆様方にお願いします…王が必ず貴方達へ真実を伝えますので、ハシムを見送った後、私達を信じて暫く港で待っていて下さい。』
家臣達は逡巡する…
王が勝てば、水清ければ魚棲まずになる危険性がある。
ハシムが勝てば、国は泥水のような汚濁にまみれる。
どちらが勝とうが自分たちの未来は暗いのではないかと。
だが、ひとまずは真実を自分たちの目で確認した上で、未来を託す方を決めることにした。
*
ハシムが港を出港してから数時間後、海賊達が船に寄って来た。
ヘカテイア兵達が海賊達を警戒する中、小舟が船団に近寄ってくる。
そして、書状を兵士に手渡して言った。
「ヘカテイアの真の王に成ろうとしている貴人へ、貢物を渡したいので取次ぎを願いたい。」
兵士が急ぎ船を停止するように指示し、ハシムの帆船に小舟を出した。
ハシムが書状を読み感心する。
「ほう…アルテミスの商人ギルドに騙されて、仲間の一部がいまだに鉱山で働かされているために恨みを持っているのか。しかもヘカテイアの真の支配者に忠誠を誓いたいとは殊勝なことよ。」
ハシムは海賊の代表に貢物を持ってくるように伝えた。
海賊の大型の帆船が滑るように近づき、ハシムの帆船に横付けされる。
海賊の頭が渡り板を通じてハシムに傅き挨拶をする。
「この辺の海賊を指揮する一派のダナンと申します。忠誠の証に私がこれまでにサウスの商船から奪った戦利品を納めに参りました。」
ハシムは彼の手を取り、立ち上がらせる。
「よくぞ私のもとへ馳せ参じてくれた。お前たちからの貢物を受け取ろう。」
ダナンが配下に支持をして数々の調度品をハシムの船に移していく。
ハシムは満足そうに頷く。
「見事な品物だ…ダナンよ感謝するぞ。」
ダナンがハシムに深く頭を下げ、耳打ちをする。
「実は…これはほんの一部でございまして、ヘカテイアの港に残りの品を送りたいと思っております。その為、取り急ぎ小舟にて目録を送りたいのですが…入港のご許可の書簡を一筆いただけないでしょうか。」
ハシムは尊大に頷いた。
「殊勝な心掛けだ…よいだろう少し待つがよい。」
彼は自筆での入稿許可証を認め、自らの印を押してダナンに手渡した。
「貴殿達はどうする? 私たちに同行して手柄を立てるかね?」
ダナンは深く頭を下げて答える。
「そうしたいのは山々ですが、貴方への貢物を先にヘカテイアに送り届けたいと思います。その後に直ぐに貴方様の後を追わせて頂きたいのですが…。」
ハシムはダナンの肩を優しく叩きながら告げた。
「ゆっくりと荷物を降ろすがよい、そして間に合うことができれば存分に手柄を立てよ。」
ダナンはハシムの寛大さに感謝して急ぎ船に戻る。
そして彼らの船から銀色の帆をした小舟が滑るようにヘカテイアの港へ向かっていった
ハシムはダナンを見送った後に船を再出発させた。
*
白銀の帆を煌めかせた小舟が滑るように走り、ヘカテイアの港に到着する。
ハシムから怪しい船は通すなと言われていた為、ヘカテイアの衛士が臨検をしようとすると、白銀のマントを羽織った少女がハシム直筆の入港許可証を手渡した。
書状にはハシムの印が押されており、『この者達は私の重要な盟友だ。決して入港の邪魔建てをしてはならぬ。』と書かれていた為、衛士はすんなりとその船を通してしまった。
船からは、フードを被った均整の取れた体形の男とフードを被った小柄な女性、そして白銀のマントを羽織った美しい少女が降り、港の広場に進んでいく。
広場の中央にその者達が到達したとき、男と女がフードを脱ぎ捨てた。
広場に居た人々はその者達を見て驚愕した。現在、ヘカテイア中で囁かれている疑惑の渦中にある人物…そう、カマル王とアイシャ王妃が突然現れたのだ。
広場が騒然とする中、カマルが広場の皆に向けて鈴のようなよく通る声で命じた。
「皆の者、変わりはないか? 私はサウスより今戻った。家臣たちを呼んでまいれ。」
民達が、慌てて港にいる家臣達を呼ぼうとした時、衛兵が叫ぶ。
「それには及ばぬ! 王や王妃の名をかたる怪しい奴め…王は王妃に死を賜れた、生きているはずがないのだ。取り調べるので無駄な抵抗はするなよ?」
カマルが衛兵を一括する。
「黙れ! 王の姿すら忘れるとは笑止千万…今一度、私と王妃の姿をよく見ろ、心を改めるならば不問に処すが、そうでなければ容赦はせぬ。」
一人の衛兵が武器を構えてにじり寄ろうとした瞬間、彼の武器に鞭が巻き付いた。
そして武器は、彼の手元から離れて白銀のマントを纏った少女の足元へ引き寄せられる。
武器を奪われた衛兵が怯んだところで、広間の騒ぎを聞きつけた家臣達がやってきて衛兵を叱りつけた。
「この愚か者共が! 王に対して何たる無礼なことを…お前の家族含めて死罪になってもおかしくないことをしているのだぞ。」
衛兵は、家臣の剣幕に愕然としてその場に崩れ落ちる。
そして、家臣達が王の前に傅いた。
「王よ…おかえりなさいませ、ご無事で何よりにございます。」
カマルは鷹揚に頷いた後、ハシムの罪を告発する。
「皆の者、聞くが良い! 我が王妃は侍女に毒を盛られて生死の境を彷徨った。だが、天の意思により、こうしてまたヘカテイアの地を踏むことができた。」
皆が王妃を見ると、王妃は花のような笑顔を浮かべて手を振った。
群衆が沸きあがる中、カマルは右手を挙げてそれを制する。
そして静かに家臣と民たちに語り始めた。
―先代の王と王妃が毒殺であったこと、そして先代の王と王妃の過ちを。
群衆があまりの事実に驚く中、カマルは家臣達に深く頭を下げる。
家臣達が慌てて止めようとするが、王妃がそれを制した。
カマルはその場の全ての人たちに宣言をする。
「私は、そなた等が国を支えてくれたという恩を決して忘れはしない…だが、国をよく収めるためには、私だけではなく皆が国のためを思い、常日頃から精進をして職務に耐えうる能力を身に着ける必要があるのだ。」
家臣や民たちが彼の言葉を聞き逃すまいと静まり返る。
カマルは周囲を見渡して、静かだが強い意志を込めていった。
「私は、時にはお前たちにとって辛い決断もしなければならない時もある。その時こそ、お前たちの助けを得て、一緒にそれが正しいことかどうかを見極めなければならない。だからこそ、皆にこれからのヘカテイアの為、私に力を貸して欲しいのだ。」
家臣達の代表がカマルに傅き、涙を流しながら発言する。
「王の御心…確かに受け取らせていただきました。我ら臣下のことをそこまで気に掛けて下さり感謝いたします。そして…今までの我らが行い、なにとぞご容赦くださいませ。」
カマルが彼の手をとり立たせた瞬間、家臣と民達から歓声が上がった。
「カマル王万歳!」
「ヘカテイアの未来を共に作りましょう。」
「我ら、身命を賭してカマル様にお仕え致します。」
カマルは海の方を見ながら家臣たちへすぐに命令をする。
「私は直ぐにハシムを追い、ハシムと共に出港した残りの家臣たちも説得する。お前達はすぐに私の後を追って船を出してくれるな。」
家臣達はすぐに頷き、衛兵たちに声をかけた。
「早馬を出せ、港の防衛は良いので急ぎ船団を編成するのだ。」
カマルとアイシャそして桔梗は足早に広場を去り、埠頭に待たせていた白銀に輝く帆の小舟に乗り込む。
家臣達が心配そうにカマルを見つめる。
「我らと共に船団を率いて下さった方が…王の御身が心配です。」
カマルは威厳のある顔で彼へ静かに言った。
「時が惜しいのだ。同じヘカテイアを愛する家臣を無用な戦では死なせたくない。だが、今回の件で、ハシムと彼に直接加担した者達は処断せねばならぬ…アイシャに手をかけようとした者までに、情けを与えることは私にはできぬ。」
家臣達が承服した顔になり、王を見送る。
「王よお気をつけて、そして我らもすぐに後を追いまする。」
カマル満足げに頷き、小舟は海を飛ぶような速さで出港していった。
家臣達は慌ただしくヘカテイア守備隊に指示を出し、帆船の出港準備に取り掛かる。
「今この時こそが全てぞ、何としても早く王の後を追わねばならぬ!」
衛兵達だけでなく、ヘカテイア港の民達も献身的に協力したせいか、驚異的な速さで準備された百人乗りの帆船二十隻が王の後を追うべく、ヘカテイア沖に向かって出港した。
*
カマル達は海上で待ち受けていた海賊たちの船に乗り移り、ハシム達の後を追った。
ダナンがグエンから預かった一つの書簡をカマルに手渡す。
そこには、ガイの字でヘカテイアで上手くカマルがことを成し遂げた時のための次の策が書かれていた。
『ハシムへの戦勝祈願の名目で、ダナンにサウスでも最高級の酒を百樽近く預けています。それをハシム達に渡すついでに、側近以外の家臣に無駄な戦をやめさせるような書状でも送っては如何でしょうか。』
カマルは余りのことに目を見開くが…桔梗を見ながら大笑いをした。
「貴女の婚約者は恐ろしい方だな…どのような状況になるのかをすべて予測している。私が無事ヘカテイアの港で家臣たちを説得した後に、どのようにすれば良いのかまで指示されるとは。」
桔梗は嬉しそうな顔をしながら会釈をした。
ダナンはカマルと桔梗の会話を聞いて何をすればよいのかを察した。
「分かりました、それではすぐにハシムの船に追いつけるように致します。」
カマルはダナンに深く感謝して告げる。
「この戦いが終わった後、何かそなたらにも褒美を取らせないとな。」
ダナンは笑みを浮かべて答える。
「王様がそう言ってくれるのなら、やり甲斐があるというものです。」
ダナン達が率いる海賊の一団は、海を滑るように航走する。
そして、一日経たないうちにハシム達の船団に追いついた。
カマルは船団を見て考えてダナンに指示をする。
「そうだな…大型帆船には側近が乗っているだろうから、ひとまず帆船のほうに書簡を渡すとするか。」
ダナンは王のほうへ向き直り、深く頷いた。