グエンとの対峙
グエンはマグニのロングソードの輝きを見て戦況のまずさを悟り、自軍の帆船に突撃の命令を出そうとした。
まさにその時、右舷側の帆船に先ほどの白銀の蝙蝠が急降下し…そして右舷の船が急激に左回りに旋回して自分の船の進路方向に向かい始めたのだ。
グエンは思わず叫んだ。
「潮の流れが速いというわけでもないのに何をしている! 進路を戻すように松明で伝えろ。」
部下の海賊が慌てて松明で連絡しようとした瞬間に船が横倒しに倒れた。
グエンは、右舷の船の操舵の余りの愚かさに怒りをあらわにした。
「馬鹿め…あんな勢いで急旋回したら船が倒れるに決まっているだろうが! あの船を操舵した奴は、後で二度とこんなふざけた真似ができないように教育してやる。」
だが次の瞬間、それが間違いだということに気付いた。
―前に広がる海域を白銀の蝙蝠が飛んでいて、それに人がぶら下がっているのだ。
慌ててグエンは見張り台に確認する。
「見張り台! 何だあれは…人が空を飛んでいるぞ。」
「俺にも何が何だか…先ほどまで上空を旋回していたようですが、サウスの船が光った瞬間に右舷の船に一匹が降下したようです。」
そして、少年が左舷の船に降りた瞬間に、またしても船が急激に右回りに旋回してこちらの進路へ向かい始めた後にバランスを崩して横倒しになった。
グエンは気づいた…これは操舵手の問題ではないと。
彼は迅速に配下に指示をした。
「帆を畳め。奴らはどういう方法かは知らないが船に潜入してマストを切り倒している。ご丁寧に片方のロープを切って倒しやすいようにしてな…このままでは同じように沈められるぞ!」
そして、小舟にすぐに戻るように指示をする。
まあ、そんなことをしなくてもこの状況を見れば奴らはすぐに撤退してこちらに来るのだろうが。
だが…次の瞬間、一羽だった蝙蝠が再び二羽となり小舟のほうに向かい…そして小船は全滅した。
思わずグエンは叫んだ…
「なんだんだ…一体…あれはいったい何だっていうんだ!」
そして最悪なことにその銀色の蝙蝠と、それに続くようにサウスの帆船がこちらへ向かってくる。
配下たちが震えながら呟き始めた。
「あ…あれは悪魔だ、俺達はおしまいだ…」
「俺達以外の船がすべて沈められてしまった…」
「お頭…俺たちどうすれば…」
グエンが空を眺めると白銀の蝙蝠がこちらに迫ってくる。
思わず彼は呟いた。
「悪魔がこちらに近づいてくるようだな…」
そして二羽の白銀の蝙蝠が甲板に舞い降りた。
部下たちが、あまりの恐ろしさに震え上がっている…
戦場の喧騒は…恐怖により一時的にとはいえ波の音しか聞こえない静寂さに包まれた。
*
私は甲板に降り、目の前の大男と対峙した。
「お前が商人ギルドの元幹部に加担する海賊一派の首領かな?」
「そうだ…グエンだ。ずいぶんと見事にやってくれたな?」
「そちらがあまりにも過剰な戦力で出迎えてくれたのでね…お気に召したかな?」
「そこの部下たちを見れば満足具合がわかるだろうさ。」
私はグエンと配下の海賊の表情を見た。
顔は確かに残忍だが…海賊達が彼を見つめる表情を見る限り、彼は部下にはしっかり慕われていて面倒もよく見ているようだ。
私は彼に問いかけた。
「降伏の意思があるのであれば、お前とその部下の命は取るつもりはないが?」
グエンが船室を見て、何か大事なものを天秤にかけるように思案している。
そして、その船室から一人の男が出てくる。
*
甲板の様子があまりにもおかしいので、テリアが船室から出てきた。
そして周囲の状況を見て絶句している。
「こ…これは…一体…」
グエンが静かにテリアに告げる。
「見ての通りだよ…こちらは壊滅的な打撃を受けている。」
テリアが激昂した。
「サウスの帆船一隻に、こちらがどれだけの戦力を用意していたと思っているのですか。あの状況でこんなことになるなんて絶対にあるわけがない…お前達はいったい何をしていたんだ!」
グエンが冷めた目でテリアを一瞥する。
「どう言われようと、これが結果さ…サウスの帆船も間もなく迫ってくる。俺達はおしまいってことだ。」
テリアが胸元から人形を取り出してそれを掲げた。
「当然これがなんだか分かりますね? お前とお前たちの部下の命は私が握っています。そして…ヘカテイアで暮らさせているお前の家族の命運も。」
グエンが苦悩した顔で部下たちを見つめる。
「俺と部下が死ぬまで働いたら、家族はどうなる?」
テリアが冷酷な目でグエンを睨む。
「まずはこの状況をなんとかするのです。その後にこの失態で出た損害をしっかりと償ってもらいます。おっと…妙な真似はしないで下さいね? 私がヘカテイアにしている定期連絡が途絶えたら、お前の家族を処刑することになっています。」
グエンが歯ぎしりをした。
「てめえ…へカテイアで俺の妻は不自由なく生活させ、子供は満足に教育を受けさせる。そしてそこで役職に就けるといったのは嘘だったってことか!」
テリアがグエンを嘲笑う。
「もちろん貴方がしっかりと働いていること前提ですよ。まさか…働きもせず、ただ味方になっただけでそれほどの待遇を得られると思ったのですか? あなたにそれほどの価値があると思ったのならそれは見当違いです。」
そこまで言った後、テリアは物凄く強い気配を感じた。
視線がそちらへ向かわざるを得ず…そしてそれを見た時、彼は思わず腰を抜かした。
―そこにいるのは少年だ…まだ十六程度の小僧のはず
―だが…その少年は何人をも平伏させる強い覇気を纏っていた。
*
私は静かにテリアに告げた。
「言いたいことは…それだけか?」
テリアは震えて何も言えなくなっているようだ。
私は桔梗に目配せをすると、グエンに問いかける。
「一つ聞きたい…もしお前と一騎打ちして私が勝利したら、サウスに仕える気はあるか?」
グエンは私の言葉に一瞬、驚愕の表情を浮かべた…しかしすぐに諦念したように答える。
「だが、俺に勝ったところで…俺は部下共々あの人形に殺されるさ。」
私は彼を一喝した。
「ふざけるな…お前達は海で生きる男達ではないのか? 例え他人に命を握られようが、海上での戦いに臨む時ぐらいは矜持を見せるのが海賊というものだろうが! あんな俗物の手によって殺されるくらいなら、私と本気で立ち会って最後の華を咲かせてみせろ。」
グエンの目に光が戻った…そして部下たちに叫んだ。
「お前ら! 俺の最後の戦いになるかもしれねえ…だが、お前達の頭として恥じぬ戦いを見せてやろう。」
海賊達が涙を流しながらグエンを応援し始めた。
「お頭…こんな小僧ぶっ潰してください!」
「グエン様のサーベルの妙技に驚くがいい。」
「俺たちの矜持を見せてやってください。」
私はグエン達の様子を見て微笑し、刀を戟に変えて強く握った。
「良い部下を持ったな…これより先は刃で語るとしようか。」
グエンも微笑しながらサーベルを手に取り理力を発現する。
「気のいい奴らでな。だからこそ、あいつらの前でこれ以上みっともない真似は出来ねえ…お前には悪いが本気でやらせてもらう。」
*
甲板の上で私とグエンは対峙する。
私は戟を悠然と構える…対して彼はサーベルを右手に構えて私へにじり寄る。
間合いとしては私のほうが圧倒的に有利だが、グエンは臆することなく下から薙ぎ払いを仕掛けた。
間合い外のサーベルは鞭のような異様なしなりで私の右手首へ迫ってくる。
私は戟の月牙の刃でそれを受け、素早くサーベルをひっかけようとする。
だが、サーベルは滑るように戟をすり抜ける。
グエンは笑みを浮かべながら手首を返して、戟の上から舐めるような動きで私の右手首をさらに狙う。
私は戟を上方に振り上げ、その一撃を防ぐ…が、さらにグエンは手首を返して下からを小手を狙ってくる。
私はそれも刃で受け止めた瞬間、さらに彼の手首が翻り、私の首へサーベルの刃を放った。
私は素早く後ろに下がりつつ、サーベルの刃へ戟の月牙を叩き付ける。
そのまま戟を回転させ石突で、グエンの胸元に強烈な一撃を叩き込んだ。
グエンが苦痛にうめきながらも嬉しそうに笑う。
「俺のサーベルを初見で躱したのはお前が初めてだ…よく気付いたな。」
私が笑みを浮かべて答える。
「達人は間合い外から無駄な攻撃はしないものさ。」
グエンは一瞬あっけにとられた顔をしたが大声で笑う。
「海賊風情と侮ってくれると思ったが…そうはいかねえか。お前のような奴が陸にいるとは面白いものだ。では、こういうのはどうかな?」
グエンがサーベルに力を込めて理力をさらに発現する。
それに気づいた海賊たちが船に強くしがみついた。
船がグエンの動きに合わせるように揺れ始める…が、そこで邪魔な雑音が入った。
船の揺れに動揺したテリアが叫んだのだ。
「何をしているか! 私が落ちてしまうだろうが…お前、まさか私を振り落とすつもりではないだろうな。」
グエンがその雑音に向かって叫んだ!
「うるせえ! 闘わねえ奴は黙ってそこにしがみついていやがれ。口だけ出すような奴は邪魔で仕方がねえよ。」
テリアが目を剥いて叫ぶ。
「貴様…この私に向かって何を言っているのか分かっているのか!」
そして人形を掲げようとして…その人形が鞭でからめとられて奪われる。
桔梗が奪った人形を私に投げ…私はその人形の胸元を一閃した。
人形が音もなく消え去るのを見て、グエンは私に聞く。
「いいのか? 俺たちの命を握って平伏させるという手段もあったんだぜ?」
私はそれには答えず…グエンに言う。
「さて、続きをしようか…まだ決着はついていないぞ。」
海賊達とグエンがどうしたものかと逡巡しているが…桔梗が彼に言った。
「凱さまはこういう人なんです…だから、最後まで付き合ってあげてください。」
グエンの目が透き通るように輝き…そして私に一礼した。
「それでは…俺も生涯で一番の攻撃を見舞うから、それを凌げたらお前の勝ちにしてやるよ。」
私は深く頷く。
海賊達が桔梗に船にしがみつくように助言し、彼女は会釈でそれに答えた。
*
グエンが改めてサーベルの理力を発現する。
グエンの理力に応じて、ミスリルの帆が共鳴しているようだ。
彼が一歩足を進めると、それに呼応したように船が揺れ始める。
グエンが先ほどの雰囲気とは異なり、楽しそうな顔で私に言った。
「さて…陸の人間がどこまで対応できるか楽しみだな。」
私は戟をしっかりと握り、勝負に臨む…
そしてグエンが一気に間合いを詰めてきた。
船が私の体勢を崩すように揺れる中、彼のサーベルが右から私の首を狙う。
私は船の揺れに合わせてすり足で歩を進めて、彼のサーベルに刃を合わせる。
さらにグエンが手首を返して私の額にサーベルを突き刺そうとするが…それは予測済みだ。
私は戟の柄でサーベルの刃を滑らせ、そのまま彼の手を取り、彼を投げ飛ばそうとする。
しかし、彼はするりと後ろに下がってそれを回避した。
グエンが下がると同時にサーベルが光り、またしても私の体勢を崩そうと船が傾く。
それと同時に彼がまた手首を返してサーベルを下から突き上げた。
私は船の動きに逆らわず、彼のサーベルを刃で受ける。
船が激しく揺れる中、ぎりぎりの間合いの中で私はグエンの右足首に凪払いを仕掛ける。
グエンは意にも留めずに右足を上げた。
だが、私の勝利を確信した笑みを見てそれが失敗だったことに気付く。
私はそのまま戟を回転させて石突で彼の腹を思いっきり突く。
彼はサーベルでそれを受けて手首を返そうとするが、片足のため先程よりも力が入らず体勢が崩れる。
私は高速で戟を半回転させ、月牙と柄の間にサーベルを挟み込み、捻りあげるようにして巻き上げた。
グエンは必死でサーベルを手元に戻そうとしたが、片足では踏ん張りがきかない。
サーベルは回転しながら天高く舞い上がり…そして甲板に突き刺さった。
私は戟の石突を甲板に思いっきり打ち付けて叫んだ。
「敵将グエンとの一騎打ちは私が制した! これ以上の戦いは無用、降伏するものは武器を捨てよ。」
海賊達はしばし放心していたが、それぞれの武器を捨てて平伏した。
私は一人茫然としているテリアに歩み寄り…そして告げた。
「貴様は大事な捕虜なんでな…丁重に扱ってやろう。」
ひとまず、桔梗にテリアの尋問を任せて私はグエンに向き直る。
「妻子のことは安心するが良い、カイン公とアルベルトに相談してなるべく迅速に対応させる。」
グエンは私に深く頭を下げて誓った。
「これより我らはサウスの法に従い、処罰を受けることになりますが…もしそれで許されることがあれば貴方に従います。」
私は苦笑して、まっすぐ私を見つめるグエンや海賊達にに言う。
「私ではなく、できればサウスに従って欲しい…な?」
そんな私を見て、グエンと海賊達が豪快に笑った。
月夜がそんな私達をやさしく照らす。
先ほどまで戦いで激しく揺れていた船は、今の私達の心を映すように軽やかに揺れていた。