婚姻の宴~フレイ達の出立
遠征軍のマグニと女中のシェリーが婚約する。
そんなとんでもない状況が判明して、カインの屋敷全体に衝撃が走った。
カインが頭を抱えながらその諸悪の根源に確認した。
「アケロス…それで君は、うちで女中として働いているあのシェリーに、マグニ副隊長が婚姻の申し込みをしたと、そう言っているのかい?」
アケロスがこともなげに答えた。
「ああ、そういうことだ。そのうちトール隊長とマグニがお前の許しを貰いに来ると思うぜ。」
カインがどうしたものかと考える。
―彼は王の期待も大きく、王は彼に良い妻を娶らせたいと思っていたが女嫌いで困っていた。
王からの勧めを断るほどの女嫌いな王国随一の騎士。
そんな男が名家の子女ならまだしも、まさか辺境の酒場で出会った女に惚れて、結婚を希望するといった変節をするとは…
それが原因で、王の不興を買ってはしまわないかと。
アケロスが嬉しそうにカインに語る。
「あいつの名前や外面だけで判断するような女と無理やり結婚させられるぐらいなら、真に思いあう女と結婚するほうが絶対良いと思うぜ。」
カインはさらに頭を抱えた。
「…僕は君が羨ましくなるよ。僕はたまに、領主という立場をすべて捨てて、どこかの街で静かに過ごしたいといった現実逃避をしたくなる。」
アケロスがそんなカインのことを馬鹿にしたような顔で言う。
「身分違いだなんだってセントラルの有象無象がごねるなら、いっそのこと、シェリーをお前の養女にしちまえよ。どのみちあの子はもう身寄りがないんだぜ。」
カインが驚愕の目でアケロスを見つめる。
「馬鹿なこと言わないでくれよ。それで王に睨まれるのは私なんだぞ。」
アケロスが笑って言った。
「馬鹿言ってんじゃねえよ。もう十分睨まれているだろう? 討伐軍まで出されたんだからな。」
カインが逡巡する…そして、ドアがノックされる。
「カイン様、フレイ様が参られました。」
カインはさらに頭が痛くなる中、フレイに部屋へ入ってきてもらうことにした。
*
案の定フレイの要件はマグニとシェリーのことだった。
フレイも頭が痛くなった様子でカインに尋ねる。
「カイン公…こういうことは、もう少し早く私に報告してくれなければ困るんだが…。」
カインも彼にしては渋い顔でアケロスを見ながらフレイに言った。
「君たちが”イースタンの至宝”と呼ぶ彼はね、私の中では”イースタンの災厄”なんだ。君に誓って言うが、私も今しがたこのことを知って頭を抱えているところだ。」
アケロスがカインをじろりとにらむ。
「その”イースタンの災厄”とやらに何度も助けてもらっている奴に言われたかないがな。」
フレイがそんな二人のやり取りを無視して、カインに問いかける。
「それで、カイン公…貴方はこの事態どう収める?」
カインは仕方なく先ほどのアケロスの案を採用することにした。
「シェリーを私の養女に迎え入れましょう。私の娘とマグニが結婚したことにしてください。」
フレイの目が冷たく光った。
「それは…かなり危ない橋を渡ることになるぞ。カイン公が王国随一の騎士との縁戚関係を持つことになるからな。」
カインが静かに答える。
「フレイ…それは解っている。だけどね、それくらいしないと他の貴族たちは黙っていないだろう。だから今回は、私がその責をかぶろうと思う。」
フレイが逡巡する…そしてクレアからの手紙の内容を思い出した。
―あの人は、そういったものをすべて乗り越えてでも自分が護りたいものを救いに行く人だもの。
フレイは溜息をつきながら、カインの目を見据えて言った。
「お前のすぐ傍でずっと支え続けていた奴は大した奴だったよ。この件は急ぎ早馬で王都に連絡して、事後承諾できるように取り計らうようにしておこう。」
カインはフレイに、深く頭を下げて感謝して、さらにフレイに告げる。
「実は、君にもう一つ報告しなければならないことがあるんだが…。」
フレイはカインから聞いた報告を聞いて、驚愕の顔を浮かべた。
「まさか…そんなことが本当に可能なのか!」
そしてカインとアケロス、フレイでそのことについて話し合った。
*
フレイが、任務を終えてセントラルに戻る前に、婚姻を行うべきだと主張した為、急遽、マグニとシェリーの婚姻の宴を行うことになった。
街の広場に慌ただしく舞台が設置され、兵士たちの代表と、街の民たちが広場に集まり彼らの門出を祝うことになった。
主賓の席には、父親のカインとトール、そして親族のアルベルトとセリス、さらに婚姻の後見人としてフレイが座っている。
宴の進行は今回の件で大きな役割を果たしてしまったアケロスが取り仕切ることとなった。
トールが恐縮したようにカインに頭を下げ続けて謝罪した。
「このたびは、不肖の息子のためにご迷惑をかけ、本当に申し訳なく…。」
カインは穏やかな顔でトールと歓談する。
「アケロスのああいったことにはもう慣れました…それに、私としても騎士団との繋がりができるということもあるのですから。」
「それは、建前でございましょう? 貴方がそのような野心を持たれる方ではないというのは、今回のイースタンの調査で重々承知することができました。」
「それにシェリーはこのイースタンの街で誰もが知る酒場の看板娘でしてね。貴方の息子は人を見る目があったのだと思います。」
「そうでしたか…息子も大した娘を射止めたものですな。」
カインは少し悪戯っぽい目をして、アケロスを指さしながらトールに言った。
「トール様、あの男はね…二度も酒場の看板娘を連れ去ってしまったんですよ。まったく奴はとんでもない酒場泥棒です。」
トールはそんなカインの冗談がツボにはまったのか、しばらくの間、笑いが止まらなくなった。
*
広場の中央にある広場の上で、マグニはシェリーに聞いた。
「俺は、武術しか知らないような粗忽者だ…それでもいいのか?」
シェリーがそんなマグニを見ながら笑って言った。
「私、好きな男以外とキスなんてしないのよ。それに…あなた、私の為にお父様へ直談判したんですって? どんなことでもするから私を嫁にしたいって。」
マグニは当然のことだという顔でシェリーを見ることでそれに応えた。
シェリーが満面の笑みでマグニにキスをして言った。
「どこぞの酒場泥棒が貴方のことをヘタレって言ってたけど…それは違うわ。私がそれを一番知っているんだから。」
マグニが嬉しそうにシェリーを見つめる。
アケロスがそんな二人を見てぼやいた。
「ありゃ…完璧に尻に敷かれるな。」
―そして空を見上げる。
新婚の二人を祝福するように空から銀色の蝙蝠が二羽飛来した。
トールが思わずカインを見つめた後、フレイのほうに振り向く…そして察した。
―彼女は、もうこれについて知っていたのだと。
二羽の銀の蝙蝠から二人を祝福するように、淡い桃色の花びらが降り注がれた。
マグニは一瞬驚愕の顔を浮かべてシェリーを見たが、シェリーは当然のことといった顔をしている。
「お前は知っていたのか…このことを?」
シェリーが笑いながらマグニを抱きしめて言った。
「あの二人、アルベルト様とセリス様の時もこうしてくれたのよ。」
マグニは空を自由に飛ぶ銀の蝙蝠を見ながら呟いた。
「全く…最後の最後まであいつらには驚かされる。」
そんなマグニを抱きしめてシェリーは言った。
「でも、私にとっての最高の良い男は…私の隣にいるの。」
そんなシェリーが愛おしくなり、マグニは思わず彼女を抱きしめ返した。
広場にいる人々は、そんな二人を冷やかしながら祝福している。
フレイはそんな二人を見ながら呟く。
「人々から祝福され、幸せになるか…良いものだな。」
*
すべての任務を終えたフレイたちは王都へ帰還することになった。
カインとシェリーについてもマグニとの婚姻を報告するべく、同行する。
そしてカイン不在の間の政務については、アルベルトが代理で行うことになった。
私達の飛蝙蝠については、事の大きさからどうしたものかとカインとアケロス、フレイの間で協議されたが、フレイがうまく取り計らうことで合意できたそうだ。
*
出立の日となり、私と桔梗はアケロスに連れられてイースタンの門外へ向かった。
すでに到着していたアルベルトとセリスがカインとシェリーと見送りをしている。
セリスがシェリーに声をかける。
「まさか、あなたと親戚になれるなんて…でもすぐ別れてしまうなんで寂しいわ。」
「アルベルト様と王都に来ることがあったら、絶対に私たちの家に来てくださいね。」
「もちろんよ、元気でねシェリー」
アルベルトはカインと話している。
「父さん、王都では十分に気を付けて下さいね。」
「そうだな、あそこはいろいろなものが渦巻いているからな。」
アルベルトがフレイを一顧する。
それだけでカインは何かを察した。
「お前が色々気を回してくれるのは嬉しい…が、あまり無茶なことはしないでくれよ。」
アルベルトが微笑しながら言った。
「父さんがよく言っていますが、当事者同士では解決しないこともあるのでは?」
カインが親らしい優しい笑みを浮かべてアルベルトの肩に手を置いた。
「子供の成長というものは早いものだ…」
そしてアルベルトに向かって言った。
「私もその件で一つ覚悟していることがある…だから…そうだな、その時は父さんを許してくれよ。」
アルベルトはそんなカインに優しく笑いかけた。
*
アケロスが来たことに気付くとマグニが彼のもとへ駆け寄り、深く礼をした。
「俺はイースタンに来て、あなたに会えたことを忘れません。」
「まあ、お前も男なら愛する女をしっかりと離さず幸せにするんだな。」
「ええ、シェリーはいい女ですから、俺が絶対に守ります。」
アケロスがカインを指さしてマグニに言う。
「まあ、セントラルに住みにくくなったら、カインでも頼ればいいさ。」
マグニが今回の婚姻でカインへかけた苦労を思い出して、乾いた笑い声を上げた。
「あ、ははは…お義父さんにこれ以上迷惑かけられないですよ。」
少し離れた場所にいるカインは、アケロスが自分を指さしているのを見て、また、ろくでもないことを言っていると背筋が寒くなったが、今は考えるのをやめた。
アケロスと話し終わったマグニが私に近づいてきて握手を求める。
「お前は強かった。俺はまだ修業が足りないと分かったので修練を重ね、再びお前と立ち会いたいと思う。」
私は快く握手をした。
「あなたの剣筋は鋭く、そして立派でした。また立ち会えるのを楽しみにしています。」
そして、フレイが私たちのもとへ来て深く一礼した。
「今回のイースタンの陰謀の件では、大変迷惑をかけた。そしてトールの願いに応じてマグニとの立ち合いをしていただいたこと、本当に感謝している。」
私はフレイに会釈をする。
「フレイさんが公正に取り調べを行い、そしてそれを報告してくださること、そして我々のことに配慮していただいたことを感謝します。」
フレイが苦笑する。
「お前たちみたいな存在をあまり馬鹿正直に報告してしまうとな…国全体がひっくり返ってしまうのだよ。だがな…お前がマグニに勝ったことは覆せない。だから、お前は王の関心を呼ぶかもな。」
私は桔梗とアケロスの方を見て言った。
「私は、自分達の大事な人たちが守れれば十分なのですがね。」
フレイが憮然として答える。
「仕方がなかったとはいえ…あまり力を誇示しないことだ。まあ、お前の献策には感謝をしているがな。」
そして私に握手を求め、私はそれに答えた。
さらにフレイは桔梗の目を見て優しく一言だけ言った。
「色々と心配してくれたようだな…だが、私はもう大丈夫だ。」
桔梗はそんなフレイを見て、嬉しそうな顔で微笑んだ。
*
ついに出立の刻が来た。
兵士たちが私たちに敬礼をして、規則正しい足音が遠ざかっていく。
桔梗が私のほうを見て笑いかけた。
「色々ありましたが、ひとまずは落着しましたね。」
私は桔梗の肩を抱いて微笑んだ。
「そうだな…だが、カインさんが帰って来たら、また忙しくなるさ。」
イースタンの陰謀はひとまずイースタンでは終焉を迎えた。
これから私達がどうなるかは、フレイ達に託すことになる。
だが今は、つかの間の平和を桔梗たちと楽しみたい。
そう思い、私は桔梗の手を取りイースタンの街へ戻った。