自分のために生きる
ようやく戦いが決着します。
文章校正しました(2020/5/19)
私は目の前の強大な人狼と対峙する。
―体躯は二メートルといったところか。
獰猛な目に、鋭い牙…そして左手には鋭く長い爪が伸びている。
右手に持つ血染めのような色に成り下がった蛮刀が怪しげな気を放っていた。
そしてジャンが吼えた。
『俺のもう一つの二つ名は知っているか? …千人殺しのジャンだ!』
―吼えた衝撃で空気が揺れる。
指揮官と賊は頭を抱えてこの世の終わりだという顔で、地べたに這いつくばった。
カインが驚愕の目でジャンを見つめた。
『まさか…こんなことが……アケロス、どういうことなんだ?』
アケロスは冷めた目でジャンを見て説明する。
『自分の発現する理力に飲まれたってところだろうな。アイツの血なまぐさい理力は殺しをした分だけ自分が強くなったという理だな。つまり、獣じみた凌辱をし続けるうちに身も心も獣に成り下がったってことさ。』
ジャンが口から涎を滴らせながら、門の上のカインを睨んで言った。
『後悔するなよ? こうなっちまうと殺しの衝動が抑えられねえ…今日でイースタンは消滅するだろうさ…』
そして視線を私の方に戻し、歯を見せながら嘲笑う。
『小僧…お前、アケロスの息子と名乗ったな? お前を殺したら、お前の親父を半殺しにしてやる。』
さらに、アケロスのほうを見て恍惚の表情で語りだした。
『あいつの目の前で嫁と娘の生皮を一枚ずつ剥いでいこうじゃないか。それに、ブルを捕らえたあの娘…なかなか可愛いじゃないか? あいつは美味しそうだなぁ…』
私は馬から降り真っすぐにジャンの目を見据えた。
『言いたいことはそれだけか? もう少し口上を述べる時間を与えてもよいのだが、今日死ぬような小物にはその時の貴重さすら分からぬらしいな。』
ジャンが激高して左の爪で私を貫こうとした。
『俺はやりたいことだけやって食うもん食うために千人殺してきた。そして今の今まで生き残ってきたんだよ。抵抗する奴はこの爪と剣で八つ裂きにしてやった。てめえなんかに俺が殺せるかよ!』
私は戟を横薙ぎに一閃し、ジャンの爪を切り払った。
『千人殺した程度で何を誇るのだ?』
ジャンが驚愕の顔で地面に落ちた爪を眺める。
『馬鹿な…俺の爪が…これまでいろいろな奴を殺してきたこの俺の爪が!』
そしてさらに激高して蛮刀を振るう。
私は戟の刃でそれを受け流して、突きを放つ…。
ジャンは後方に宙返りして私の攻撃を躱して突きを放つ。
私は体を捻ってそれを避けるとジャンに蹴りを放ち反動で距離をとる。
ジャンが焦った様子で私を怒鳴りつけた。
『てめぇ…その動き、そしての武器から伝わってくる強い意志…だが、ものすげえ数の殺しの臭いもしやがる。何人殺してきやがったんだ!?』
私は静かに答えた。
『それをお前にこたえる必要があるのか?』
ジャンが口汚く罵る、
『どんなに澄ました顔をしてもてめえは俺と同じ人殺しさ、人の人生奪って生きてきた野郎だろうが?』
私はカッと目を開いてジャンを一喝した。
『黙れ下郎! 貴様は自らの足元しか見ず、民の命を食い散らかす賊だ。私が戦場で対峙した者達は、みな自分の国のことを想いながら死んでいった。そして敗れた後も私に民のことを託して逝った。私達はその想いを礎に、いつか世を平和にするために前を見て歩んできた。』
ジャンが負けずに吼える。
『しゃらくせえ! 俺はおめえみたいなやつは嫌いだ。訳知り顔でもの語ってやがるが、そういう他人のために生きる奴は悲願が成就すると、理想と現実の狭間で理想のために手のひら返してすべてをぶち壊すか、そいつ自身が生贄になってそこから去っていくんだよ。お前の様子じゃ後者だ、何が前を見て進むだ。結局お前も立ち止まって足元眺めて終わったんだろうが?』
ジャンが私の首を狙って蛮刀を振るう。
『それにな…お前、今さら蛮族の奴ら助けてどうする? お前が今回の戦いで蛮族を殺したのは何人だ。五人…いや十人か? それとも…数えきれないくらいか? きれいごと言ってるんじゃねえぞこの偽善者が!』
私は戟の柄で蛮刀を受け、ジャンの胸を強く蹴って距離をとった。
『確かに、無用な殺生はしたくないのは私の勝手な想いだ。』
そしてアケロスといつの間にか門の上にいる桔梗を一顧する。
『そして…私自身が一度は下を向き、足元の世界を見続けたために、犠牲となったこと自体は認めよう。』
――そして、桔梗のことを思い浮かべる。
『それでも、そんな私とずっと一緒にいてくれた愛する人がいる。』
――そしてアケロス達の顔を思い浮かべる。
『そして愛すべき家族もできた。』
――そして戟を刀に変え、腰だめに構えた。
『だから…私は この世界で前を向き、自分ために生きるんだ!』
『―っ、しゃらくせえ!』
ジャンが渾身の一撃で蛮刀を振り下ろす。
私はあえて蛮刀に向かって居合を放つ。
私の理力とジャンの理力がぶつかり合い…
―そしてジャンの蛮刀が粉々に崩れ去った。
ジャンの目が驚愕で見開く。
『馬鹿…な……!?』
そして抜かれた刀が突き刺さる。
『ぐぼぉ……こんな…ところで…おまえは……』
貫いた刀の先から、胸を撃ち抜かれた人形が飛び去り、光の粉となって消えていった。
私はそのまま刀を横なぎに振り払う。
力なくジャンが倒れ、人の姿に戻っていく…
*
もう立ち上がれなくなったジャンの前で私は剣を振り上げ宣言した。
『敵将…黒狼のジャンは打ち取られた、降伏するものは武器を捨てよ!』
周りの属たちが私に平伏しながら武器を捨てる中、倒れているジャンがかすれた声で笑う。
『ぐっ…たし…かに…お前は強い……だが、勝負は、俺…の…勝ち…』
その言葉が終わらぬ内に、門の陰にいた市民がアケロスに矢を射った。
私は振り向きもせず、確信をもってジャンに告げる。
――私の桔梗がそれに気づかぬわけがあるまい。
桔梗が鎌で矢を払いのけると、門を飛び降り、男の後頭部を蹴り飛ばす。
『私のお父さんには誰にも手出しさせません。』
アケロスは驚きながらも、横で冷や汗をかいたカインに笑いかけた。
『孝行もんの息子と娘を二人も持つと大変だなぁ!』
ジャンが苦し気に呻く。
『…くそ…が……いつか…地獄……に…来い…待っ…』
―そして、彼は物言わぬ屍となった。
私は刀を天に向け叫んだ。
『戦いはこちらの勝利ぞ、勝鬨を挙げよ!』
桔梗とアケロス、そしてカインが勝鬨を上げる。
それは徐々に街中に伝播し、イースタンの街から勝利の雄たけびが、いつ切れることなく続いた。