蜘蛛退治へ
あえて桔梗が凱を呼ぶときは”凱さま”と書いていたつもりです。
一応理由はあるのですが、後の話で書きます。
文章校正しました(2020/5/19)
部屋に戻り、私は桔梗の頭を撫でた。
「凱さま…また、お戯れを…」
寝言でもお決まりの言葉を言う桔梗。
こちらの世界に来て、コロコロと表情を変える彼女が本来の姿だとすれば、私はどれほどの我慢を桔梗に強いたのだろうか?
私は思わず呟く。
「すまない…桔梗、私は…」
桔梗が私の呟きを寝言で返してきた。
「凱さま…は…私が…いない…と駄目ですから…」
私は驚いた。
―起きていないよな?
そして慌てて彼女の顔を覗き込む…可愛らしい寝顔に規則正しい寝息が聞こえる。
―嘘寝では無いらしい。
私は安堵したせいか、桔梗の顔を撫でているうちについ本音を漏らした。
「綺麗な寝顔だな…」
桔梗の目から一筋の涙が流れる。
「凱さま…綺麗…だなんて…夢……ですよね…」
私はハッとした顔で彼女の顔を見つめた。
―私が桔梗のことを綺麗だといったのは、十六の時か…
そして、その後には言えなかった。
忍びの里からの桔梗との謁見の後、里長から私は聞かされていたのだ。
どのようにして桔梗が忍頭になったのか、そしてその代わりに何を引き換えとしたのかを…。
私は桔梗に優しく話しかけた。
「ああ…桔梗、君は”いつだって”綺麗だったよ」
そして、寝ている桔梗の腕を見て、傷がなくなっているということに今更気づいた。
―そんなことすら見てやれなかったのか。
私は桔梗に縋りつくようにして泣き…いつしか眠りについてしまった。
*
…さま?…凱さま!
桔梗の声が聞こえる気がした。
目を覚ますと、耳まで真っ赤に染まった桔梗が私の頭を撫でながら呟いている。
「これでは動けません…よ?」
「む…桔梗…うわっ」
―しまった…あの体制のままだ!?
クラリスさんが中々起きてこない私たちを心配して、ドアを開けて桔梗に声をかけた。
『キキョウちゃん大丈夫~?』
ガチャっと明けたドアの向こうでクラリスさんが良いものを見たという顔になった。
私達のこの何とも言えない恥ずかしい状況を彼女は一言で表した。
『あら~仲が良いこと♪』
そして、笑顔で早く降りてくるように促した。
クラリスさんの後ろに居たセリスは見てはいけないものを見た顔で固まっている。
しばらくして我に返った彼女は狼狽しながら私たちに伝えたい事伝えていなくなった。
『あっ…わわわっ! キキョウ様おはよう、メ…メディが来てるから広間で…待っていますね!』
私は桔梗に謝った。
「すまない桔梗…」
桔梗が悪戯っぽく微笑みながら私に言う。
「良いんです! 私達、”駆け落ち”してることになってるんですよね。」
*
宿の広間にはメディと精悍な衛兵が一緒に居る。
メディが私たちに彼を紹介した。
『私の幼馴染のライアンよ。キキョウちゃん、あなたの薬のおかげですっかり良くなったわ』
ライアンが桔梗の前に出て深く礼をして感謝した。
『まさか、あんなに酷かった症状がこんなにすぐに治るとは…、他の仲間も君とメディの薬のおかげで良くなった。』
そして、私の方を見て笑顔になりながら、昨日の工房前での騒ぎについて語った。
『ところでガイ君だったね、昨日同僚が君の動きを見て、あれは歴戦の戦士の動きだったととても高く評価していた。今回、名士様が野盗の一軒でかなり兵を割いてしまってね、そこで君に蜘蛛退治を手伝ってもらえないか…と。』
メディが慌ててライアンの肩を引っ張る。
『ちょっとライアン! 何言ってるのよ、キキョウちゃんの彼氏に何かあったら…』
彼氏というキーワードに顔を少し赤くする桔梗だったが、影のある笑顔で私を促した。
『凱さま…いえ、凱様ならきっと大丈夫です。そうですよね!』
私はその笑顔に何か思うところはあったが、苦笑しながらライアンの頼みを了承することにした。
『凱様…か、解ったよ、鉱山のほうに案内してくれ。』
そして今回の件に必要と思われるものについてライアンと話し合う。
『それとそうだな…松明に浸す油ってあるかな?』
『あるけど、どうするんだ?』
『念のため、持っていきたいのだが。』
『わかった。どれだけほしい?』
『とりあえず、私と桔梗とライアンの分でいいから一瓶分あればいいさ』
『ふむ…』
ライアンが訝しげな表情で私達を見ている。
そんな表情のライアンに業を煮やしたメディが、彼を睨み付けて叱りつけた。
『頼んでおいて何よその態度! キキョウちゃんとガイ君を信じなさい。』
結局ライアンはメディの剣幕に押し負けて謝罪した。
『そうだな頼んでおきながら疑うなんてすまなかった。手配しておくので後で落ち合おう。』
そして急いで詰所へ走っていった。
さらに私はある可能性を考えて、メディに必要な材料を頼んだ。
『メディさん、除虫菊の乾燥粉末を多めに頂けますか? あと、出来ればハッカの香油をお願いします。』
メディはと、興味深く私を見て答える。
『除虫菊か…あれだけじゃ蜘蛛は死なないけれど、何か考えがありそうね。』
そして、桔梗の方を見て、何かを思い出したようにポンと手を叩く。荷物袋をごそごそと漁り、昨日のミスリルの水筒を取り出すと、桔梗に渡して言った。
『昨日のお礼…ってわけじゃないんだけど、持って行ってもらえるかしら。ライアンに何かあったら私の代わりに治してほしいの。』
そして色々と思い出しながら憤懣やるかたないといった顔でぼやいた。
『あいつったら…回復したばかりなのにすぐ復職するなんて、 いつも治しているあたしの気持ちも考えてほしいわ!』
桔梗も何かを思い出して、こちらをジト目で見つめる。
『そうですよね! 男の人ってそういうとこありますよね。』
メディは意味ありげな目を私に向けて窘めた。
『ふ~ん…ガイ君、あまりキキョウちゃん困らせちゃだめよ。』
そして、足早に薬屋へ戻っていった。
*
準備が整い、私達とライアンは馬車に乗せてもらい、鉱山周辺の駐屯地へ向かった。
馬車でもここから半日かかるというので、ライアンに蜘蛛の化物について教えてもらうことにした
。
―俺らの中では”バインダー”と呼んでいる。
俺の身長ぐらいある蜘蛛なんだが、糸を地面に吐き出してこちらの動きを阻害してくる。
あと、顎に毒があってあれに刺されると、その場所が痺れて動かなくなる。
俺も腕を刺されたせいで、完全に動かなくなるところだった。
桔梗は昨日啜った毒のことを思い起こしてライアンに確認する。
『そのまま放っておくと息ができなくなるのでは?』
ライアンは桔梗のほうをみて感心する。
『よく知ってるな嬢ちゃん。毒が重症の奴は息が弱くなって…そのまま逝くこともある。』
そして、彼は遠い目をしながら同僚のことを思い浮かべて桔梗に感謝した。
『俺の同僚も何人かそれで殺られてな…だから嬢ちゃんが解毒薬を作ってくれたのは、とても助かったぜ。メディも症状を弱める薬までは作れていたんだが、完全に消せるところまでは出来ていなかったからな。』
ライアンの表情を見て心が痛んだが、私は蜘蛛について確認をすることにした。
『最近現れたのか?』
『そうだな、もう少し山深いところで報告されてはいたが、鉱山近くまでは来なかった。というか、そもそも鉱山近くは岩や砂ばかりで食べるものがないからな』
『ふむ…』
―アルの件といい、何か不穏な感じがする。
私はさらに鉱山回りのことについて確認することにした。
『近くで何か変わったことは?』
『そういえば、なぜか最近”ニクムシ”っていう草食性の虫の卵が、鉱山近くにあったな。草原のほうにいるはずの虫なのに、不思議なもんだ』
私はそれを聞いて確信した。
―この一見何者かが裏で糸を引いている。
『臭いな…』
『ん?失礼な奴だな、しっかり俺は風呂に入っているぜ。』
『いや…そういうわけではなくてな。』
私は自分の考えていることをライアンと桔梗に説明する。
*
ライアンが私の説明を聞いて納得した顔になった。
『ニクムシを狙ってバインダーが鉱山近くに来ているってことか、なるほど…でどうするんだ?』
さらに私の策をライアンと桔梗へ説明する。
ライアンはにやりと笑う。
『ほう…それは面白いな、それにそんな性質があるとはな。』
ライアンの目を見ながら私もにやりと笑い返した。
『まあ、効くかどうかは試してみないとな。』