戦いの終わり
錫杖が放った光が薄れていき、マグニ達はそこにいるはずの者がいないことに気付いた。
そして、皆の心に大きく穴が開いたような喪失感が生まれていく。
――ガイとキキョウの存在がこの世界から消え去ってしまった……
それは、カナン平原から離れた者たちにも伝播していき、彼らを知る全ての者の心を痛めた。
マグニが、震える声で錫杖に問いかける。
「貴様……ガイとキキョウを何処へやったんだ!」
錫杖は無機質に笑って言い放った。
「虚空の彼方に吹き飛ばしたまでのことよ。元々この世界の者でない奴らだ……居なくなったところで何の問題もあるまい。」
マグニは絶叫した。
「貴様………俺の……俺の親友達になんということをしたのか。貴様だけは絶対に許さぬ!」
そして、怒りに任せて錫杖に向かって斬りかかろうとする。
だが、錫杖が強大な理力を発現すると体の動きが鈍り、そのまま軽くあしらわれて蹴り飛ばされた。
錫杖は呆れた顔でマグニを見下ろす。
「王に対して切りかかってくるとはなんと野蛮な……平伏するがよい。」
トールとアレスがマグニを助けようとするが、錫杖の強大な理力に体が動かない。
マグニは動かない体を必死に奮い立たせて叫んだ。
「ガイ、キキョウ、俺の声を聞け……俺はお前たちと出会えて本当に幸せだったのだ! だから早く戻ってきて一緒に戦おうではないか。」
錫杖が冷めた目でマグニを見据えて、渾身の理力を発現し始める。
「アルテミス最強の騎士であれば、われの依代として十分かと思ったが、このような下賤な考えを持つ者はいらぬ……せめてもの慈悲だ。そなたも、ガイやキキョウと同じ運命を辿らせてやろう。」
トールがマグニへ必死で駆け寄ろうとする中、光がさらに強くなっていく。
再び周囲の空間が再び歪み始める中、本陣を救援しようとセレーネの兵達が殺到し始める。
勝利を確信した錫杖は酷薄な笑みを浮かべながら、マグニへ放った理力を強めるのだった。
*
私は意識を虚空に飛ばされるような感覚とともに、心がどこかへ飛ぶような何とも言えない浮遊感に襲われた。
この感覚には覚えがある。
――前の世界を越えるときに感じた時と同じだ。
私は傍らにいた桔梗のことを思い出して、慌てて桔梗がいた方を見ると、彼女は私の心を読んだように優しく手を握った。
どこからか、錫杖の声が聞こえる。
「我はお前らのことを絶対に許さぬ……無限の時を虚空の中で過ごすがよい。」
桔梗は悲しげに私に話し掛ける。
「どうやら……また世界から追い出されてしまったみたいですね。」
私はまっすぐに彼女を見つめて首を振る。
「桔梗、まだ諦めてはならない……何としても戻ってマグニ達を助けなければならない。」
桔梗が困惑した顔で私を見つめる。
「でも、どうすればよいのでしょうか? 周りを見渡す限り真っ白で、どこへ行けば良いのすらわかりません。」
その時、どこからか私達に語り掛ける声が聞こえてきた。
*
先ほどの静寂が嘘のように、私達へ呼びかける声が聞こえてくる。
まず最初に聞こえてきたのが、マグニが必死に私達に向かって叫ぶ声だ。
「ガイ、キキョウ、俺の声を聞け……俺はお前たちと出会えて本当に幸せだったのだ! だから早く戻ってきて一緒に戦おうではないか。」
バルデルとナインソードが嘆いている。
「俺達はガイ殿に呪縛から解放して頂けただけでなく、ノースとの確執をも救ってもらえたのだ……これから借りを返せるというところで、なぜ居なくなってしまったのだ!」
さらに、トールが私に叫ぶ声が聞こえた。
「ガイ様、この世界にあなたが必要なのです! 私と共にあの邪悪な錫杖を打ち滅ぼして、また采配についての戦術を語り合おうではないですか。」
アレスが静かな声で私に訴えかける。
「俺はガイ殿に助けられて、あれほど見事な采配を見たのに、あれで見納めというのはあまりにも寂しすぎるではないか。それにな、俺はまだ右腕の借りを返していないのだ。だから……早く戻ってくるがよい。」
そして、どこからかアルベルトの声が聞こえてきた。
「あの時ガイやキキョウが命を救ってくれなければ、私は野盗に殺されてセリスと一緒になることができなかった。それが今では、商人ギルド長という職務と愛する妻を得て幸せなのです。だから、僕は君達にいっぱいお返しをしたいと思っているんです。」
また違う方からフレイの声が聞こえてくる。
「私の心はアルベルトにより救われた……だが、ガイの献策やキキョウの支えがなければ、こうしてカインと幸せに暮らすことすらできなかっただろう。あのような錫杖に後れを取るものとは思えん。策があるのだろうから、さっさと戻ってくるが良い。」
グエンとダナンが大声で必死に思いを伝えてきた。
「お頭がいなければ、俺達はハシムと元商人ギルドの奴らに利用されるだけ利用されて死んでいたかもしれねえ。だが、お頭は俺達を救ってくれただけでなく、誇り高く街の者達から慕われるような立派な道を与えてくれた。お頭なしの人生なんて、もう考えられないんだから帰ってきてくだせえよ。」
カマルとアイシャ、そしてアルドの声も聞こえる。
「ガイ様とキキョウ様がいなければ、今のヘカテイアはなかったでしょう。私達は、貴方達と将来に渡って共に歩んで行きたいのです。だから、どうか戻ってきてくだされ。」
ユミルと側近達が、威厳を込めながらも優しく話しかけてきた。
「ガイとキキョウよ……そなたらは、アルテミスだけでなく隣国さえも救っているのだ。我が国民もそなたらの帰還を待ち望んでいるのだぞ。」
ユミルの声を肯定するように、イースタン、サウス、ウエスタン、ノースの民達が私と桔梗に帰ってくるように訴えかける声が聞こえてきた。
ライアンやメディ、クロードやブライなど、今まで出会った人々が口々に、私たちに帰ってくることを願っている。
私と桔梗は人々の気持ちが嬉しくて、自然と目に涙が溢れてきた。
そんな私達にカインが静かに告げる。
「ガイ君達がサウスの陰謀からアルベルトを助けてくれなければ、息子は死んでいただろう。そうなっていたら、私はアケロスを憎んでいたかもしれないんだ……それに、イースタンの防衛戦から今まで、君達は何度も私たちの命を救ってくれたね。ガイ君が言ってくれた通りに、私にとっても君達は大事な友達なんだ……だから、この世界に帰ってきて欲しいんだ。」
桔梗にクラリスが優し気に語り掛ける。
「キキョウちゃん……どこにも行っては駄目よ。平和になったら色々な料理や踊りだって教えたい。それにまだ、貴女の結婚式の晴れ姿を見ていないのよ。今からとっておきの服も用意しているんですから、私の娘が幸せになるところを見たいのよ。」
桔梗が涙を流しながら、クラリスの声に応える。
「私もまたお母さんに会いたいです……そして、一緒に買い物に行って、お父さんや凱さまの為に一緒に料理だって作りたい。」
最後に、アケロスが呆れたような声で私に告げる。
「ガイ、俺は言ったよな……自分の大事な女を泣かせるのだけは駄目だってな。どうせ、今だってキキョウのことを泣かせてるんだろう? 最後までヘタレているんじゃねえよ! 超越者だったら奇跡の一つや二つでも見せてみやがれ。お前はいつも気負いすぎなんだよ……そんな時だからこそ、一人でどうにかしようとせずに、誰かを頼るもんじゃねえのか?」
私はやりきれない思いと共に叫んだ。
「起こせるものなら奇跡の一つや二つ起こしてみたいさ……だが、私は神様じゃなくて人間なんだ!」
その時、私と桔梗のマントが金色に輝き、眩い光を発した。
放たれた光が収束して人の形を形成していき、私達の前にジャンヌが舞い降りた。
ジャンヌは優しげな眼で私達に話しかける。
「ウエスタンで出会ってから数か月の間でしたが、ずっと見ていました。貴方達は、民や人々を救い、そして導き続けました。そしてこうして人々が貴方達を慕っている……私はその想いに応えたいのです。」
私はジャンヌに深く頭を下げた。
「ジャンヌ様は、ナインソードやバルデルとの闘い、そしてアレス王の時にも力を貸してくれましたね。彼らを救うことが出来たのは貴女のおかげです。」
ジャンヌは私の感謝に微笑する。
だが、すぐに憂いを帯びた表情に変わって錫杖のこと語り始めた。
「そして、あの錫杖のことも見続けてきました。私には解ります……あの錫杖は昔、私が焼き払った教会や司祭達と同一であることを。人を惑わせ、支配するけれど真の意味で救いはしない。そして自分を信じないものを、私や貴方達にしたように異端として世界から追放する。そのような存在が人を支配することはあってはならないのです。」
桔梗がジャンヌを真っ直ぐに見つめる。
「フレイ様からジャンヌ様のお話を聞きました。貴女は前の世界でも献身的に人々のために尽くし、この世界を救うために十分に尽力されたではないですか……いつまで使命のために生きなければならないのですか?」
ジャンヌは静かに首を振った。
「私は、前の世界であまりにも多くの業を背負いすぎました……そして、神とそれを信じるものを憎むあまりに、多くの人々を殺めたのです。それが故でしょうか……私は金色の炎に包まれた後も天に召されることなく、心がウエスタンに残り続けたのです。」
そして穏やかな顔をして、桔梗に笑いかけた。
「あの時から五百年の時が立ちましたが、そのように心配されたのは初めてでした。聖女や超越者としてではなく、一人の人間として扱ってくれたこと……感謝します。」
そして、ジャンヌは私達の手を取って告げる。
「さあ、行きましょう……貴方達を待ち望む人たちの元へ向かうのです。私と共にあの錫杖を打ち倒して、人の未来を切り開くために!」
黄金の炎が空間を切り裂く中、私達はジャンヌに導かれるように前へと進むのだった。
*
徐々に私達を呼ぶ人々の声が強くなり、そして私はマグニを見出した。
マグニが私と桔梗の姿を見て、嬉しさのあまりに涙を流した。
「ガイ……キキョウ……戻ってきてくれたのか!」
空間が歪んで私達とマグニを飲み込もうとする中、私は刀に理力を込める。
刀が金色の炎を纏う中、禍々しい気配に向かって私は居合を放った。
金色に輝いた刀が空間を一閃すると、錫杖が驚愕に満ちた顔でこちらを見つめていた。
「馬鹿な……どうやって戻ってきたというのだ。そしてその金色の炎は何だというのだ!」
私と桔梗を包む金色の炎を見て、セレーネの兵達が畏れるように平伏した。
「あれはジャンヌの炎か! 伝承は本当だったのだ……俺達は戦ってはならぬものに対峙してしまったのだ。」
錫杖は怒りに任せて叫んだ。
「何がジャンヌの炎だ! 我は王なるぞ……そのような得体のしれないものに怯えるでない。」
私は笑みを浮かべて錫杖に言い返す。
「お主のような存在がよく言うものよ。人を惑わし、そして道具のようにしか思えない王は暴君でしかない……潔く散るがよい。」
錫杖が猛るような音を出して、理力を発現する。
「お前のような存在は、この世界にあってはならない……下手な慈悲をかけたのが間違いであった。今度は跡形もなく消し去ってやろう。」
私は錫杖に静かに言い放つ。
「言いたいことはそれだけか? お主に付き合うのも少し飽きたのでな……もう終わりにしよう。」
錫杖が私に向かって理力を発現するが、私は素早く身を翻してその理力を躱す。
そして、風に乗りながら空を舞って錫杖との距離を詰める。
錫杖は苦し紛れに理力を連発してくるが、私はそれらをすべて切り裂いた。
そして居合の構えをして、錫杖に告げる。
「王を騙りしものよ……終わりの時が来たのだ。」
そして、渾身の理力を込めて刀に金色の炎を纏わせた。
錫杖が悲痛な音を立てながら叫ぶ。
「我は……望まれて作られたはずなのだ! 王の力を示すものとして……」
私は錫杖に居合抜きを放つと、静かに告げる。
「王は民を正しく導く存在だ……力はその手段に過ぎない。それが分からぬ時点で、お主は王になれぬのよ。」
金色の炎に包まれた錫杖が灰になって消えていく。
奇しくもそれは、ジャンヌが教皇を焼き払った時のような既視感を感じさせた。
それを感じた桔梗が、ジャンヌを思いながら懐の木霊笛を優しく吹き鳴らす。
すると、私達を祝福するように空から金色の光が降り注いだ。
戦場に降り注ぐ黄金の光、そして全てを癒すかのような優しい音色が周囲に響き渡ったことに、両軍の兵達は長きに亘った戦いが終わったことを感じて涙を流すのだった。