カナン平原の決戦
私達は未来を切り開くために目の前の敵たちと対峙する。
前陣にいる私達は四列横隊で敵を迎え撃つことにした。
前陣のすぐ後ろに布陣したアルドが、右手を挙げてヘカテイアの長弓隊へ指示を出す。
「皆の者、ヘカテイアの弓術を敵に見せてやろうではないか! 敵左翼と右翼方向を一気に射抜いてやるのだ。」
長弓から放たれた矢は、私たちの頭上を遥かに高く超えていき、敵の左翼と右翼に降り注ぐ。
セレーネ兵は舌打ちをする。
「あの弓は厄介だな……こちらの射程外からあのように射られては構わぬ。一度後退して前陣の援護に回るのだ。」
敵左翼と敵右翼が後退して、前陣が突出し始めた。
影の者を通じて桔梗から連絡が入る。
――敵が鋒矢の陣に移行して中央突破を狙っています。
敵は、長弓を機能させないようにするため、我らの前陣に突撃して混戦状態に持ち込み、一気に本陣まで攻め込もうとしているようだ。
敵の動きに合わせて前陣にいる私は叫んだ。
「これより鶴翼の陣を形成する。四列横隊の後方にいるものから徐々に右翼と左翼に移るのだ! 移った者達はそれぞれの陣の前陣側を防御体系で死守せよ。」
ヘカテイアの長弓隊が、援護射撃で敵前陣後方に矢を射かけて牽制する。
セレーネの将が雄たけびを上げた。
「一気に突撃せよ! 敵の弓は連射が効かぬ……敵との混戦に持ち込めば、こちらのものだ。」
敵が突撃する中、私はトールとマグニ、そしてアレスと共に、前陣後列の部隊が自軍の右翼と左翼へ移行するのを必死で助ける。
マグニとトールは前陣の兵達に叫んだ。
「これ以上下がると、あれの餌食になるぞ! 何としても持ちこたえるのだ。」
ヘカテイアの長弓隊が敵前陣後方へさらに援護射撃を仕掛ける中、敵はさらに勢いに乗って前陣の突破を図った。
敵の突撃に対して、トールが見事な采配で敵の勢いを前陣の中央側に流していく。
敵前陣だけでなく右翼と左翼の部隊も私達のほうへ殺到してくる。
自軍の前陣の中央が一列横隊にまで薄くなった瞬間に私は叫んだ。
「敵の引付は終わった。あとは手はず通りに動くぞ!」
私とトールは右翼、マグニとアレスは左翼に分かれて前陣を放棄した。
そして、敵が前陣を突破した後に突如動きが止まった。
セレーネの前陣の兵達は、目の前に広がる光景に絶句する。
――これでは敵の長弓隊のもとに辿り着くことが出来ない。
確かに、ヘカテイアの長弓隊は眼前に見えている。
だが、その前には無数の金属片がまき散らされており、歩兵が前に進むことができないのだ。
足元以外に障害もないこの状況では、一方的に射殺されることが目に見えている。
セレーネの将達は絶望的な表情を浮かべて呟いた。
「馬鹿な……我々は野戦をしていたつもりだったが、城攻めをしていたのだ……」
アルドは、目の前の状況を見ながら少し興奮気味に呟く。
「弓兵というのは、眼前の脅威を守る歩兵がいるからこそ機能するものだと私は思い込んでいた。だが……この状況はどうだ。歩兵がおらず、眼前に遮るものが全くないというのに、敵は前に進むことが出来ずに我らが強弓の贄となろうとしている。」
彼は自軍の長弓隊に叫んだ。
「敵は棒立ちだ。訓練の的の数倍の大きさの敵を射抜けなかったとしたら、末代までの笑いものになると思え!」
ヘカテイアの長弓隊から放たれた矢は、敵前陣の鎧すら貫通して後方の兵士に怪我を負わせる勢いで降り注いでいく。
セレーネの前陣、そして後詰の兵達は左翼、右翼、そして長弓隊の三方向攻撃を受けて大きく崩れ始めるのだった。
*
錫杖は、敵の前陣が崩れたのを見て勝利を確信していた。
「皆の者! 確かに、ヘカテイアの長弓は強力だ。だが、連射ができない以上、近づいてしまえばこちらのものだ。敵前陣が崩れた今が好機ぞ……一気に本陣を陥落させるのだ!」
だがその時、セレーネの前陣が不自然な形で止まった。
錫杖は自身を光らせながら叫んだ。
「何を怖気づいておるのだ。命を賭してでも勝利のために前に出るのだ!」
渾身の理力を込めて彼らを奮い立たせているのに、セレーネの前陣は遅々として進まない。
しばらくしてから、錫杖に伝令が駆け寄ってきた。
「ホッド様、一大事にございます。敵弓兵隊の前方に金属片が無数にまかれており、突破が困難な状況に陥りました。」
一週間前に苦労させられたあの忌々しい罠を思い出しながら、錫杖は冷徹に言い放つ。
「ならば、前陣で動けない者を金属片の上に投げ込めとでも伝えろ! そして、左翼、右翼、さらに後詰の騎兵を突撃させるのだ。」
伝令が恐縮しながら状況を伝える。
「左翼、右翼、そして後詰が鋒矢陣形をとっているため、前陣の歩兵が邪魔で進むことができませぬ。しかも、敵左翼と右翼共に、前陣にいた部隊が加わっているようで、三方向より包囲殲滅を図られております。」
錫杖は怒りに任せて理力を発現すると、禍々しい光が戦場を包んだ。
周囲にいた者達全てが不気味な使命感に燃えて、目を血走らせながら叫んだ。
「わが主のために命を懸けて戦うのだ……死を恐れずに前に進め!」
彼らは自らの死を厭わず、マキビシに足を踏み入れる。
矢を受けて倒れた味方を踏みつけながら、強引に進軍を開始したのだ。
数百……いや、数千の犠牲を出しながらも、彼らは強引にヘカテイアの弓兵隊へ向かって突撃を行おうとするのだった。
*
錫杖の理力により、敵の気配が変わったことを私は感じた。
私はトールに話しかける。
「やはり強行突破を図りに来たか……つくづく思うが、あの錫杖は人を人とも思わぬ代物だな。」
トールが静かに頷いて、すぐに指揮を開始する。
「ガイ様が憂慮されていた事態になりましたな。左翼と右翼の後方部隊を、ヘカテイア軍の援護に回します。」
私とトールは右翼の後方部隊を率いて、ヘカテイアの長弓隊とマギビシの間に進軍するのだった。
アルドは、敵の本陣で錫杖が光った後の敵の動きを見て叫んだ。
「ガイ様達の部隊がすぐに援護に来る……前方の部隊は、射撃後に後方に移動せよ! 味方が来たら仰角を上げて騎兵を中心に射貫くのだ。絶対に誤射はするでないぞ。」
敵兵が死体の橋を作ろうとする中、ヘカテイアの長弓隊は見事な技術で敵を打ち抜いていく。
だが、敵の部隊がついに死体の橋を完成しようとした瞬間に、私達の軍がマキビシと長弓隊の間に割って入った。
アルドは笑みを浮かべて叫ぶ。
「ガイ様が援軍に入られたぞ! 安心して敵後方に向かって矢を射かけるのだ!」
敵は死体の橋を使ったことでマキビシは避けられたが、足元が不安定なことには変わりない。
死兵と化したところで、万全の状態で迎え撃つ私達に敵うわけもなく、あっけなく前陣の敵は崩壊していった。
さらにヘカテイアの長弓に射抜かれ、左右からの攻撃に晒されたの後詰も壊滅する。
私は皆に向かって叫んだ。
「今こそ、あの災厄を呼ぶ錫杖を打ち倒す時だ! 一気に敵本陣を打ち崩す。」
私とトールは右翼に戻って敵左翼を打ち崩すと、敵の本陣に向かって突撃する。
そして、左翼にいるアレスとマグニ、そしてバルデル達も敵右翼を打ち破って本陣に向かって突撃するのだった。
*
私達は、抵抗する貴族達とそれに従う兵を薙ぎ倒して、錫杖を持つホッドと対峙した。
私は、静かに錫杖に向かって告げる。
「王の錫杖よ……そなたは自分の虚栄心を満たそうとするあまりに、多くの人を狂わせ、そして死に追いやってしまった。私はそなたの存在をもはや許すことはできぬ。」
錫杖は酷薄な笑みを浮かべて、私を嘲笑した。
「狂わせるとは、異なことをいう……あの者達が望んでいることを、我は叶えようとしたまでのことよ。そしてその証拠に、かの者たちが託した思いが我の力となっておる。」
そして、禍々しい光を発しながら私達に近づいてくる。
「そもそも、この世界にお主らのような存在がいてはならなかったのだ……我が世界の代弁者として、この世界をあるべき姿に戻さねばならぬ。」
そして、錫杖が強大な理力を発現して眩い光を発した。
あまりに強大な理力で周囲の空間が歪んでいく中、桔梗が私の傍らに舞い降りる。
私は思わず彼女に叫んだ。
「桔梗……駄目だ! 私の傍から離れるんだ。」
桔梗は優しく私に笑いかけた。
「私は凱さまと、何があっても一緒にいると心に決めているのです……最後までご一緒させてください。」
錫杖が狂ったような音を立て、さらに光がに眩しくなる中、私達の意識は虚空の彼方へと消えていくのだった。