セントラル兵の救出劇
アレスの右腕に纏わりついた文字が浄化された瞬間、錫杖は自らの一部が消失するような感覚を覚えて、悶え苦しむような音を立てた。
錫杖の支配力が弱まり、ホッドが正気を取り戻す。
ホッドは錫杖に問いかけた。
「一体お前は何がしたいというのだ! そして、私をどうするつもりなのか?」
錫杖がホッドの手を通じて意思を流し込んでくる。
――王の象徴として君臨し、正しく国を統治するのだ。
王冠のように、歴代の王が継ぐべきものとして存在し続け、代々の王の導き手として君臨する。
そして、不幸にも王足らぬものしかおらず、それでも王になりたいと言う愚か者が即位してしまった時は、その者の身を代償とした王の理力を発現させて、玉座を死守させてしまえば良いのだ。
愚か者が献身的に玉座を死守している間に、我が王たる資質を持つものを見出して即位させる。
そうすることで、国は元通りに素晴らしい王と導き手である錫杖が統治し、全ての者が我らに傅くことになるだろう。
ホッドが怒りをあらわにする中、錫杖はなおも意思を流し続ける。
――そもそも、身の程を知らぬ愚者は国を腐らせるばかりだ。
実力もなく、ただ我の力を求めるばかりで国を混乱させた挙句、上手くいかなければ己の貧弱さすら顧みずに我に文句を言う。
たとえ次代の王への時間稼ぎとしても、そんな愚か者が王として生きることができるのは、十分幸せではないのか?
ホッドが怒りに任せて叫んだ。
「ふざけるでない! 余はお前の道具ではないのだ。もう我慢できぬ……お前のような禍々しいものは、打ち捨てて炉の中で溶かしてやろう。」
そして、錫杖を投げ捨てようとしたが、その手から錫杖は離れない。
錫杖は光り輝き、ホッドを光が包み込んでいく。
ホッドは慌てて叫んだ。
「リーグ……いや、誰でもよいから助けてくれ! 錫杖が余を飲み込もうとしているのだ。頼む、誰かいないのか! いやだ……助けてくれ……」
光が収束すると、ホッドの姿をしたそれは、冷徹な顔をしながら思案する。
――我は、今回の件でよくよく理解した。
王になる資格がない者が、王になりたいという不遜な考えを抱くことの危うさに。
ホッドよ……
お前が、一生かかっても成しえることが出来ないような高みへ、我は導いてやったのだ。
ならば、命を懸けてその借りを返すのが理というもの。
最後まで我を見捨てないという約束ぐらいは守ってもらわねばならぬ。
ホッドの騒ぐ声を聴いたリーグが、部屋に飛び込んできた。
「ホッド王、大丈夫でございますか!」
錫杖は鷹揚に頷くと、感情のない声で伝える。
「大事ない……それより、皆に伝えるのだ。セントラル奪還に向かうので出陣の準備をするようにと。」
リーグが疑念を口を出そうとすると、錫杖は冷徹な目で彼を見据えた。
「王の言葉が聞こえないというのか? 戦の前に反逆罪で死にたいというのならば、好きにするがよい……」
リーグは怯えたように部屋を退出して、急ぎセントラルとセレーネの兵達に出陣の準備をさせるのだった。
それから三時間もしないうちに、ノースに駐屯していた兵全てが出陣の準備を終えた。
ホッドの率いてきた兵六千とセレーネ兵一万六千。
総勢二万二千もの大軍を前に、錫杖は笑みを浮かべて告げる。
「勇敢なる者達よ……時が来たのだ。我らがセントラルを席巻し、新しい時代を作る! 全軍、セントラルへと進軍せよ。」
錫杖が眩い光を放って、周囲のものを包み込む。
その場に居た者達は、得も言われぬ昂揚感と共に、逆らい難い思いを植え付けられた。
――セントラルを奪還し、アルテミスに正統なる王を打ち立てると。
彼らは錫杖の光に導かれるようにして、整然とセントラルに向かって進軍していくのだった。
*
私達はカナン平原へと進軍する。
その途中で、影の者より敵の軍勢についての情報が入ってきた。
ニエルドは私に問いかける。
「敵の軍勢は二万二千……それに対してこちらの軍勢は、アルテミス軍が約八千人、セレーネ軍が千人、へカテイア軍が五千で総勢一万四千と圧倒的に不利でございます。どのように対処しましょうか?」
私は微笑して、ニエルドに耳打ちをする。
「ホッド様方の兵士達の家族から、助命嘆願書が出されていましたね……あれを使わせてもらうことにします。私としても自国同士の争いはしたくないのです。」
私はカインのもとへ足を運ぶと、彼に話しかける。
「カインさんは、セントラル同士の民を争わせたくないと言われていましたね。」
カインは憂いを帯びた顔をして頷いた。
「こんな戦いで未来ある民達が死んでいくのは、やはり耐え難いものがあるんだ。」
私が微笑すると、カインは興味深げに聞いてくる。
「ガイ君がその顔をするということは、何か良い策が思いついたということだね。」
私はカインへ、献策する。
「ホッド様に加担した兵へ、彼らの家族が書いた助命嘆願への恩赦について伝えたいと考えております。貴族と近衛兵以外は恩赦により許されるとでも伝えて、こちらに寝返るような形にさせたいところです。敵軍に親族がいる者五百人ほど貸して頂き、騎兵にて敵地へ赴こうと思っておりますが、いかがでしょうか?」
カインは不安げに私を見る。
「かなり危険な任務だが、大丈夫なのかい? 君にもしものことがあったら、私はアケロス達に顔向けができないよ。」
私は笑みを浮かべてニエルドへ振り返った。
「いざという時は、例の奥の手を頼む。」
ニエルドも笑みを浮かべた。
「例のあれですな……実は使ってみたくてたまりませんでした。」
カインが不思議そうな顔で私を見るので、私は彼に耳打ちをする。
納得した顔でカインは頷いた。
「確かに、逃げる時こそあれは効果的ですからね……それなら安心できると思うね。」
カインは私の手を握って真っ直ぐに見つめた。
「絶対に生きて戻ってきて下さいね。僕はこんなところで大事な友人を失いたくはない。」
私はカインの手を握り返す。
「私だって同じです……大事な友人とこんな戦いで死に別れなんていうのは嫌ですからね。」
私は敵軍に家族がいる者達の志願兵を急いで集めていると、バルデルとナインソード達が駆け寄ってきた。
バルデルが私の両肩を掴んで、真面目な顔で告げる。
「ガイ殿……ニエルドより聞いたのだが、俺達もセントラルの兵の説得に連れて行ってくれないか。」
私が逡巡する中、彼は目を伏せながら話し始めた。
「今回の戦いの原因は、元は言えば俺の軽率な行動から始まったといってもおかしくはないのだ。これが償いになるとは思っていない……だが、少しでも助けられる者がいるのであれば、そのために尽力したいのだ。」
ナインソードの隊長のヘンリーや隊員のヘーニルも懇願する。
「バルデル様や我らが同行することで、反乱を起こしたものですら許されるという証拠を示せるのではないでしょうか? なにとぞ、我らに機会を下さいませ。」
騒ぎを聞きつけたマグニが私の肩を叩いた。
「ガイ、行かせてやれよ。危険な任務なんだろう? 少しでも手練れがいたほうが良いと俺は思うぜ。」
マグにの後押しで、私の気持ちは決まった。
「かなり危険な任務となるが……私に命を預けて欲しい。」
バルデルとナインソード達は私とマグニに深く礼をした。
「我らの気持ちを汲んでくれたこと……感謝する。きっと役立って見せようぞ。」
それからまもなくして、五百人の志願兵により編成された騎兵とバルデル達は、私と桔梗の後に続いてホッドたちの軍に向かって先行するのだった。
*
それから四日後、私達はやや広い街道でホッド達の軍と遭遇した。
私は割れんばかりの声で叫んだ。
「セントラルの兵士達よ、カイン王からの言伝を伝えに来た。」
ホッドは冷酷な声で指揮をする。
「戯言を聞く必要はない……逆賊を成敗するのだ。」
敵が押し寄せる中、私は言葉を続ける。
「セントラルの家族からの助命嘆願をカイン王は受け入れられた。恩赦により一般兵は助命されるのだ。セントラルで家族が待っている……家に帰るがよい。」
セントラルの兵達の動きが鈍る中、志願兵たちが叫ぶ。
「弟よ、兄の顔を忘れたのか! 俺はユーフラトの戦いの後、こうしてカイン王に許されたのだ。母も父も待っているからこんな戦いをやめて家に帰ろう。」
「父上、私もこうして許されたのです。私たちが争う道理など、どこにありますか。ともにセントラルに帰ろうではありませぬか!」
バルデルやナインソード達も叫んだ。
「俺達のようにセントラルを出奔されたものですら、こうして許されている。お主らが許されないわけがないのだ。恩赦が与えられなかったら俺達の首をはねても構わぬから、話を聞いてくれ!」
貴族直属の兵や、近衛兵以外の兵達が動揺しながらも私達の要請に応え始める。
「息子や兄弟と殺し合いなんてしていられるか! お貴族様の都合にこれ以上付き合ってはいられねえ。俺はここで抜けさせてもらう。」
「反乱兵として死ぬしかないと聞かされていたからこそ、ここまで付き従ったのだ……命が助かると分かった以上、これ以上従う道理はない!」
ホッドは怒り狂って錫杖を光らせて貴族達に指示をする。
「あの裏切り者どもを皆殺しにするのだ。弓兵に射貫かせろ!」
私は桔梗に空へ舞い上がるように指示をする。
彼女が空に上がったのを合図に、ホッドの後方の街道脇で火の手が上がった。
私は笑みを浮かべながら叫ぶ。
「ノースの内応者が援軍に来たぞ! 私は突撃して仲間を救出する時間を稼ぐ……逃げたものを助けてくれ。」
敵の反応が遅れたところに、私は突撃して内応者達を退却させる隙を作ろうとする。
敵が混乱する中、ホッドが叫ぶ。
「まやかしだ! 今が好機ぞ……あの忌々しい超越者を血祭りにあげるのだ。」
敵が殺到する中、私は叫んだ。
「私に構うでない! 退却してカイン王の元に戻るのだ!」
バルデルとナインソード達が私の元へ近づこうとするが、私は拒絶した。
「何をしているか! そなたらはセントラルの兵士を救うために来たのだろうが。最後までしっかりと責任をもって彼らを守り抜くのだ。」
バルデルとナインソード達が叫ぶ。
「ガイ殿はこんなところで死ぬお方でないと信じております。なにとぞ、ご無事でご帰還なされますよう!」
私が微笑して頷くと、彼らは五百の騎兵と共に内応した者たちを守りながら退却を開始した。
ホッドは酷薄な笑みを浮かべて私を嘲笑する。
「愚かな……愚民どもと引き換えに自らの命を捨てるとは。だが、命を助けてやっても構わぬぞ?」
私は挑発的な笑みを浮かべた。
「その錫杖に従えば助けるということであれば……断るぞ。私が仕えるのは人であって、物ではないのだ。」
ホッドは眉をひそめると、貴族達に告げる。
「お前達は、この者に借りがあるのだろう? なぶり殺しにするがよい。」
その時、桔梗が催涙粉をまき散らしながら飛んで来た。
私は目を閉じて息を止めた後、右手を高く掲げる。
周囲の者達が激痛で叫ぶ中、私の右手に鞭が巻き付けられて高く舞い上がっていく。
ホッドは空のかなたに消えていく白銀の蝙蝠を睨んだ。
「忌々しい超越者どもめ……このままではすまさぬぞ。」
そして、兵達に進軍を命じた。
「すぐに離脱者達を追うのだ。まだそこまで遠くには行っていないだろう。」
兵達は急いで進軍を始めたが、少し先の街道で足止めを食ってしまった。
「街道に無数の金属片がまき散らされており、歩兵が進軍できなくなりました。」
ホッドは怒りに身を震わせて叫んだ。
「おのれ……どこまでも忌々しい奴らめ! 早くこの邪魔な金属片を取り除くのだ。」
桔梗が少し怒ったような声で私に告げる。
「もう目を開けても大丈夫ですよ……また無茶をなされて! 本当に心配しましたよ。」
私は目を開けると、桔梗を見て驚く。
「そなた……足を怪我しているではないか! 何故教えなかったのだ……すぐに手当てをせねば。」
桔梗は静かに首を振る。
「毒は塗られていないので、命にかかわる怪我じゃないですよ。少し矢がかすっただけのことです。」
私は桔梗へ申し訳なさそうな顔をした。
「私が軽率だった為にお主に怪我をさせたのだ……本当にすまない。」
桔梗は笑みを浮かべて問いかける。
「前にも聞きましたが、傷物の女は嫌いとでもいうのですか?」
私は蜘蛛退治のときのことを思い出して、微笑した。
「そんなことはないさ……どんな桔梗でも私の大事な人だ。そして、綺麗だということも付け加えておくとしよう。」
桔梗は満足げな顔で頷くと、バルデル達の一行を見つけて私に告げる。
「早く行ってあげないといけませんね……バルデル様達がうなだれていますよ」
そして、私に巻かれている鞭を解いた。
私は、すぐにマントを飛蝙蝠に変化させて、彼らの方へ近づく。
バルデルとナインソード達は、涙を流しながら歓声を上げて私を迎え入れた。
「ガイ殿……よくご無事で、流石にあの状況では駄目だと思っていましたぞ。」
私は桔梗を見て、彼らに告げる。
「桔梗が助けてくれてな……誰か、布をもっていないか? 彼女の傷を治療したいのだ。」
ヘンリーが自分のシャツの袖を引きちぎって私に渡した。
「男くさいかもしれませぬが……ご容赦くださいますか?」
私はヘンリーに感謝すると、桔梗に袖を渡す。
桔梗もヘンリーに感謝して、膏薬を足に塗った後に布を巻いた。
「ありがとうございます。しばらくすれば血も止まりますから大丈夫です。」
ニエルドが私達に気づいて駆け寄ってくる。
彼はバルデル達と共に笑みを浮かべた。
「”マキビシ”とやらを初めて使ってみましたが、あれは素晴らしい物ですな。あれほど容易に歩兵の動きを止められると、恐ろしさを通り越して楽しさすら感じます。」
私と桔梗は顔を見合わせて笑った。
「やっぱりニエルド様は生粋の忍びですね。桔梗が昔、策を成功させた時と同じ顔をしています。」
ニエルドとバルデル達が大笑いする中、志願兵達が私達に傅いた。
「貴方達のおかげで、大事な家族を救うことができました……なんとお礼を言ってよいかわかりません。」
私は彼らに優しく笑いかけた。
「そなたらがこうやって危険を冒してでも一緒に救いに来てくれたからこそ、こうして助かったのだ。この戦いが終わったら皆で良い世の中を作っていこう。」
志願兵達は涙を流しながら、喜びに身を震わせるのだった。
それから、二日後にカナン平原にて私達はカインと落ち合った。
カインはホッドからの離反者達に優しげに声をかけ、彼らの苦境を慮った。
「共にアルテミスの未来のために生きましょう。貴方達もまた大事な民であることに変わりはないのです。」
離反者たちは、みなカインに平伏して彼への忠誠を誓う。
カインは彼らの姿を見て、未来への道が開けたことを確信した。
――絶望的な状況だと思われていた中、自国の民がこうして一つになった。
このまま戦っていれば、セントラルの民の中に大きな禍根を残すはずだった問題が解決したことに、彼は大きな救いを感じずにはいられなかったのだった。