セントラルの騒乱
ホッドは屈辱感に身を震わせながらセントラルへ向かって退却していた。
――王の理力を発現したのに勝利できなかった。
兵達は王の理力を受けて、文字通り命を捨てて余のために戦ったのだ。
だが、それを嘲笑うかのようかのように、カイン公は我らの勢いを利用した二面攻撃を仕掛けた。
その結果、我らは成すすべも無く完膚なきまでに叩き潰された。
ユーフラト平原でカインに完膚なきまでに敗れ、退却ができた兵はセントラル兵が六千人、セレーネの兵が千人と、出陣時の半分近くになってしまった。
それに対して、カイン公の被害は五百人程度いればよいところだろう。
通常の戦であれば、四分の一の兵を失えば惨敗と言われるが、半数近くも兵を失ったとなれば、これは一方的な戦いに近くなる。
しかも、カイン公は”慈悲深く”も自国の兵をこれ以上殺すことを望まず、追撃を行わなかった。
もし追撃をされていれば、退却できた兵は今の半分になっていてもおかしくなかったのだ。
しくじたる思いを胸に抱きながら、ホッドは周囲の者たちの表情を見た。
――皆、打ちのめされた表情をしている。
だが、それでも彼らが離散をしないのは、セントラルに行けば状況を打破することが出来ると信じているからだ。
ホッドは折れそうになる心を必死にこらえて全軍に告げる。
「皆の者……雪辱を晴らすためにもセントラルに戻り、体勢を立て直すのだ。」
彼らは鉛のような心を必死で奮い立たせ、重い足を無理やり動かしながら、セントラルに帰還しようとするのだった。
*
私と桔梗はユミル王と共に、セントラルの広場に舞い降りた。
すでにニエルドがユーフラトでの勝利を喧伝し、民達が蜂起し始めているようで、広場は騒然としていた。
私達に気づいた民達が、広場に殺到する。
ユミルは威厳のある顔で、民に向かって叫んだ。
「セントラルの民達よ! 我々はユーフラト平原の決戦に勝利した。」
民が歓声に沸く中、衛兵達が民達を鎮圧しようと広場に集まろうとする。
私と桔梗が身構えようとするのを、ユミルは手で制止した。
ユミルは衛兵たちに問いかける。
「セントラルの勇猛なる兵達よ。お主らは何に仕えることを誓ったのか?」
民達が静まる中、衛兵の一人がユミルに傅いて答える。
「アルテミスに対しての忠誠を誓いました。」
ユミルは満足げな表情をしながら、彼を諭した。
「そうだ……お主は王ではなく国に使えると申したはずだ。ならば、今お主がしていることは、本当に国のためにしていることなのか、考えるがよい。」
兵士たちが逡巡する中、ユミルは優しげにその衛兵に向かって声をかける。
「お前はハンスという名だったな? 祖父もアルテミスを守ったことを誇りに思っていると、誇らしげに語っていたことを覚えておるぞ?」
ハンスと呼ばれた衛兵は、ハッとした顔でユミルの顔を見た。
ユミルは近くにいる衛兵たちの名を呼びながら、彼らが衛兵となった経緯について語り始める。
民達も衛兵達の名前を呼び始め、彼らに世話になった時の話を語り始めた。
衛兵達は武器を捨て、涙を流しながらユミルに許しを請う。
「自分達の責を忘れ、民を害そうと致しました。いかような罪に問われても仕方がありません。」
ユミルは静かに首を振って、衛兵達に優しく声をかけた。
「分ってくれれば良い。お主らは仲間達に告げるのだ……今、考えを改めるのであれば、カイン公の即位に伴う恩赦で許されると。だが、今を逃せばもう手遅れだということもな。」
衛兵達が立ち去る中、ユミルは民達に宣言する。
「我らは王宮へ戻る。皆の者、余についてくるがよい。」
ユミルは私と桔梗を側に付け、民達の先頭に立って王宮へ向かっていく。
セントラルの家々から民達が加わり、仲間の説得を終えた衛兵達が次々と参加した。
暴動を起こしていていた民達も、王の姿を見て涙を流しながら列に加わっていく。
そして、ユミルが王宮に着くころには、数万……いや数十万もの人々が集結した。
王宮の門前でユミルは門番に告げる。
「お役目ご苦労……そなたも民と国との板挟みの中、辛い役務をよくぞ果たした。さあ、門を開けるがよい。」
門番はユミルに深く一礼した後、王宮の門を開けるのだった。
詰所にいた兵達は武器を捨てて、ユミルに自らの過ちを恥じて謝罪する。
ユミルは彼らに声をかけて、彼らの謝罪を受け入れるのであった。
*
ホッドから留守を任せられた貴族達は、城外の様子に激しく動揺した。
「なんということだ……このままでは我々は殺されてしまう。」
思いつめた顔をした彼らは一縷の望みに思い当たった。
「もはやこれまでだ。王妃様と王女様を差し出して、助命を嘆願する他に道はないだろう。」
貴族達は近衛兵を引き連れて、王妃の部屋に踏み込んだ。
だが……すでに王妃と王女の姿は消えている。
彼らは焦燥した顔で叫ぶ。
「王妃と王女を探し出すのだ! 生死は問わぬ……何としても彼女達を手土産に助命を嘆願するのだ。」
貴族や近衛兵が慌ただしく各部屋を捜索する中、ニエルドと王妃、そして王女は、王妃の部屋の隠し部屋より扉の向こうの声を聴いていた。
ニエルドが静かにロタに告げる。
「これで、あの者たちが信用できないということがお分かり頂けたでしょうか?」
ロタは青ざめた顔をしながら頷いて、クリームを抱きしめた。
ニエルドはロタ達を落ち着かせるために優しげな声で告げる。
「カイン公の重臣のガイ様たっての願いで、ロタ様とクリーム様の助命嘆願がなされ、カイン公とユミル王はそれをお受けになられました。」
ロタは訝しげな顔でニエルドに問いかける。
「ガイ殿のことはうわさでは聞いておりますが、なぜサウスの重鎮が私達の助命を嘆願したのですか? 何の見返りもなく、そのようなことをなさるとは思えませぬ。」
ニエルドは、微笑しながら静かに首を振った。
「あの方は言われておりました。」
――ホッド様も錫杖の被害者……せめて、彼が愛した者だけでも救いたいと。
ロタはクリームを抱きしめながらも、驚きに身を震わせる。
「ニエルド様はその言葉を信じられたのですか?」
ニエルドは真面目な顔をして頷いた。
「だからこそ、私が今こうして貴方達を救うために命を懸けているのです。そして、ガイ様は危険を冒してセントラルに飛来して、王宮に向かっているのです。」
ロタは決心したようにニエルドに深く頭を下げた。
「私はこの子と共に、ユミル王とその者に会いたいと思います。案内して頂けますか?」
ニエルドは頷くと、ロタとクリームを庭園へと続く隠し通路へ案内するのだった。
*
私達は王宮に潜入していた影の者から連絡を受け、庭園の一角に集まった。
しばらくすると、ニエルドとロタ、そしてクリームが私たちの前に現れる。
ニエルドはユミルに傅くと、静かに報告をする。
「ホッド様に従う貴族と近衛兵が、自らの命惜しさにロタ様とクリーム様を害そうとした為、ユミル様のもとへ直接お連れいたしました。」
ユミルは眉をひそめたが、クリームに声をかける。
「おじい様が悪い奴らからクリームを守るから、安心するがよいぞ。」
クリームはようやく安心したのか、涙を流しながらユミルに抱き着いた。
ユミルはクリームの頭を撫でながら、ロタに声をかける。
「ロタよ、息災であったか?」
ロタはユミルに深く礼をすると、静かに答えた。
「ニエルド様のおかげで、危難を脱することができました。」
そして、私の方を見てユミルに問いかける。
「私と娘の助命を嘆願したガイ様とは、この方でございますか?」
ユミルは深く頷いてロタに告げた。
「そうだ……そして、ユーフラト平原での決戦で勝利することが出来たのも、この者の力によるものが大きい。」
ロタは複雑な顔をしながらも、クリームの方を一顧して私に深く頭を下げる。
「私と娘の命を救って下さって、ありがとうございます。」
だが、堪えきれずに涙を流しながら私に問いかけた。
「ですが……ホッド様亡き後、私達にどう生きろというのでしょうか?」
私はロタの問いかけにに静かに答える。
「もしも本当にホッド様を愛しているというならば、彼の血脈を残すというのが残された者に出来ることではないのでしょうか? ユミル王が助命を受け入れられたということは、その道がまだ許されているということになりましょう。」
ユミルは優しげな顔で深く頷く。
「ホッドが犯した罪は許すことはできぬ……あやつは余りにも多くのものを死なせてしまった。だが、お主等まで命を粗末にすることはない。クリームのために良い嫁ぎ先を見つけてやるので、死を思い留まるがよい。」
ロタは張りつめていた糸が切れたのか、さめざめと泣きながらユミルに感謝し続けるのであった。
それから暫くして、近衛兵と貴族達がユミルの下へ現れた。
彼らはユミルにへつらいながら必死で自らの助命を嘆願する。
「私達は錫杖の力に目を曇らせてしまったのです。どうか……どうか命だけはお助けください。」
ユミルは彼らを見て失望した顔で問いかける。
「ホッドがいない今は錫杖の力も及んでいなかったはずだが、なぜそなたらは自分の身が危うくなるまで余に従おうとしなかったのか?」
彼らはユミルの問いに対して、俯いて何も答えることができなかった。
呆れた顔をしながらユミルがさらに問いかける。
「ホッドに対して忠節を誓っているために裏切れなかったというならば、まだ許せる……だが、それならば何故ロタとクリームを差し出そうとしたのか? まさか、そのような卑怯な手段で、余が喜ぶとでも思ったのか。」
何も答えない彼らに対して、ユミルは厳しい口調で言い放つ。
「そなたらの望みは叶えてやろう。このような卑怯者の血でセントラルを汚すことは耐えられぬ。命はとらぬ故、即刻セントラルから立ち去るがよい。」
貴族と近衛兵は周囲の冷たい視線から逃げるように去っていった。
去っていった貴族達を一瞥した後、民へ向かってユミルは宣言する。
「余はセントラルに新しい王を連れて戻ってくると約束した! カイン公はセントラルに向かっている。彼が来たその時こそ、新しい王が生まれる時と心するがよい。」
その場に居るものが歓声を上げ、そしてそれは次第に周囲に伝播していき……セントラル全体が熱気に包まれるのであった。
*
ホッド達はセントラルが見えそうになるところまで進軍していたが、彼らの元に留守を任せていたはずの貴族達と近衛兵が駆け込んできた。
ホッドがいぶかしげな顔をする中、彼らは叫ぶように告げる。
「セントラルが……陥落いたしました。」
ホッドは余りのことに錫杖を手から落とした。
「馬鹿な……誰がセントラルを陥落させたというのだ!」
貴族の一人が沈痛な顔で報告する。
「ユーフラトとの戦いの結果を知って、民達が反乱を起こしたのです。守備兵も彼らに同調して寝返ったのです……我らは寡兵ながらも抵抗いたしました。ですが、多勢に無勢でとても抑えきれるわけもなく、城外に脱出してホッド様に一刻も早く知らせるべきだと、判断した次第にございます。」
ホッドは首を振りながら、声を震わせて確認をした。
「それで……余の妻子は……どうなったのだ?」
貴族は静かに首を振りながら嘘をついた。
「我らは必死に奥方様と姫君を救おうとしましたが、ユミル様に先を越されました。」
ホッドが天を仰ごうとした時、地面に転がってた錫杖が怒ったような甲高い音を発する。
周囲の者が、あまりの音に耳をふさいでしゃがみ込む中、ホッドは怒りに任せて錫杖に向かって叫ぶ。
「耳障りな音を出すな! 何の役に立たないくせに、余に指図するでないわ。」
ホッドの叫び声を聞いた錫杖が静かになった……
薄気味悪い静寂がその場を支配した後、錫杖が眩い光を発してホッドを飲み込む……。
光が収まった後、ホッドは無造作に錫杖を手に取ると、全軍に向かって抑揚のない声で命令した。
「従う気のない者のことなど放っておくがよい。ひとまずノースへ引くぞ。」
どこか冷たいホッドの声に、兵達は逆らうことができずにノースへ向かって進軍を開始した。
兵たちが抱いていた不安や恐れは不思議と無くなっていた。
――だが、何とも言えない強制力を彼らは感じていた。
ホッド達の軍勢は、まるで操られているかのようにノースへ向けて進軍し、規則正しい軍靴の音を響かせるのだった。
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