ノースでの会談
ウエスタンの街にいるニエルドへ、影の者が報告に来た。
影の者の報告を聞いたニエルドは、彼にしては珍しく怒りをあらわにしているようだ。
ニエルドは領主の屋敷で、私達に緊迫した顔で話し始めた。
「ホッド様が、ノースをセレーネに売り渡そうとしているそうです。」
クロードが驚きに目を見張った。
「馬鹿な……ホッド様はアルテミスを滅亡に追い込むつもりか!」
私はニエルドに問いかける。
「ホッド様はノースの民達はどうするつもりですか? 以前トールから聞いた話では、ノースの民はセントラルやセレーネに対して深い恨みを持っていると聞いておりますが。」
ニエルドは深く思案した後に、首を振った。
「恐らくは殺しはしませんが、放逐なさるでしょう。人道的な観点でウエスタンが受け入れれば、兵糧を消費させられると踏んでいるかもしれません。」
私は少し思案した後に、ニエルドに問いかける。
「ウエスタンに受け入れるとして、ノースの民はどれくらい居るのでしょうか?」
ニエルドは、複雑な表情で答えた。
「おおよそ一万といったところでしょうな……」
私はノースの人口の少なさに違和感を覚え、ニエルドに確認をする。
「主要な都市にしては少ないですね……一万では兵士を千人動員するのが限界でしょう。」
ニエルドは静かに首を振る。
「その分、セントラルより多くの兵が派遣されております。おそらくはノースに駐屯している兵も決戦に回したいという気持ちもあるのでしょうね。」
私は頷くと、クロードに献策をする。
「戦後のことを考えると、ノースの民の受け入れをお勧め致します。私とトールがノースに向かって交渉をいたしますので、その間にクロード様が五百ほどの補給兵を派遣されるのがよろしいかと思われます。」
クロードは難しい顔で私に問いかける。
「そうはいっても、一万となれば食料や住居の維持などで、ウエスタンの負担も大きくなってしまう。何か良い案はあるかな?」
私は少し心が痛んだが、クロードに提案をすることにした。
「案はございますが……セントラルと交易をしている物資を一時的に止めて、ウエスタンの方に格安で流すようにカイン公に献策いたします。ホッド様のために故郷を奪われた者のために心を砕いているという名目でも出せば、民達の怒りはホッド様へ向かうでしょう。」
クロードも少し辛そうな顔をした。
「恐らく、セントラルでは十分な物資が回らずに、暴動が起こるかもしれぬな。だが、こちらも背に腹は代えられぬ……自領の民を飢えさせえるわけにはいかぬのだ。」
私はニエルドにセレーネの王について聞くことにした。
「セレーネの王はどのような人物なのですか?」
ニエルドはトールのほうを一顧した後に、答えた。
「セレーネの先代の王は十数年前のノースの戦いで、トール殿の采配により討死されました。今の王はアレス様という名で、かなりの傑物です。武勇に優れ、先王亡き後の国の混乱を力で切り開きました。」
私はアレスに興味が出たために、ニエルドにさらに深く聞くことにした。
「アレス王の配下は、彼が力で押さえつけたことに対して、遺恨を残していないのでしょうか?」
ニエルドは首を振った。
「生まれ持っての英雄肌というものなのでしょうか、アレス様は打ち破った相手から崇拝されており、現在のセレーネは一枚岩となっているようです。」
バルデルが、笑みを浮かべながら私に言う。
「まるでガイ殿のような相手だな……貴殿もそういった不思議な魅力があるからな。」
マグニも微笑しながら頷く。
「ガイと戦った後は、不思議と敗北した後だというのに、すっきりした気分になったからな。」
ニエルドは優しげな笑みを浮かべて、私に言った。
「おそらく、アレス様とガイ様は気が合うのではないかと思いますが……なにぶん、状況が状況なので油断なさらぬようにしてくだされ。」
私は深く頷くと、すぐにカイン宛てに書簡を書いて桔梗に渡す。
「すまないが、これをカインに届けてほしい……お互い無事に、またウエスタンで会おう。」
桔梗は静かに頷いた。
「凱さまもお気をつけて……またウエスタンでお会いしましょう。」
私はマグニとニエルドにウエスタンの守備を頼むと、トールと共にノースに向かうのだった。
ノースまでの道のりは、険しい山を三つほど超える必要があったが、空を飛ぶ分には全く問題がない。
途中で休憩すること三日ほどで、私とトールはノースの街につくことができた。
ノースの街は険しく切り立った渓谷の狭間にあり、街自体が関所のような構造をしているようだ。
その先には農地が広がっているが、それを耕す人の姿はなく、代わりにセレーネの軍が駐屯していた。
ノースの町の手前には、セントラルの駐屯軍が隊列をなして警戒をしている。
だが、セレーネの軍勢に対して備えるという雰囲気はなく、状況の異常さを物語っていた。
*
ノースの領主ブライは、セントラルから送られた書状を見て憤慨した。
「セレーネにノースを明け渡して、どこへでも好きなところへ行くがよい……さもなければ住民共々皆殺しにするだと! ホッド様はいったい何をお考えなのだ!」
そして、セレーネからの明け渡し要求の書簡を見て、ため息をついた。
「父上がもし生きておられたら、この惨状を見てどう思われただろうか?」
十数年前のセレーネとの戦で、父はバルデル様のせいで混乱した群を必死で立て直しながら死んでいった。
あの時、トール将軍がいなければ今のノースはなかったかもしれない。
だが、結局こうしてノースを失うことになるのであれば、いっそのこと戦わずにセレーネに降伏したほうが、まだましだったのではないだろうか?
ブライがあまりにひどい状況に煩悶していると、家臣が慌ただしく広間に入室してきた。
家臣が叫ぶようにブライに伝える。
「カイン公の使者が参られました。」
ブライは驚きのあまり、家臣に問いかける。
「馬鹿な! セントラルの兵やセレーネの兵達が近くにいるのに、どうやってここに来ることができたのだ?」
家臣が声を震わせながら答えた。
「それが、空から飛んできたのです……白銀の翼を背負った者が領主の館の庭に舞い降りて、カイン公の使者だから、領主様に取り次いで欲しいと言ってきました。」
ブライは呆れた顔をしながら、家臣に告げる。
「お主は少し疲れているようだな……まあ良い。そのカイン公の使いとやらを通すがよい。」
家臣はブライに一礼すると、すぐに広間から退出していった。
*
私とトールはノースの領主館の広間に通される。
そこには、二十半ばの立派な風体の男が座っていた。
ベージュ色の整えられた長髪を後ろに結っていて、非常に知的な雰囲気を醸し出しているが、意志の強い目をしているようだ。
彼は、トールの顔を見て嬉しそうに声を上げた。
「おお、トール将軍ではないか。またこうして会えるとは嬉しいぞ。」
トールは深く一礼をして、私を彼に紹介した。
「ブライ様、お久しぶりでございます。現在はサウスの将軍のガイ様に仕えておりまして、ガイ様たっての希望で、ノースに参りました。」
ブライは私を見て問いかける。
「ほう、そなたが高名なガイ殿か……ずいぶんと功績を建てられているようだが、今日はどのようなご用向きかな?」
私は真面目な顔をして、静かにブライの問いに答える。
「ニエルド様から、ノースが危急の事態に陥ったとお知らせを受けたので、ブライ様をお助けに参りました。」
ブライが不思議そうな顔をして私に聞いた。
「なぜサウスの将軍がわれらに協力しようというのだ……この状況では兵を出すこともできず、我々はノースを追われる放浪者になるだけだ。なんの利益があるというのか?」
私は穏やかな口調で答えた。
「私達は近々、ホッド様と決戦をすることになります。そしてセレーネには自国に戻っていただくことになるでしょう。ですが、その時にノースを元通りにしたいと思っております。われらの戦いに巻き込んでしまったことを申し訳ないと思うのと同時に、北への要衝として守ってきた方々を切り捨てるのはあまりにも誠意がないと思っているのです。」
ブライはなおも信じられぬという顔で首を振る。
「そうは言っても、戦の前に我々受け入れるのは、非常に困難なことだ。民達全てを避難させるといっても、一万もの人数をどうやって受け入れるというのか?」
私はブライにウエスタンからすでに補給部隊が向かっていることと、サウスよりウエスタンに物資の供給を行うということを伝えた。
ブライは私が本気だということを知り、深く礼をした。
「それほどまでの覚悟だったとは……実際のところ、ノースを追われた後に我々はどう生きていけば良いのかと、苦悩していた。このような温情を頂けて感謝する。」
私はブライに、アレス王とセントラルの駐屯兵の隊長と話をさせてもらうように願い出ると、彼は快く私の願いを聞き入れてくれた。
*
広間にアレス王と、セントラルからの駐屯兵の隊長が入室した。
隊長は私とトールの姿を見て驚愕する。
「なぜここに、トール様とサウスの将軍がおるのだ!」
アレスは隊長を手で制して、興味深そうに私の姿を見た。
「ほう……お前は中々良い腕をしていそうだな。敵地に堂々と現れたことは評価したいが、俺を呼びつけるとはいったいどういう了見だ? 返答次第によっては生きては帰れぬぞ。」
私はアレスと隊長の様子を見て、すでにセントラルとセレーネの同盟が締結されているということを察した。
私は微笑してアレスに穏やかな声で話しかける。
「ノースの民達を放逐するという噂を聞き付けたもので、私共が貰い受けたいという交渉に参りました。」
アレスが不思議そうな顔をして私に問いかける。
「この状況で民を受け入れたいというのは、余程の大馬鹿者か英雄と見えるが、お前はどちらのほうかな?」
私は静かに首を振って彼の問いに答える。
「私共の戦いによって民が飢えて死んでいくのを見るのが、忍びないと思ったまでのことです。そちらもノースの明け渡しが素直に終わるので、双方ともに理のある話だと思うのですが、いかがでしょう?」
アレスはトールを一顧して私に問いかける。
「ところで、なぜここにアルテミスの英雄がいるのだ?」
トールが私の代わりに答えた。
「アレス様、私はこのお方の度量に感服して、お仕えしておるのです。今回はガイ様たっての願いで、ここに随伴した次第にございます。」
アレスは笑みを浮かべて頷いた。
「ガイとやら……俺はお前を気にいった。三日猶予を与えるので、その間にノースの民をどこへでも連れていくがよい。」
私はアレスに深く礼をして感謝をした。
彼が握手を求めたので、私も右腕を差し出す。
アレスの右腕に包帯が巻かれており、何か禍々しい気配を感じた私は、思わず彼の顔を見た。
彼は何も言わずに苦笑しながら首を振った。
「それでは、また戦場で会おう。」
そう言い残すと、彼は颯爽と広間から去っていった。
*
それから三日後、ブライと民達は住み慣れたノースを名残惜げに一瞥すると、ウエスタンへと旅立っていった。
ノースの門の上でアレスが笑みを浮かべながら私に敬礼をした。
私も笑みを浮かべて敬礼して思いを伝えた。
――雄々しき者よ、あとは戦場で存分に語ろうぞ。
敵にするには惜しい相手に別れを告げ、私達はクロードとの合流を目指すのだった。