セレーネとの同盟
セントラルの王宮では、ホッドと貴族達が今後の方針についての話し合いをしていた。
ホッドが大広間に集まった貴族達に静かに告げる。
「お主らが父上を取り逃がしたせいで、カイン公は正統な後継者として認められることになるだろう。」
貴族達は恥じ入るように下を向いて、顔を上げる者は居ない。
ホッドは貴族たちに問いかける。
「さて、今後の対応について、何か良い案を出せるものはいるかな?」
一人の貴族が笑みを浮かべながらホッドに進言する。
「セントラルの近衛兵の精強さ、王都の常駐戦力は地方領主の数倍でございます。一気にサウスに攻め込んで、逆賊を成敗するのが良いと思われます。」
ホッドは首を振って却下した。
「なぜ余がウエスタンに出陣しなかったのかを忘れたのか? 我々が出陣すれば、北の隣国が背後を狙うかもしれぬのだ。」
発言をした貴族は押し黙ってしまい、広間は静寂に包まれた。
ホッドが苛立ちを見せ始めた時に、側近の一人が静かに手を挙げた。
「現状、我らは不利な状況に置かれています。サウス側はウエスタン、へカテイア……そしてイースタンも現在は中立でしょうが、恐らくはあちらに味方するでしょう。それに対して、こちらはセントラルのみ……ノースは中立で動かず、さらにセレーネが背後で爪を研いでいるとなれば、かなり危うい状態です。」
ホッドは静かに頷く。
「確かにそうだな。さて、リーグよ……お前はその苦境に対して、どのような打開策があると考えるか?」
リーグは笑みを浮かべて話し始める。
「いっその事、セレーネと同盟を結んでしまってはいかがでしょうか? 我らに協力すればノースを差し出すとでも言えば、奴らも助力をするでしょう。」
貴族達が色を成して彼を非難した。
「我が国土をあの蛮族どもに売り渡すというのか!」
「あの蛮族どもは、十数年前にも同盟を無視して、攻めかかってきたのですぞ!」
「セレーネを利用するのは危険です……あの蛮族に信義などはありませぬぞ!」
リーグは彼らを見据えて言い放つ。
「私を批判するのは勝手ですが、急がなければカイン公が我らを攻め落としに来ますぞ。ここで手をこまねいていては、自滅するのは目に見えております。」
貴族達はなおも騒ごうとしたが、ホッドが彼らを叱咤した。
「そなたらの失態のせいで、このような事態になっているという自覚はないのか! 父上を逃し、側近の家族すら人質にとれなかった分際で理想を語るでない。」
錫杖がホッドの怒りを示すように激しく輝き、周囲の者は平伏した。
その時、大広間に悠然と何者かが入ってきた。
それは、よく鍛えられた体躯をした、白銀色に輝く短髪に赤い目をした精悍な男だった。
年は三十前で、見事な意匠がされた鎧に虎の毛皮のマントを羽織っている。
そして彼の傍らには、壮年の男が付き従っており、油断なく周囲を伺っていた。
貴族達の視線がその者に集まり、彼をとがめた。
「王の御前に何の挨拶もなく現れるとは無礼な! 立ち去るが良い。」
男は貴族を一瞥すらせずにホッドを見据える。
「セレーネから来てやったというのに、随分な対応だな。俺を呼んだのはお前だろう?」
ホッドは訝しげな顔をした。
「貴様は何者だ……余がお前のようなものを呼んだとでもいうのか?」
男は呆れた顔で首を振る。
「お前が使者をよこしたのだろう? ノースを明け渡す代わりに同盟を組みたいとな。それにな……俺はお前のような紛い物の王ではないぞ。名実ともにセレーネの王だ。」
リーグが静かにホッドに頭を下げる。
「時間がないと思ったので、先に動いてしまいました……申し訳ありません。まさか、アレス様が直々にいらっしゃるとは思っていなかったもので。」
ホッドは笑みを浮かべてアレスを恫喝する。
「そんな話は知らぬし、お主をここで殺せばもセレーネも弱体化すると思うのだが、どう思うかな?」
アレスの傍らの男が腰の武器を抜こうとした。
だが、アレスは笑みを崩さずに、手で男を制した。
「馬鹿な真似はやめることだな。俺が何の対策も講じずにセントラルに来るわけがないだろう? すでにノース付近には兵を伏せてある。俺が戻らなければ、すぐにノースを陥落させるという算段だ。」
ホッドは少し残念そうな顔をしながらも、アレスに問いかける。
「現況として、余は貴国を味方として逆賊を打ち滅ぼしたい。そしてアルテミスに平和をもたらしたいのだ……そちらの返答はいかがかな?」
アレスは首を振る。
「どうも立場を理解していないと見える。俺達はノースを攻め落とそうと思えば、今すぐにでも陥落させられるのだ。お願いしますと、お前らが頭を下げるのが筋だろう?」
ホッドは歯噛みをするが、頭を下げるしかないと思った時に、錫杖が光って彼の体を包み込んだ。
アレスはホッドから威圧感を感じて一歩下がってしまった。
――この俺が威圧されているだと?
戦場ですら感じたことのない圧力に、アレスは驚いた。
ホッドが冷徹な目をして、彼自身の頭に直接語り掛ける。
「ノースは明け渡すが、その分しっかりと働いてもらう。 王同士の約束だ……約束を違えれば、どうなるかわかるな?」
錫杖から霧のようなものが吹きだして、アレスの右腕に纏わりついた。
彼は必至でそれを引きはがそうとしたが、それは叶わず……彼の右腕に薄いミスリルの文字が張り付いていく。
ホッドは冷酷な声で告げる。
「約束を違えなければ、何も起こらぬ……だが、少しでも妙な気を起こせば、その文字がお前の腕に食い込む。そして、完全に裏切れば……そなたの血にミスリルが混じって、お前は死ぬことになるだろう。」
アレスの傍らの男がホッドに切りかかろうとしたが、アレスが彼を止めた。
「バッカス、よすのだ……おそらくお前が切りかかった瞬間に俺は死ぬだろう。」
バッカスはじくじたる顔で、動きを止めた。
アレスは首を振って、ホッドに告げる。
「いいだろう……ひとまず俺はセレーネに戻って、お前達に三千の援軍を送る。あとはカインとの決戦に勝ってから話をしようではないか。」
ホッドは満足げに頷いた。
「それくらいが妥当といったところだな。あまり援軍を送られると、セレーネのおかげで勝利したなどと勘違いをされてしまうからな。」
アレスは苦笑しながらホッドに念を押す。
「ノースの明け渡しのほうはすぐに頼むそ。援軍を送るにしても、そこでごねられては話にならないからな。」
ホッドはリーグへ指示をする。
「勝手に動いたのだから、しっかりと責任はとれるな? すぐに二千の兵を率いて、ノースに明け渡しを要求せよ。」
リーグは冷や汗を流しながらも頷いて、すぐに広間から退出していった。
ホッドは周囲の者に威厳のある声で伝える。
「決戦の時は近いだろう、今のうちにできる準備はすべてしておくのだ!」
周囲の者達が傅く中、アレス達は静かに大広間を退出していくのだった。
アレスはバッカスと共に大広間を退出した後に呟いた。
「あの錫杖はいったいなんだ? ホッドがあの光に包まれた瞬間に別人のようになっていた。」
バッカスが心配そうにアレスの右腕を見る。
「まさか……このようなことになってしまうとは、私がついていながら申し訳ありませぬ。」
アレスが静かに首を振った。
「お前のせいではない。俺が油断しすぎたのだ……まさか、あのような不思議な力を使われるとは思っていなかったからな。なんにせよ、まずは戻ってノースを手に入れるとしよう。」
アレスの腕に刻まれた文字は……彼の動向を見守るように怪しく輝くのだった。
*
ホッドは青ざめた顔で私室に戻った。
――錫杖が私に理力を発現させた。
錫杖自身が強い意志を持っていることを、あの時に痛感させられたのだ。
そして、アレスと同様に自分も錫杖を裏切れば、あれに殺されるということがはっきりとわかった。
冷や汗をかいている彼を妻が出迎えた。
ホッドを見た彼女は、綺麗な翡翠色の目を曇らせる。
「ホッド様……お顔の色が悪いようですが、大丈夫でございますか? 侍女に暖かい茶を入れさせましたので、お飲みになってください。」
ホッドは暖かい飲み物を飲んで、少し気が楽になった。
「ロタ、いつもすまないな……そういえば、娘の様子はどうだ?」
ロタは優しげな顔でホッドに伝える。
「まだ八歳だというのに、貴方に似たのか……とても聡明な子です。勉学だけでなく芸術の才もありそうです。」
ホッドは穏やかな笑みを浮かべた。
「容姿は君に似ているだろう。月のように美しい白銀の髪に、理知的な目……きっと大きくなれば、誰もが振り向くような美女になるだろう。」
ロタはホッドに体を寄せて、優しくささやいた。
「あまりご無理をなさらないでください……貴方は王の重責を背負われておりますが、休息も必要でございましょう。」
ホッドは少し思案しながらロタに問いかける。
「ほどなくして……カイン公と戦いになるだろう。お前の実家を取り潰したあの憎き相手だ。あいつを倒してサウスを開放してみせるからな。」
ロタは静かに首を振る。
「あれはお父様たちが悪かったのです……カイン様に非はありませんでした。むしろ、私の両親のせいで、貴方様に多大なご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」
ホッドは静かに笑う。
「いや……そのおかげで単純な兄上と貴族達が失脚してくれたのだ。私が裏で手を引いているとも知らずに、彼らはよく踊ってくれたものだ。」
ロタは目を見開いてホッドから離れる。
「まさか……お父様たちを処刑させたのは!」
ホッドは心外だという顔をして首を振る。
「兄上の親衛隊を暴走させている間に、こっそりと義父上は助けようとしていたのだが……内通させていたものがしくじった為に、皆殺しにされてしまったのだ。こればかりは本当にすまなかった……私の手落ちだったことは認めよう。」
ロタは逡巡していたが、ホッドの手を両手で包んだ。
「正直にお話し頂けて良かったです。不慮の事故だったということが分かっただけで十分です。」
ホッドは窓の外を見て、血に染まったような赤色の夕焼けを眺めて思った。
――私の手は血にまみれてしまった。
王になるために色々な手段を講じた……他人にさせたとはいえ、多くの人の犠牲の上に今の自分がある。
ホッドの気持ちを察したのか、彼をやさしく抱きしめたロタの髪は、同じ夕日に照らされたのに美しく輝いている。
彼は愛する妻の髪を優しく撫でることで、自らの穢れを祓っているような気持ちになるのだった。