フレイの出自
私達はセントラルの城壁を飛び越えて、ニエルドが指定していた合流場所に舞い降りた。
すでにニエルドと宰相、そして執務長が馬車に乗って、私達を待ち受けていた。
私達は大急ぎで馬車に乗り込み、サウスへ向かうことにした。
ニエルドが微笑しながら、私と桔梗に頭を下げた。
「無事、王を脱出させてくださり、ありがとうございます。なぜか追手が来ないようですが、また何かされたのですか?」
私はユミルのほうを一顧して、ニエルドに広場での演説のことを伝える。
ニエルドが安堵した顔でユミルを見た。
「なるほど……その衛兵は迂闊なことをしましたな。セントラルの民は、ホッド様が衛兵に命じてユミル王の弑逆を謀ったと思うでしょうに。彼らは怒り狂った民を落ち着かせるので精一杯で、こちらを追う余裕を無くしてしまったのでしょうね。」
ユミルは静かに頷くと、真面目な顔をしてニエルドに問いかける。
「ところでニエルドよ……あれを持ってきてくれたかね?」
ニエルドは深く頷くと、ユミルへ小箱を手渡した。
「もちろんでございます、あれは私にとっても大切なものですから。」
ユミルは一瞬複雑な表情をした。
そして、愛おしい物を愛でるように小箱を抱きしめた。
オウルとキリングも複雑な表情をして、ユミルとニエルドを見つめている。
少し馬車の空気が重くなったところで、ユミルが私と桔梗に深く頭を下げた。
「ところで、そなたらがフレイへ何の偏見も持たず、王女として認めてくれたこと……感謝するぞ。」
桔梗はユミルへ優しく笑いかけた。
「フレイ様に初めてお会いした時に、罪人に対して私情を交えずに公平な天秤にかける立派な人だと思っていました。それに……想い人に対する立ち振る舞いを見て、情が深い方という印象を受けました。」
ユミルが目を細めて桔梗の話を聞いた後、静かに私達にフレイの出自について話し始めた。
*
――余は王妃を愛していた。
優しくも意志の強い目、あの愛らしい唇……金色に輝く髪の毛が風になびいていく様は、この世の者ではないような美しさを感じさせた。
そして、彼女ほど、聡明で優しい女性は見たことがなかった。
ヒルデはバルデルとホッドを情深く育てていて、彼らも彼女を愛していたのだ。
余はヒルデを失うことなど、全く考えられず……彼女が病で倒れた後は、毎日が灰色のようだった。
必死で国中の名医をかき集めて王妃の治療に当たらせたが、彼女はどんどん衰弱していく。
臨終の直前にヒルデは、涙を流す余の手を握りながら窘めた。
「王たる者が、后を失うぐらいで涙を流してはなりませぬ。その涙は民のために流してあげてください。」
そして、ヒルデは余に一言だけ言い残して、この世から旅立った。
――私は貴方と一緒になれて、十分幸せでした。
余はヒルデに取りすがって人目を憚らずに涙を流した。
王妃の葬儀は国葬として盛大に行われた。
そして、アルテミスの皆が喪に服してから一月後のことだ。
余がヒルデを偲んで王妃の部屋へ赴くと、彼女が好きだった花を窓際の花入れに飾っている金髪の夫人がいた。
余は穏やかな顔をして、彼女に声をかける。
「この花はヒルデが好きだった花だな……彼女も喜ぶだろう。」
彼女が振り向くと、あまりの驚きに余は目を見開いた。
――振り返った夫人は、ヒルデそのものだったからだ。
彼女が何かを言おうとしていたが、余は彼女に抱き着いて、また会えた奇跡に感謝すると共に……どれほど后を失ったことが辛かったかを語りかけた。
彼女は身を震わせていたが、余があまりにも哀れだったのだろう……
背中をあやすように優しく撫でてくれた。
その後、あまりの嬉しさに彼女のことを抱いてしまったのは覚えている……
そして、ことが終わった後に、彼女が青ざめた顔で必死に余へ謝罪した。
彼女はヒルデの双子の妹のスクルドで、ニエルドの妻だった。
スクルドはニエルドへの不貞を深く後悔して、王妃の部屋の窓から身を投げようとした。
余は必死で彼女を止めようとして叫んだ。
――もう二度と大事な女性を死なせたくはない。
彼女はさめざめと泣きながらも、何とか死ぬことは思い留まってくれた。
誓って言うが、余がスクルドと不貞を致したのは、ただその一度きりだ。
だが、彼女は余の子供を宿してしまった。
妻の不貞に怒るニエルドを余の私室に呼び、真実を彼に伝えた。
彼は余りのことに膝から崩れ落ち、虚ろな目で部屋から出て行った。
そして、スクルドはフレイを生むとともに、この世から旅立ってしまった。
余は責任を取ってフレイを王女として迎えようとしたが、ニエルドは固辞した。
王の不貞により生まれた子として、好奇の目で見られて蔑まれるよりも、自分の娘として育てたいと願い出たのだ。
余にそれを拒む権利はなく、フレイはニエルドの子として育てられることになった。
だが、隠し事はどこかで漏れるようだった。
フレイが余の子供に感づく者が出てくるたびに、ニエルドは影の者を使わして、その者達を誅殺し続けた。
そしてその牙は、カインに恋してしまったばかりに迂闊なことをしたクレアとその両親にも、襲い掛かろうとしていた。
だが、カインは自分の命を懸けてでもクレアを護ろうとして、ニエルドに自らの首を差し出そうとしたのだ。
さらに、フレイにも泣きつかれたニエルドは、とうとうクレアだけは諦めて、二人を辺境のイースタンに行かせるならば手を出さないという条件で手を打つことにした。
余はカインの才は惜しんだ。
だが、ニエルドに対する負い目と、フレイの出自が明らかになることによる、周囲の影響を考えて、彼をイースタンの領主として赴任させることにしたのだった。
*
ユミルはそこまで話すと、溜息をついた。
「それから先は、そなたらの方がよく知っているだろう。」
そして、私に静かに問いかけた。
「ところで、カイン公の父親はオウルだということは知っていたかね?」
私は少し驚いた顔をして首を振った。
「いえ……カイン公のご両親もクレア様と同様に、連座して身罷られているものと思っておりました。」
オウルが私の手を取って深く頭を下げた。
「ニエルドより話は聞いております。アルベルトの命だけでなく、カインの窮地を何度も救ってくれたことを感謝致します。そして、あなたが息子の親友だということを誇りに思っております。」
私は穏やかな顔でオウルを見つめて、会釈をした。
「貴方のご子息……いえ、カイン公は素晴らしい名君です。あのような方と、こうして知己を得ることができた私は幸せだと思っております。」
オウルは嬉しそうな顔をした後に、ニエルドに優しく語り掛ける。
「息子がイースタンに赴任することになったときは、そなたを恨んだ。だが……クレアが幸せなままに世を去り、こうしてフレイ様が前を向いて歩けるようになった今となっては、もうそなたを恨む道理があるまい。昔のように共に前を向いて歩いてはくれませぬか?」
ニエルドは一瞬申し訳なさそうな顔をした後に、穏やかな顔で答えた。
「元より我らは同じ王を主君と仰いで生きてきたのだ……今更、水臭いことを言わないでほしいですな。」
ユミルは、二人の和解を静かに眺めているキリングに問いかける。
「そなたは……我らを許してくれるのか?」
キリングは生真面目な表情を崩して静かに答えた。
「兄上と義姉上は、クレアと一緒に知るべきでない秘密を探りました。娘が本当に大事ならば、そのような姑息な手段をとらずに、王の許しを得てカイン公との婚姻の許可を取れば良かったのです。」
ニエルドがかぶりを振ってキリングに謝罪する。
「私は私情にとらわれて、影の者を動かしたのかもしれませぬ。私は娘を守りたい一心で、彼女の出自を暴こうとした者をことごとく誅殺してしまいました。」
キリングはニエルドの肩を優しく叩いた。
「そう思うのであれば、私の甥を支えてやってくだされ。あの子は聡明だが、武略の才はないのです。商人同士の戦いは裏で戦うことも多いので……暗殺でもされたら心配ですからね。」
ニエルドは静かに頷くと、キリングに深く頭を下げた。
「もちろんですとも、アルベルトはフレイの義息子……つまりは私の孫なのです。しっかりと守り通して見せましょう。」
王の重臣たちの長年におけるわだかまりが解けていき、馬車の中は穏やかな雰囲気で包まれた。
よく舗装された道を進む馬車は、私達の気持ちを代弁するように小気味良い振動を感じさせるのだった。