第五十五話 それでも実力のある家ばかり……ですわっ!
すっかり色褪せた赤い看板に中華そばと書かれた年季ある暖簾。
如何にも『昔ながらの料理店』な雰囲気を醸し出す外観は妙な安心感を覚えさせ、俺達庶民を容赦無く誘う。
摺りガラスの引き戸を開くとすぐにカウンター席が広がっており、地元住民であろう中年男性客数名と店の中央で麺の湯切りをしている初老の大将。そして高校生の俺と金髪ウェーブの美少女お嬢様という違和感しかない二人がカウンターの丸椅子に腰掛けていた。
「狭山くん、私これが食べたいですわ」
志賀郷の白く細い指が向かった先には『中華そば十人前チャレンジ! 完食で無料』の文字。マジか……。失敗すると六千円掛かるらしいが、それを踏まえると大損だな…………店側が。
「おやおやお嬢ちゃんそれいくのかい? いいねぇ、若い子のチャレンジ精神は嫌いじゃないよ」
湯切りを終えた大将が陽気に笑いながらこちらを見ていた。完食なんてできるはずないと思っているのだろう。六千円は貰ったと言わんばかりの余裕な顔だ。
だがしかし、志賀郷の大食いっぷりを甘く見てはいけない。
「大将さん、こちらの十人前は二回挑戦しても無料になるのでしょうか?」
「お、二十人前も食べれるってのかい? いいぞぉ、可愛い嬢ちゃんのためならいくらでも食わせてやる」
がっはっは、と高笑いする大将。あーあ、言っちゃったよこの人。大赤字になっても知らんぞ……。
「志賀郷……分かってると思うけど少しは加減しろよ……?」
「ええ。お店が破産しない程度には楽しませていただきますわ」
そう囁いてほくそ笑む志賀郷はまるで悪事をはたらく女王のようだ。頼むから俺達が出禁になったり噂されるような所業はしないでおくれよ……。
◆
「そういえば志賀郷の家系って割と有名な方なのか?」
ご機嫌のよろしい大将がラーメンを作ってる間、俺はふと疑問に思ったことを志賀郷に聞いてみた。
「割と、は余計な言葉ですわね」
「随分と自信があるんだな」
「もちろんです。志賀郷家は関東地方だけでも百を超える名家の中で五本指に入る『関東五大名家』の一つに数えられてますの」
小さな手のひらを広げて得意気な顔をする志賀郷。やはりと言うべきか、彼女が別格のお嬢様である事は本当のようだ。名門セレブ校と呼ばれる我が京星学園でも一線を画す存在だし、その名は校内に留まる事を知らないとかなんだとか。
……まあ、超庶民派の飯屋でラーメン注文してる現実を見ると俄に信じ難い事実だけどね。
「関東五大名家……なんか四天王とか王下七○海みたいな響きだな」
「なるほど……この国の大半の利権を握ってる現状を踏まえると、あながち間違ってない例えですわね」
「いや怖ぇよ、社会の闇じゃねぇか」
今すぐ富の再分配をしてくれ頼むから。
「ちなみに五大名家はどれも個性的なので、特徴を表した二つ名があるのですが……聞きたいですか?」
「志賀郷みたいなイロモノばかりってことか……。でも気になるから聞かせてくれ」
「私は普通ですけれどね。ではまず――」
ラーメン十杯食べようとする美少女お嬢様が普通なわけあるかっ! というツッコミは心の中でするとして。
グラスに注がれたお冷を一口含んだ志賀郷がやはり得意そうな表情で語り始める。
「病気と呼ばれている佐藤家、貪欲の柚木町家、隠蔽の修善寺家に変態の堂庭家……」
「やべぇ家しか無いじゃないか」
こんなのが国を動かしてるなんて恐怖しか感じないのだが。変態に至ってはもはやただの悪口だろ。
「ふふ、それでも実力のある家ばかりですわ。……柚木町家というヤクザの土建屋は論外ですが」
「それ……俺が知って大丈夫な情報なの?」
お前は知りすぎた、なんてメールが来て存在ごと消されたりしないよね? 志賀郷の目が笑ってないけど……大丈夫だよね?
「もちろんですわ。人を蹴落とす事しか能がないあの腐った組織はいい加減社会的制裁を受けるべきです」
「そんなに酷い家なのか……」
「まあ……とりわけ志賀郷家と仲が悪いですし、個人的な恨みつらみも山ほどあるのですが……。そうそう、この五大名家には面白い共通点がございましてね」
どうやら敵対(?)している家の話はしたくないらしい。人差し指を真っ直ぐ立てた志賀郷は、それまでの柔らかい声に戻して話題を切り替える。
「偶然だとは思うのですが、現在の五つの家には全て私と同い年――高校二年生の娘がいるそうなんです」
「お嬢様が揃ってるのか。すげぇ」
「私はゴミムシ……もとい、柚木町の娘様以外とは面識が無いので、一度お会いしてみたいですわね。きっと素敵な方達だと思いますの」
「おーい、また目が怖くなってるぞ」
きっと柚木町家の娘さんと相当仲が悪いのだろう。あの温厚で天使な志賀郷がそこまで嫌う相手は一体どんな人なのか気になるが、五大名家に共通する娘というのも興味深い。要は志賀郷みたいな育ちが良くて可愛いお嬢様が他にも四人いる訳だろ?
ごめんあそばせ、とかパンが無ければケーキを食べればいいじゃない、とか言うのだろうか。……いや、中世じゃあるまいしそれは無いか。
それにしても五人の美少女……。もし彼女たちが集えばそれはそれは優雅なパーティーになるに違いない。なんかこう……空間全体が甘くて良い匂いになりそう。
「狭山くん、先程から口元が緩んでますけど……い、如何わしい妄想でもしてるのですか?」
「え!? いや、全然してないよ! 全然健全だから。余裕だから!」
「妄想はしていたのですね……」
「あ……」
大きな溜息をついた志賀郷は細めた瞳を俺に向けてくる。や、やめろ。そんな変態を見るような目で俺を睨まないでくれ……。
「狭山くんのおばかさん……ですわ」
ぼそっと呟いて頬を膨らませる志賀郷。しかし、そんな怒りの表情さえ可愛らしく映るのは、俺が先の妄想で浮かれているからなのだろうか。
ちなみにこの後お待ちかねのラーメンが出来上がったのだが、志賀郷は無事に十杯平らげてニコニコ笑顔になり、更に十杯頼もうとしたが顔面蒼白の大将を前にすると流石に申し訳なく思ったのか、通常のラーメン一杯をお買い上げして店を後にした。今後、出禁にならない事を祈るばかりである。
「そういえば志賀郷家の二つ名もあるのか?」
「もちろん。私の家は『奇天烈』と呼ばれてますわ」
「うわぁ、すげぇ納得」
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