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第三十二話 死ぬかと思いました……ですわっ!

 準備体操を行って身体に水を慣らした後、体育教師の指示によって二十五メートルプールの端から端まで数本泳ぐことになった。


 まずは男子からということで、俺の隣に並んだ田端と適当に泳いでいく。

 水泳は人並程度にできると思っているが、スポーツ万能な田端の泳ぎっぷりを真横で見せ付けられると劣等感を抱かざるを得ない。どうしてあんなに速く泳げるのだろうか。そしてイケメンなのだろうか。更にはロリコンなのだろうか。田端の謎は深まるばかりである。


「次は女子だ。各コースの前に並べー」


 教師がメガホンを使って呼び掛けると男女の塊がぞろぞろと入れ替わる。俺達はプールサイドで待機するだけなのだが、周りを見ると本日一番のテンションで盛り上がる野郎がちらほらいた。


「狭山のお目当てはもちろん志賀郷さんだよな?」

「何がお目当てだ。俺はそんなやらしい目で女子を見たりしない」


 ニヤリと笑う田端を適当にあしらう。多くの男子はこの待機時間を待ち侘びていたようだが、色恋沙汰を避ける俺にとっては退屈なだけだ。田端もクラスの女子には興味無いようなので俺と駄弁(だべ)るくらいしかすることが無いのだろう。


 大きな欠伸をこしらえつつ、プールの様子をぼんやりと眺める。一番手前のレーンには順番待ちをしている志賀郷がいた。

 そういえば志賀郷はどんな風に泳ぐのだろうか。水泳は得意ではないと言っていたが、それでも優雅に水中を舞う姿が想像できる。退屈だと思いつつも、志賀郷の泳ぎだけは気になった。


 そして順番は訪れた。

 終始晴れない顔をしていた志賀郷だったが、いざプールに入ると中々様になっている。男子勢のボルテージも一段と高まった気がした。


 準備を終えて蹴伸(けの)びからスタート。そこから勢いが衰えてきたところでクロール、または平泳ぎになるか……と思ったのだが様子がおかしかった。


 志賀郷は水中に潜ったまま浮上しないのだ。前にも進まず、もがいているように見える。まさか――


「あいつ泳げねぇのかよ!」


 決断は速かった。気付けば俺はプールに飛び込んでいた。運良く近い位置に志賀郷がいたので、すぐさま彼女の身体を捕えて体勢を整えようとする。良からぬ場所を触ったかもしれないが、気にしている余裕は無かった。


「大丈夫か!」


 一先ずプールの脇に移動して溺れないようにする。志賀郷の片手は手すりを掴んでいたが、もう片方の手は俺の腕にしがみついていた。かなり怖かったのか、顔面蒼白になっている。


「し、死ぬかと思いましたわ……」

「泳げないなら無理するなよ」

「今年なら大丈夫かなと思ったのですが……」

「練習しなかったら変わらないだろ……」


 もしかして志賀郷は天然キャラなのだろうか。それともただのアホなのだろうか。


「お前ら大丈夫か!?」


 俺の後追いになる形で教師やクラスメイトが駆け寄ってくる。人が集まり、場が騒然となる中で俺はある事態に気付いた。


 志賀郷との距離が近い……!


 冷静に考えると今の状況はかなりヤバいのだ。俺の腕にしがみつく志賀郷の手、密着する身体……。距離感だけでいえば毎日の満員電車で散々経験しているので今更恥ずかしがることでもないのだが(でも緊張はする)、今は水着なのだ。なにしろ素肌が直接触れ合ってやがる。恋愛経験ゼロの人間には刺激が強過ぎるぞ。


 一方、志賀郷も同じ事を思ったのか青白い顔を血色良く染めながら慌てて腕を離した。


「助けてくれて……ありがとうございました」

「おう……」


 顔を背けつつ小声で呟いた志賀郷に俺は大した返事もできず、熱く火照った顔が早く冷めるように祈るばかりだった。



 ◆



 終業式を目前に控えたこの日は通知表の配布という一大イベントが待ち構えていた。

 多くの生徒は己の成績に安堵したり驚愕するなどしてから、訪れる夏休みに思いをシフトさせていくのだろう。しかし俺には加えて特待生としての資格が継続されるかの決断が下される重大な局面もあるのだ。


 とはいえ、期末試験の結果から鑑みるに成績の大幅低下は有り得ないと思っている。だが俺は悩んでいる。その理由は――


 教室前方の座席に佇む金髪カールの美少女、志賀郷である。後ろ姿はお嬢様そのものだと感じるが、こいつは先の試験で勉強が苦手なアホだったという事が判明したので困っているのだ。馬鹿高い学費を誰が払うのか。当事者ではないが、互いに裏の事情を知っている以上放置はできない。


 更に先日のプールの件で俺と志賀郷が接触したことも悩みの種である。不慮の事故とはいえ、多くのクラスメイトの前で志賀郷を抱きかかえるという事態になったので、当然だが俺は周囲から注目される羽目になった。

 今のところ志賀郷との関係性を勘ぐられる話は聞いていないが、変な噂が立たないように今後も注視していく必要がある。


「席に着けー。通知表返すぞー」


 担任が教室に入ってきて場が静まる。俺は外界の景色に目を向けながら迫り来るその時を待っていた。

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