脳はひとつ
―『脳はひとつしか無いから』が、彼の言い分なんである。
彼、分かってねえ。なんなの、本当。あたしがどゆ気持ちでスマホばっか弄ってる彼を見てるか知ってるの。
あたしが拵えたメシ喰ってる時も、一緒にテレビ観てる時も、カフェに居る時だって。
あたしの誕生日に、イタリアン連れてって呉れたのは嬉しかったけど、その時さえも。
つうか。
此処は水族館で、あんたは水槽の向こうの魚類なの。男と女の間には分厚い分厚い耐圧ガラスが在るって訳なの。あんたの方は水圧スゲエの。空気のがわに出てくると死ぬの。
其の一個しかない脳ってサカナの脳なの。
等の思いがあるけれど、口にはしない。
カレはメンタル硝子だからだ。耐圧じゃない硝子、この場合。華奢なのね。
たださ。
端末とかって最早、性的器官で、あんたのしてる事、其れ、おなにいじゃね。
等と思うけれども、口にしてはならない。
だが、とりま、あたしはトライする事にした。挑戦に意味が有るのだ。其れが如何に高く分厚い耐圧ガラスの壁でも。壁への挑戦。うん。壁、超えたる。
―先ずはラインで揺さぶるとかにした。何しろ当のスマホに直で作用すんだから、此れを無視って懸念は、ない。
一緒に食事してる時、スマホにかじり付きだしたところで、あたしのスマホから『美味いかい?』と送信してやった。
うん、一定の効果はあった。
彼も、苦笑まじりにあたしを見てくれる。美味いよ、有り難う、なんか言って呉れたりはした。
だけれど効果と言うのは薄れるもので。
其んな類のラインにはびくともしなくなったのが十月。
十一月には、多少、気を惹く様な言動を織り混ぜてみたりしたけれど、一日に五分もあたしの顔を見なくなった。
―一緒に住んでるのに。
あたし自身、此の頃から変化し始めたのかもしれない。
十二月には、手首を切る様になった。
彼の眼前で切った事さえある。
だけれど、佯狂を遇らうみたいに、彼はスマホから眼を離さなかった。
もう今宵はイブだ。クリスマスイブ。
恋人たちの為の夜。
あたしはケーキを食卓に載せた。
彼の熱っぽい眼はスマホばかりを見続けていた。
あたしの方は見ずに、彼は箱を手渡して呉れた。
リボンを解き蓋を開けてみれば、中に収められていた『マフラー』が、うつくしい蛇の様な顔を覗かせた。
あたしは庭に出て、今夜の為に飾りつけておいた白樫の電飾を掻き分けた。
其れは発光しながら、癌組織の様にブヨブヨと揺らいだ。
其うして人工の索状組織、配電線が切れてしまうと、あっけない様に一息に光は消えた。あんなに鮮やかに、歌う様に煌めいていた光は一息に。
頭が冴えていた。
あたしの手は、殆どあたしの働きではないみたいに素早く閃き、高木種特有の見上げる様な枝へとマフラーを結わえ懸けた。
縊首をしながら、彼を見ていた。
彼は、あたしを見ていなかった。