病根たくましく響く私の尾
―スマホの画面を確認すると、此の様に書いてあった。日付は冬の物だ。母が亡くなる前のログである。
『
私が此の『序章』に表題を付けるとしたら。
ただただシンプルに此う付けるだろうか。
【 ー1 】
と。
其れにしても。
―鳴き声だ、
―にゃん!―、
と。
―何の事はない。
―にゃん、にゃん。―
現実の生き物の様にして、―
私の眼前を。
―ネコ耳の少女がひたひた歩く。
オッドアイというヤツだ―、白皙の面には二色の虹彩。
左右の瞳の色を違えた少女が、赤い左目と青い左目をキラキラさして歩く。
濃紺のスクール水着を着用して、とんとんと歩く。
薄い胴は艶やかなマシュマロに幻覚え、―
細く短い手脚は。
生クリームが凝った様に柔和に幻視えた。
妖精の様でもあるし妖怪の様でもある。
其ればかりの幻覚である。
―にゃん、にゃん。にゃん!―
私の中に在る白い暗黒は、
―少女のつまさきや踵の形状をしているのだ。
其れは土足の様な裸足で私の心の、
―真ん前を歩く。
』
―、
―まったく精神的なコイトスなのか。(―いやマスターベーションと言えば事足りるのか。自意識に邪魔をされた。)
―まあ、とにかく、私は『小説投稿サイト』に文章を寄せる等して、成るべく穏当な方向で幻覚の誘発に抵抗してもいる。
だが、病根たくましい(私の造語である、商魂たくましいと掛けているのだけれど)私の意識ときたら、―
そら恐ろしい事に私自身、記憶に無い文章までアップしていたりする。
中でも、【 ー1 】という文と、『人獣』という文には覚えが無いのだ。
私の中に巣食う病の―、
『陰性症状』もさることながら。
―主治医はかつて私に此う説明してもいた。
向精神薬の副作用には注意能力の低下がある。だから些細な物忘れや、記憶ミス、取り違えの様な事も起こり得る、―
と。
かかるが故に、自作の文章を健忘しているのか。
―また。
ふと考えてみると、【 ー1 】の方が、『スク水ネコ耳少女』の幻視体験に先んじているのだ。
すると少し怖い事にもなる。
文章が経験を先取っている。豫言ではないか―、つのだじろう先生の恐怖新聞を地でいく。
―だが。
少し冷静になれば良い。そもそも、―幻視を起こしている様な状態なのだ。桜吹雪の夜半、彼れが私にとって初見だったのかが怪しいのだ。
【 ー1 】を書いた時がプライムタイムなのじゃ無いだろうか。
私の記憶に残っていない私が、足跡を文章として留めたと考えるべきでは。(話し振りとしたらミステリ小説のダイイングメッセージの様だ。)
―儀記憶とも言えようか。
人間の『自我』は、『経験の記憶』に密接に依存している。
だけれど、『記憶』ほどアヤフヤな物はあるまい。
『この私』が『本当に間違いなく私』なのか。
其れを断言できる人間は居ない。
―処で。『人獣』という文章は少しまた異質である。
『僕』『俺』ではなく、私、という一人称を用いているのは普段変わらず。
―なのだが。
どうやら『私』は『女』と明言されている以上、女性として主格が在る様だ。
言うまでもないが、『私』は男性なのである。
―等と。
毒にも薬にもならない思索を循環さしているうち、―
ずいぶん腹が減った。
いつぞやの夜、幻視が高まったために立ち寄れなかった、あの―
家系のラーメン屋に行ってみようかしら。
―其う思うと、腹が鳴った。
―春の事とは言え、空は抽象絵画的に一色に曇り、もこもこと暗い。
肌寒く、ニットキャップが必要であった。
ダークピンクのニットを無彩色の空の下、宛ら差し色として流していくと、なにやらむ思い出が去来する。―
―当たり前だ、此の帽子は。
思い出が深いのである。
男のクセをしてピンクを身にするのは何故かと言うと、―
或る女の子が私に呉れた物だからである。
リサとガスパールというハイカラな絵本が好きな子だった。
精神病院に入院していたのだ。
此の子には不思議な話がある。
うそ寂しい病棟の談話スペースで話した事だが。
彼女は自分を殺したのだと言う。
「ある夜、私は一人、アパートで絵本を読んでいたの、リサとガスパールという絵本だけれど、フランス語の言語で―」
彼女は、私と違い大学も出ていて、語学にも堪能な処があった。
「そうしたら、ピンポンが鳴った。モニターっていうの? インターホンの向こうに誰が居るか分かるやつ。あれは付いてないの、安普請だからね。病気があると、ドラッグストアでぐらいしか働けないし、稼ぎは雀の涙よ」
はあっと、両手を広げて天を仰ぐ。
「だから。玄関を開けてみるまで相手が誰が分からないの。無用心よね? そうしてね、ドアを開けてみると―」
声のトーンが不意に落ちる。私は唾液を飲んだ。ゴクリと嫌な音が頭蓋に響く。―
「―立っていたのは、私。ナイフを持っていたわ。私はそのナイフで室内の私を刺すと、刺された私、は豆腐のように崩れて倒れ伏した。
ナイフを持つ私は、―なに食わぬ顔で、『リサとガスパール』の続きを読み出したわ。
つまり、―
―そうして『私ではない私』『私殺しの私』は、
―私として生き残り、ここに入院してるわけよ」
悪戯に笑い、話を締め括った彼女は、ごく普通の若い女性に見えた。




