縫い傷
中学生の頃に、私は『ふちがみね』と言う駅の付近に所在していた。
懐かしいが、名は体を表すと言おうか、漂うローカリティのとおりに何か青ぐらい雰囲気を持つ領域であった。
冥府の様な感じがします。今、想起してみると。
木々も日本の感じじゃないの。生い茂っておりまして。梧って有るでしょう。大陸の鬱蒼を表象する樹種だと思うけれど。
イメージで言うと梧が茂る地である。
まあ、イメージね。感じで話しております。
でね。ポツンとスーパーマーケットが一軒だけ在って、みんな其処を使うのだ。
安直に『スーパーふちがみね』と言うんだけど、其処。
其処での話。
黄昏時。夕陽が差し込んでいたな、店内に。
買い物に来ていた。御使いです。
確か、私が探していたのはシーチキンの缶だった。私に親は居ないが、同居の祖母が親がわりで、その人が何にでもシーチキンを用いる。
さて。缶詰が置いてあるコーナーを見繕っていると、私の眼前にふわっと白い手が来たの。
女の人の腕だった。
迚も綺麗な肌をしていた。
土地柄に不似合いな位だった。
あっと思い、避けるんだけれど、その時に鮮明に眼に入ったのは『傷』。
今で言うリストカットとかアームカットなのかな。
深々と傷を負っていた。その『腕』は。
だけれど、変にプラスティックめいていると言うか。不自然な印象なんだね。人間ではなく、陶器の破断面だとか、人形の腕が切れたあとみたいな感じ。上手く言えないんですが。
可成り幅広な傷でしたね。十センチ以上は長々と這っていました。深そうだった。
そして、『てのひらがわの内側』じゃなくて『手の甲のほうの外側』に走るのだ。自傷で付く位置でもあるまいね。
然も。
其れがね、凄くザツに、黒い糸で縫いとめられているんだよね。
本当にジグザグの、医療用の糸とかじゃなくて、裁縫用の黒糸で子供がヌイグルミを縫ったみたいに、縫い傷してある。
えっ、て。その腕の生えている胴の方を見るじゃない。
にこっと、ごく普通のお姉さんが微笑んでるんだよね。白いワンピ着て。
本当に普通の、まあ綺麗な感じのお姉さんだった。若奥様って御様子の、上品な女性。
で、会釈して、シーチキン一個持って行ってしまった。
其れだけの出来事なんだけど、未だにあれは人間じゃなかったんだろうなと思う。
其の後、お姉さんを見る事は二度と無かった。
毎日に近いくらい、『スーパーふちがみね』使っていたんだけれどね。