マジック・ドア
「じぶんー、なんか喋らんー、あたしー、暗いの、好きじゃないんだよねえー」
私が疲労で押し黙っていると、頬杖した妻が小莫迦にした口調で言う。私の方を見てはいない。
卓袱台の先では、お笑い芸人がテレビモニターにゲラゲラ沸いている。
其れを見ていた。
彼れの様に戯けを要求しているんだろうと思う。妻は『楽しい事』を愛していた。
夜の紅茶が湯気を烟らせているが、其の水蒸気の寡黙が染みた。
私は夜勤もしていたし、通勤時間は片道一時間半を要した。
体が疲れていた。
話すのが億劫だから、まぶたを閉じる。いや綴じる。
まぶたの間に栞は要らない。
永遠に開かれない書物に成りたいものだ。
だけれど神経は生きているのだし、自律神経は反応するので、私は再び眼球に現実界のひかりを浴みた。
すると、まさに瞬目の一刹那に、情景は一変していた。
まず、疎ましい配偶者が世界から紛失されていた。
代わりに血溜まりがあり、圧倒的腐敗臭がした。
たとえば人体組織が劣化し融解したら其う成りそうな、泥濘にも似た液汁が、私のとなりで妻の座布団を濡らしている。
其処を中心に血液の曼荼羅が描かれている。
テレビのモニターに最早、猿芝居の茶番、賑やかしの類は映っていなく―、
―、いや。其れこそ、ブラックジョークじみた様相だ。
旧くさいドット状の、テレビゲームの様なレタリングで此う書いてあるのだ。
黒一色を背に、曼珠沙華の様な赤文字で。
GAME START !!!
Welcome to world of ‘ Magic door ’ .
如何いう意味だろうか。
其の文字は道化師の笑いの若く不快な明滅をしている。
私の手には月の肌の様に耀く刀剣が把持されている。




