汽水魚
勿論、そうおおっぴらに識られていない事だが、池袋には刺青を入れる『彫り場』が充実している。
私も其処で突いた、―『彫り物』は、『突く』と言うのが慣用である。
其処で聞いた話だけれど。
昔、昔。
とある彫り場に、『少年』を連れた男が現れた。
親子の様に見えた。
父親が言うのだそうだ。
「この子の全身に『鱗』を突いて欲しい」
と。柔和そうに咲う。微笑の底にはひんやりと阿修羅の様な塊りを感ずる。
彫り師は、其んなのは願いさげだと言下にした。少年は十三、四、と言ったところ。彫ってしまっては、まあ外道の所行だろう。
からだを魚みたいに鱗だらけに為る、等と言う彫り物を、第一、聞いた事も無い。
「そうですか」
と。拍子抜けなくらい。存外に物分かり良さげに引っ込んだのだが、此んな事を言い捨てていった。
「他の子に回らなければ良いのですが」
―さっぱり意味が分からない。此れくらい分からない話も有るまい。いな。きっと錯乱した男だったろうし、男自身にすら、自分の言葉の意味が理解できているのか怪しい様なものだ。
忘れる事にした。
其れから幾らか時が流れて、彫り師の妻が身籠もった。
だが、結局は死産だったそうだ。
いや。そう言う扱いにしたのだと言う。
通常の嬰児の何倍も早く体から出た『其れ』は、まるで魚類の容をしており、扱い兼ねたと言う。
だが、その児がどう成ったかははっきりしない。
何故か、汽水魚の様な性質を持っていた、と言う断片だけが鮮明なのだが、此れは何かのアレゴリーなのか、メタファーなのか、此の茫洋とした話自体が『汽水域』の朦朧を泳ぐ汽水魚めいた都市伝説である。




