5
2時間程経過して、アオが戻って来た。
ギルスはサージャの休む部屋に、アオを案内した。
「アオ。良かった」
サージャは、ベッドの上に身体を起こして迎えた。
「サージャ様・・・!ご無事で!」
アオはサージャの姿を確認すると、直ぐ様頭を下げた。
声は少し、震えている様だった。
サージャは、そんなアオの様子にふわりと微笑んだ。
「ああ、顔を上げてくれ。心配かけたな」
そして表情を引き締めると、改めて尋ねる。
「こんな状態で済まないが、報告を聞けるか?大方ギルスからは聞いたが、残る人員は誰になる?」
「はい。残る人員は偵察部隊の半数、6人です。
まず、王宮は侍女役でオウカとキララ、植木職人の丁稚役でリクになります。
街側には冒険宿屋にムク、道具屋にマルカ、ギルドにルークです」
聞いた言葉を脳内で反芻し、全員の顔と特徴を思い浮かべると、サージャはアオに返事をした。
「なるほど、いい人選だ。マルカとマルアには悪いが、道具屋にはマルアが適任だしな」
マルカとマルアは双子の兄妹だ。
マルカが精霊術を習得しているように、マルアは鑑定術に長けている。
その関係で、偵察部隊とは別に、今でも道具屋で生活していた。大変重宝されているようで、今回の部隊解散後は道具屋に就職すると決まっていたそうだ。
オウカは侍女としてサージャに仕えていた。
キララは料理上手で宮廷料理人の下で修業をしていたし、リクは植物に造詣が深く、薬学にも精通している。
ルークは読み書き計算が得意で、よくギルド職員に「助けて!」と連行されていた。
ムクは不愛想だが、ギルスの後輩的な感じで、宿屋のリズ夫婦に大変可愛がられている。
偵察部隊の面々は皆、サージャによって暗殺術を仕込まれているが、普段は街に溶け込んで一般人と変わりない生活を送っていた。
実際に、依頼に沿って誰かを暗殺した、なんて事は無い。
精々盗賊の討伐任務を一人ずつこなしている程度だ。
対象が何人であっても、一人でこなす、という但し書きが付くが。
それが卒業試験でもある。
「分かった。見事だ。ありがとう。逃亡組の殿は、アオ達だったな?全員軍人とはいえ、怪我ばかりだ。
三十人も居るから大変だと思うが、分担して頑張ってくれ。
ああ、あと生き残りの隊長が居たら、怪我人達の面倒はそっちに回してくれて構わないからな」
テキパキと指示を与え、サージャはふっと息を吐く。
「肝心な時に、助けてやる事が出来ないな。言うばっかりだ。
すまん。情けない話だが、私は今、本当に使い物にならん」
自嘲気味にサージャが呟けば、アオは、首を横に振る。
「サージャ様。貴女のお命は第一です。ギルス殿しか同行させられませんが・・・我々偵察部隊以外の人員は、足手まといにしかなりません。
必ず、北までお逃げください」
暗に『俺達なら付いて行けるけどね!』と、言っているアオ。
それに気付いて苦笑するのはギルスだ。
「北の神殿に着いたら、一旦合流しよう。そのまま神殿の守りを任せることになると思うが、細かい指示はその時だ。
先ずは、皆で無事辿り着こう」
そうサージャが告げると、アオは立ち上がった。
「はい。では北の神殿で」
「ああ。北の神殿で」
一礼して、アオが部屋から出て行った。
※ ※ ※
アオの気配が遠ざかって、暫くして。
ふうっと息をついて、サージャはベッドに仰向けに倒れた。
「サージャ様」
ギルスが駆け寄り、額に手を当てる。
「また、無理をして・・・」
ため息混じりに言って、傍らに置いてあった手拭いを冷たく濡らし、額に置いた。
「アオ達には、まだ見せられないさ」
苦しそうに笑って、サージャは言う。
「俺には見せられますか」
「そうだな」
そう返されれば、ギルスはニヤけるのを止められない。
この綺麗なお姫様は、見た目と違って頑固で、男勝りで、自分の弱さをえらく嫌う。
周囲に弱っている所など決して見せないで、今日まで来た。
但し、ギルスだけは、そんな弱い所を見ている。
今まで、伊達にストーカーしてこなかったという事なのだが、サージャは知らない。
弱ってる時に限って側にいる人。
サージャにとって、ギルスはそんな存在だった。
――――決して、ストーカーされているとかは思っていない。
「少し休む。準備は任せて良いか?」
「ええ、下着までバッチリ支度しておきますよ」
「それはアタシがやるからいい」
会話に割り込んで来たのは、もちろんリズだ。
手には背負袋が二つ。
彼女は今まさに、部屋に入って来たばっかりだった。
「サージャ様は安心して休みなよ。コイツに変な事はさせないからね」
「変な事って!必要な事でしょ!?」
心外です!と顔に書いて、ギルスは言い返す。
「サージャ様の服はこっちで全部揃えたよ!アンタに触らせるもんかい!」
「ええー!俺の好みがあんのに!」
ギロッとリズに睨まれて、ギルスの抗議は封殺された。
「ふふっ・・・任せる」
少し笑って、サージャは眠りに落ちた。
※ ※ ※
まだ夜が明けきらぬ頃。
空はまだ暗く、うっすらとした赤みもささぬ時間。
宿屋の窓がスッと音もなく開いた。
ギルス達は借りた服を着て、サージャを背負い、目立たぬ様に森へ抜けた。
※ ※ ※
森に入り、三十分位経過した頃、周囲は木々だらけになった。
街の灯りは、もう届かない。
人々の喧騒も、いや、時間的にそれはそもそも無かったか。
あったとしても、届かない程には深い場所まで来ていた。
北の森は、王家の直轄池で、人の手の入った森だ。
木々はほぼ等間隔に並ぶ。
材木として使える様に余計な枝葉は取り除かれて、一本一本が真直に生えている。
下草も定期的に刈られている為か、さほど背丈は高くない。
土は柔らかく、足が軽く沈むほどだ。
月明かりが少しだけ差し込む夜の森を、ギルスは、振動も少なく縫うように駆け抜けていた。
背後に背負われたサージャを気遣い、最小限の動きで駆け抜ける。
ギルスの背に背負われたサージャは、起きていた。
気になる事があった。
「なあ」
「はい?」
「何で一番に出たんだ?」
少し速度を落として、ギルスは返す。
「だって、おんぶって目立つじゃないですか。他の人に見られたくないでしょ?」
「・・・まあ、確かに」
背負われたまま、サージャが返せば、ギルスは嬉しそうに速度を戻す。
弱っているサージャを背負って運ぶ。
自分だけに許された、特権だ。
ギルスが嬉しく思わない筈が無かった。
夜の森の中、いくら整備されているとは言っても、道があるわけではない。
沈むほど柔らかい足元なのに、ギルスはまるで体重を感じさせない動きで、滑るように進んでいた。
時々、材木として切り倒されたままの材木の山を、ピョンピョンと飛び越えたりする。
この動きは、サージャの記憶にあった。
ギルスがとても喜ぶ何かがあった時、彼はこんな風に走り回っていた。
きっと今も、顔が笑っているに違いない。
顔が見えなくても、その位はなんとなく分かる。
「えらく機嫌がいいな」
「ええ、そりゃもう。サージャ様軽いし、柔らかいし、背中あったかいし」
また、目の前にあった倒木を、ぴょんっとび越える。
振動で、サージャの腹はギルスの背にぶつかる。
「お胸の丸みが背中に当たって、天にも昇る気持ちですっ」
思わず拳を握った。
「私のっ、重くて申し訳ない!移動もし辛いだろうしっ!ていう気持ちを返せっ!」
「返しませんっ!ご馳走様です!あ、手を離しちゃダメですっ!落ちますって!危ない、危ないって!!」
サージャが拳骨を振り上げようとすると、ギルスはわざとよろけて見せる。
そう、わざとだ。
それくらい分かる。
しかし、体の熱が完全に引いていないサージャは、それでも落ちそうになってしまった。
慌てて、ギルスの首に両腕を巻いて、引っ付いた。
「・・・くっそ」
「そうそう!そうやってくっついてて下さいね!」
今にもハートマークが飛び出しそうな、実に喜んでいる声音だ。
サージャは不機嫌になり、プイっと外を向いた。
背中越しに、サージャの様子はギルスに間違い無く伝わる。
ギルスは苦笑してから、少し真面目に話しかけた。
「森を抜けて、山の中の開けた所までは留まらずに行きます。だいぶ掛かりますから、本当に、力まないで、寝ててくださいよ。熱が完全に引いて無いんですから」
ギルスは首に回された腕に、軽く手を添えてきた。
ギルスの手が、ひんやりと感じられる。
確かに熱は高いらしい。
しかし、サージャとしては疑問が残る所だ。
体はだるさを伝えているが、そんなに熱があるとは思っていなかった。
熱と言っても、きっと種類が違う。
不意に、思い出してしまった。
助けられた時の事。
その後のあれこれ。
サージャの顔に、急に朱が差した。
死にかけていたとはいえ、何という事を・・・。
正常な自分の状態では、まず考えられない事態だった。
私が、ギルスを受け入れた、だと・・・?
嫌だった訳ではない。
むしろその逆で、だからこそ、正直、どんな顔をしたら良いのか、分からない。
こんな状況で、こんな事態の中で・・・私は何を思って、何をしたのだ。
考えれば考える程、自分の感情を唾棄すべきものだと感じてしまう。
結果、膨れっ面になる。
「・・・寝る」
言ってから、わざと全身を弛緩させて、ギルスに持たれ掛かった。
完全にふて寝だ。
そして思考を放棄した。
今はちょっと、考えられない。
そう結論付けた。
「おっと」
ギルスは優しく、サージャを背負いなおしてくれた。
ギルスの背中は広くて、温かくて、高級なベッドより寝心地が良い。
今だけ、甘えてしまおう。
目を閉じれば、心地よい睡魔があっという間にさらってくれた。
※ ※ ※
すう、っという寝息を聞いて、ギルスは苦笑する。
本当は気が付いていた。
体の熱は、もう薬からくる熱だけではないのだと。
全神経が背中にあるような、そんな錯覚を、ずっと感じながら走っていた。
冗談にでもしないと、自分自身ももう抑えられない。
サージャだって、無自覚だとは、もうギルスも思っていない。
だが・・・
「こんなに安心しちゃってたら、うっかり手を出せないじゃないですか・・・」
顔を見られなくてよかった。
自分は今、きっととんでもなく、真っ赤だ。
頬に上った熱から、それを察することが出来た。
かといって、油断していい状況では決してない。
出発からまだ少しだ。
城からはさほど離れていない。
暴走しそうな熱情を、心の奥底にどうにかしまい込む。
「さて、もう少し頑張りますか」
三時間ほどで、森を抜けた山の中腹の、開けた場所に出られると見立てていた。
勝負はそこでかけよう。
もちろん、サージャの体調を見計らって。
今日まで連戦連敗。
しかし今度こそ、勝てる気がする。
ギルスは、気合を入れ直した。
背中を揺らさぬよう、周囲への警戒を緩めぬよう気を配る。
気を引き締め直して、決意を秘めて、ギルスは進んだ。
休憩場所につくまでの間、サージャは一度も起きなかった。