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人がすれ違うのがやっとの幅の通りの一角に、緑の布がはみ出している窓があった。
ギルスが窓を軽く叩くと、カーテンが開いて恰幅の良い赤髪の女が顔を覗かせた。
周囲を確認して、すぐに窓を開く。
ギルスは無言で窓から屋内へ入った。
そこは寝室だった。
赤髪の女は緑の布を回収すると、すぐに雨戸を閉めて窓を閉鎖する。
ギルスの腕の中の女の様子を確認して、眉をひそめた。
「ギルス、サージャ様をこっちへ」
言いながら、女はベッドを整え、降ろす様にギルスに指示する。
掛け布団を剥いだりクッションを増やしたり。
その手は素早く、あっという間にベッドメイクは終わった。
「リズ、感謝する」
ギルスは、大切な壊れ物を扱うように、そっとベッドに下ろした。
「・・・り、ず?やど、や、の?」
ベッドに下ろされたサージャが薄目を開け、リズを見た。
「ああ、意識あったのかい?サージャ様」
心底安心したように、笑い皺の刻まれた目元を細めて、微笑んだ。
リズはサージャのベッドの側へ膝をつき、そのふくよかな両手でサージャの比較的無事な様に見える右手を、動かさないように、注意深く、そっと握った。
「そうだよ。宿屋のリズだ。サージャ様、ちょっと休んでいきな」
「あ、りが、とう・・・」
サージャが、嗄れた声で途切れ途切れに感謝を伝えると、リズは握った手をポンポンっと優しく叩いて頷いた。
返り血で斑に染まる髪を撫で、その痛々しい姿を確認し、悲しげに笑う。
さてと、と立ち上がり、目じりを拭ってリズは部屋から出て行った。
ドアが閉まるのを確認して、ギルスはサージャの横へ移動する。
腰に吊るした道具袋から小瓶を一本取りだし、それを開けて中身を口に含んだ。
苦し気に目を閉じるサージャの、顔の左側に手を付き、自分の顔を近づける。
唇と唇が触れ、液体を流し込む。
サージャは一瞬目を大きく開けたが、諦めたように、流れ込んでくる液体を苦労して飲み下した。
高級な回復薬だ。体組織を活性化させ、発熱と引き換えにあらゆる傷を治す。
味は、お世辞にも美味しいとは言えない。サージャは嫌いで、極力飲まないようにしていたくらいだ。
口の中に含ませられた段階で、口の中が熱くなる。通った喉もカッと焼け付くように熱くなった。
炎で焼けた喉が徐々に癒やされていくのが分かった。
胃に落ちて、今度は腹が熱くなる。内臓をやられていたので、口や喉の比ではない熱さ。
「う、あっ・・・」
思わず呻いた。
一回目を飲み込んだのを確認して、ギルスは顔を上げ、都合三度、瓶の中身が空になるまで繰り返した。
一回目よりも二回目が、三回目がと徐々に飲み込むペースも上がっていった。
臓器が癒され、熱を発し、肋骨が癒され、熱を発する。負傷している腕が、肩が、腰が、癒されていく。
同時に唸るほどの熱が体中を駆け回る。
「うああああっ!」
熱い、でも、まだ体は動かない。完治までには数時間が必要だ。
その間、ただただひたすらに熱い。
唯一動く頭が、左右に振られる。
空瓶を枕元に放り、ギルスはサージャの顔を両手で挟み込んだ。
顔を再度近づけて、四度目の口づけ。
口の中にもう薬は無い。貪るように乱暴に、深く、舌が侵入してくる。
「んむぅ!?」
舌が嬲られる。吸われる。
「・・・あ、ふぅっ・・・」
優しく、激しく口内を冒されるうちに、気が付けばサージャも、ギルスを求めていた。
舌と舌とが絡まり合う。
腕も上がらない、身体もまだ動かない。
体の中の呻くほどの熱が、次第に収まり、違う熱に侵されていく。
サージャは頭の中が真っ白になる快感に溺れそうになった。
ふいに唇が離される。
ツウっとお互いの唇に、糸の橋が架かる。
「・・・っはぁ」
どちらともなく、吐息が漏れた。
唇の唾液を拭って、代わりに、コツンと、今度は額を合わせる。
青い目と紫の目が見つめ合う。
熱を持った女の目と、泣きそうな男の目。
「あんたが死んだら、俺も死ぬからな」
睨まれた。
「だから、死ぬな」
泣きそうな、震えた声だと、思った。
体が熱い。
このまま喰われてしまっても良い、そう思えた。
なのに、ギルスは体を離した。
名残惜しくて、右手が少しだけ、動いた。
持ち上がりはしなかったけど。
ギルスはベッドに腰を掛け、両手で顔を覆ってしまう。
泣いている。
泣かせてしまった。
胸が、ギリッと痛んだ。
抱き締めたかった。
でも、体がまだ動かなかった。
大丈夫だと、言いたかった。
男が泣くな、と言ってやりたかった。
でも何も、言葉に出来なかった。
やがて、両手を外し、右手で口元を覆って、フゥーっと大きく息を吐いた。
サージャの左手が動いて、ギルスの服の端をギュッと掴んだ。
驚いた顔で、まだ目元の赤いギルスが、サージャを見る。
「ありがとう、来てくれて」
声が出た。嗄れていない声が。
良かった。伝えられたと、少しだけ安堵する。
服の裾を握ったサージャの手を、大きなギルスの手が取った。
目を瞑り、その手に額を付ける。
「礼を言うのは、俺の方です」
左手に口づけの感触。
「ありがとう。生きていてくれて」
彼の涙が手の甲に落ちた。
体が熱い。
もう、いつ死んでもいいと思っていた。
自分の役目はここまでだと、思っていた。
先程までは。
あの口付けまでは。
今はもう、ギルスを置いて死にたくなかった。
違う、ギルスに置いて行かれたくなかった。
ギルスを見つめる。
目の縁が赤い。
きっとサージャの目も赤い。
苦しかった。
体が熱かった。
徐々にギルスの顔が近づいてくる。
サージャはスッと目を閉じて。
そして・・・
コンコン
部屋のドアがノックされた。
うん。これ以上はね。
やらせねえよ?