第零章 KARTE.1 現代、何処かの日本と空想 ―Dreams and reality―
久々の投稿です。もうどうにでもなあれ!
――201X年、その男は、九州の何処かの県の中心市街地から外れた街の医大病院のベットで弱弱しく、横たわっていた。彼は倒れるまで現役の心臓外科の医師だった。倒れる前までは、教授の秘蔵っ子だとか、医局最後の砦など、いろいろ呼ばれ続けてきた。いわゆる腕のいい医者だった。3ヶ月前までは…。
彼は先天性のある病気(軽度)を患っていて、難病患者の気持ちを知る医者として、患者と寄り添いながら、彼の目指す”医療”を追い求めてきた。その名は、神崎徹。かんざきとおると読む。36歳、男性である。
神崎医師は、雪の多い凍える地方で誕生し、体の弱さを克服しながら勉学に励み、日本屈指の難関中学に入学。その後は高校でも努力し続け、T大理Ⅲを首席で合格し、医師としての道を歩み始めた。この頃からだろうか、才能が開花。外科向きだろうかと、講師や教授たちに認められ、そして腕を磨き続け、苦心の末、医師免許を取得した。その後は、アメリカなど欧米諸国の先進医療を学びながらT大大学院を卒業。多数の論文の執筆や外科学会に参加し、多大なる評価を受け、世界中の医師たちに若き天才医師と言われた。そんな彼は地域医療に携わろうと九州へやってきた。九州の人たちはそんな彼を歓呼の声をあげて歓迎し、S医科大学付属病院心臓血管外科へ入局した。入局後も彼は、努力を惜しまず年間約2,000例もの手術を受け、胸を切り開き、よわった心臓を治し、患者を救ってきた。
そんな彼も30歳を過ぎ、35歳の半ばを過ぎたとき、事件は起こった。彼はいつもの通り、1日の診察を終えると書類処理を始め、19時になったときにシャワー室でシャワーを浴び、自室(心臓外科器具庫)へ戻った。そこには夥しい数の手術ビデオや練習用器具、亡くなられた患者のカルテが管理されていた。その一角に二段ベットとパソコン、冷蔵庫とソファーが置かれていた。実際には自宅を設けているが、自分の倉庫代わりとした。そこでは、結紮の練習、豚の心臓を使って手術の練習を、人一倍行った。壁には、救えなかった命のカルテがあった。彼といえども神ではない。救えない命がある。どうしたらその人たちを救えるのかと毎度毎度、自問自答しては、深い溜息を吐いていた。練習も残り1分だろうか、練習の道筋を直接ノートに書き残していた。時間は夜11時を過ぎ、日を跨ごうか跨がないかの鬩ぎあいをしている時、彼は布団に潜り込み、また自問自答して今日の手術を振り返った…。2時だろうか、ふと目が覚める。だが肉体は眠ったままである。精神だけが覚醒していた。目の前にはいつもの手術室が目に映る。執刀医と手術助手の看護師、麻酔科医、もう一人の外科医、臨床工学技士らに見守られながら、手術を開始した。ふとよく見たらどうやら患者は自分自身であり、執刀医も自分で、頭が混乱しかけた頃、声を聴いた。
「汝、我の声が聞こえるであろうか?」と執刀医が言った。が、自分の声ではない。立て続けにその声の主は又聞いてきた。
「聞こえるなら手を挙げよ。」まただ…。と思いながら患者の彼はふわりと手を挙げた。
「聞こえるならなぜ言わないのだ?」
「ふごふごふごふごふご。ふごふご。」
「そうかわかった。抜いてやる。」
挿入された気管チューブとバイトブロックが外された。ようやく喋れると思い、こう言った。
「なぜ、自分が自分自身を手術しようとしているんですか?」
「汝の言葉、聞き賜った。それは私とてつらい宣告がある。死の宣告だ。」と返す。と同時に彼はサージカルルーペを外し、はらりと手術衣を脱いだ。周りの者たちが消えて二人きりになり、法衣をまとった神様のような、仏僧のような男が目に入った――。
神崎医師の医学ノート ―マルファン症候群(指定難病167)―
マルファン症候群とは、常染色体優性遺伝性の結合織疾患で、身体の骨組みとなる結合組織と呼ばれる部分に先天的な異常があり、全身各種臓器に種々の合併症をきたす病気です。
結合組織は、骨や血管、眼、関節などに存在しており、こうした部位に症状が現れます。
マルファン症候群は、適切な治療介入を行うことで、他の方と比べ遜色ない寿命を全うすることも可能です。しかしその一方で、自分自身がマルファン症候群であることに気付くことなく、健康障害を引き起こしうる生活スタイルをとっている方も少なからずいると推定されています。その結果、突然死を招くこともあります。日本にはおよそ2万人の患者さんがいると推定されていますが、マルファン症候群の認知度を高めることは、早期発見・早期治療介入を行うという観点からは、とても大切なことです。