第八十一話 哀れな子羊
「ヒヒヒヒ。やぁ、久し振り~。ここに収監されてどれ位経ったかな? 元気にしていたかい?」
軽薄そうな若い男が下卑た笑い声を上げながら純白の扉の前に立ち、そこに設置されている白銀に輝く鉄格子を覗き込みながら部屋に中に向かってそう声を掛けた。
純白で統一された長い廊下の左右に幾つもの白い扉、目に入る物全てか純白、そして白銀の輝きを放っている。
そして、それぞれの扉には全てに鉄格子で仕切られたのぞき窓が付いていた。
その格子の向こう、部屋の中からは歓喜とも悲嘆とも取れる声が漏れ聞こえている。
男の口振りからするとどうやら監獄の様だが、埃一つ無い程の清潔……、無菌室の如き非現実なまでの清浄なる空気により、まるで新設された病院か研究所の様だ。
恐らく、男の言葉が真実なら扉の向こうは独房なのだろう。
「あら、あなた自らここに来るなんてどんな気紛れかしら? そんな事より私は今忙しいの。後にして貰えない?」
その声からすると、男が声を掛けた部屋の人物は女性の様だ。
その女性は、どうやら独房の中に設置されたモニターの様な物に夢中となっており、男の方には目を向けずにそう言った。
独房の中にモニターと言うのは些かおかしい話ではあるのだが、ここは犯罪者を収容する為の施設ではなく要人を幽閉させておく事が目的で作られているのだろう。
格子から覗く部屋の中は一通りの設備が整っており、思いの外快適そうだった。
とは言え、そんな設備はただの気分の問題、ここに収監されている者達には不要な物である。
更に言えば、本来なら今彼女が見入っているモニターさえ不要な筈だ。
いや、だったと言うべきか。
今の彼女、それに他の独房に監禁されている人物達にしても、その様な力は持ち得ていない。
もし、このモニターが存在しなければ、今頃彼女達は皆発狂していただろう。
それ程、今の彼女達はこのモニターに映し出される映像が生きる全てとなっているようだった。
「はぁ、やれやれ」
男の事など、まるで観賞の邪魔と言わんばかりの物言いと、モニターの前から微動だにしない。
男はそんな彼女に呆れて、聞こえるようにわざと大きいたため息をついた。
しかし、そんな男の態度を意に介さず彼女は映し出されている映像に一喜一憂している。
「あぁ、そんな……。あっやった! はぁ~良かった~」
そのモニターに映っているのは、ある男性の映像だ。
運命の奔流に抗いながらも流されていくそんな不幸な男性の物語だった。
その女性の様子からすると、どうやらモニターに映し出されている男は、丁度絶体絶命の危機を脱したらしく、彼女は安堵の言葉を吐きの言葉と共に、緊張した身体を緩ませて大きく息を吐いた。
「ヒヒヒッ。朗報だよ。君は今日で釈放さ」
男がそんな女の態度に、相変わらず人を小馬鹿にしたような笑みを零しながらそう言った。
「だからあんたの相手してる暇は無い……って、ええぇっ? 今なんて言ったの?」
彼女は、男の言葉など端から聞く気も無かったので適当に流そうとしていたのだが、少し遅れて男が言った言葉の意味を理解した。
理解したと言っても、その言葉は有り得ない事を彼女は知っている。
彼女は当初聞き間違いかと思ったが、頭の中で何度リフレインさせても同じ語句が再生されていた。
その真意を確かめるべく慌てて扉の方を振り返り、男の顔を食い入るように見詰めた。
「ヒヒヒヒヒ。やっとこっちを向いてくれたね~」
「どう言う事つもり? 私の番はまだずっと後の筈でしょう」
そうだ、彼女の番はもっと後。
本来なら四十四番目の筈だったのだ。
「見ていただろ。僕は公平だからね。ちゃんとルールは守るさ。だから君の番なんだよ」
『どの口がその言葉を吐くか!』
彼女は口から出そうになったその言葉を飲み込んだ。
ここで感情のまま言い返しても意味が無い。
それよりも、釈放が本当ならこれ程嬉しい事は無いのだから。
下手に話をかき混ぜてこの話が無かった事になっては堪らないと彼女は思った。
「分かったわ。ここはあなたのその公平なジャッジとやらに素直に感謝する事にしましょうか」
「ヒヒヒヒヒ。うんうんうんうん。僕に感謝してよね~」
男は軽薄そうな笑いと表情で彼女の言葉にそう答えた。
軽薄そうと言う形容詞は間違っているかもしれない。
その笑みの向こうには邪悪が宿っている、彼女はそう感じた。
『もう昔の彼じゃないわね。名前に飲み込まれてしまったのかしら?』
彼女は、格子から覗く男のその変貌振りをそう考察する。
それは間違っていないんだろう、だって今の状況がそれを物語っている。
『まっ、私も人の事は言えないか……』
我が身を顧みてそう自嘲し、笑みを零した。
彼女もかつての彼女とは似ても似つかぬ物となってしまっているが、彼女は今の自分に満足している。
少なくとも不快じゃない、そう思った。
ガチャガチャ、カチン。
ギィィィィ。
アナクロな鍵が開く音と共に部屋のロックが外れ扉が開く。
独房から出た彼女は数十年振りに解放された事に喜び、大きく伸びをした。
遠くから『ずるいぞ~』と言う声が聞えて来たが、それは本来二番目となる者の声なのだろう。
彼女は声には出さず、心の中だけで『ごめんなさいね』と謝った。
何故かと言うと、一人に謝ると繰り下がった他の皆にも謝らないといけないからだ。
『今はその時間も惜しい。一刻も早くこの監獄から出なければ』
今彼女の頭に有るのはその事だけ。
『いや……』
彼女は有る事を思い出し、男の方に顔を向けた。
出来ればこのまま顔を見ずにここから立ち去りたかったと思いながら。
「一つだけ聞かせて貰えないかしら? あの娘の容体はどう?」
『これだけは聞いておかなければ』と彼女は思った。
それは、この監獄から出てしまえば、それを知る術は無いのだから。
「あぁ、少し力が戻ったけどいまだ昏睡状態さ。あの娘も無茶をしたものだよ。本当に困った娘だね」
その言葉に彼女はカチンと来た。
先程はなんとか堪えたが、さすがに二度目は止められない。
「何を言うの! 全てあなたの所為でしょう!」
彼女の怒り叫びに男は少し目を丸くしたが、すぐにまた軽薄な笑顔に戻る。
「それこそ何を言ってるんだい? あの娘がこうなったのも、世界の歪も、そもそも君達でさえ、ううん僕も含めてさ。全てはそう、あの子の所為だって事は分かっているだろう? ヒヒヒヒヒ」
その言葉に彼女は男の事を激しく睨み付けたが、男は世界の悪を凝縮させた様な笑顔で受け止めた。
『腹立たしい! 本当に腹立たしい!』
彼女は頭の中でそう叫ぶが、今の男の発言に対して明確に反論出来る言葉は持ち合わせていない。
「まぁ、良いじゃないか。その方が面白い。君も、君達も本当はそう思っているのだろう? ねぇ? ヒーヒッヒッヒッ!」
男はこの監獄中に響き渡るような大声でそう言った。
残念な事に、彼女はこの言葉に対しても反論する資格が無い。
彼女はそんなあまりの自分の情け無さに、すっかり意気消沈して怒りの感情は消え失せうな垂れた。
男はそんな彼女の様に満足した表情を浮かべて何度も頷いている。
「で、解放された君はこれからどうするつもりなんだい? 彼と共にじっと待つのかい?」
「……いえ、彼と私は違うわ。私は……」
男の言葉に我に返り、顔を上げ男に向かってそう言った。
彼女の中には既に解放された後の計画が出来ている。
独房から見ていた映像に胸を打たれながら、ずっとその事ばかりを考えていた。
そう、彼女が目指すべき場所は既に決まっているのだ。
彼女はそれ以上、男に何も言わずに監獄の出口に向かって歩き出す。
「私の目指す場所。それは……、私の……可愛……」
小さくそう呟きながら彼女は開かれた監獄の門から射し込む光の中に姿を消した。
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「う……、うぅ……」
なんだ? 何処からか美味そうな匂いが漂ってきやがったぞ。
俺は鼻孔をくすぐる料理の匂いに起こされて目が覚めた。
ゆっくりと目を開けると辺りは真っ暗で何も見えない。
なんだここ? 俺は寝ていたのか?
ベッドにしちゃやけに固いな、……いや違う、こりゃ地面だ。
なんだ地面の上に毛布を敷いて寝ているのか?
なんでこんな所に寝ているんだ?
「痛ッ、つつつ」
俺は起き上がろうとしたが、突然襲って来た頭痛に頭を抱えてそのまま横たわった。
チッ、頭がガンガンしてやがる。
加えてこの怠さ……こりゃ噂に聞いた魔力性疲労って奴か。
短時間に魔力を使い過ぎると罹るらしいが、俺の魔力総量じゃなかなかそんなモノに罹る機会が無ぇもんでよく分からん。
んで、なんで俺がそんなモノに罹ってやがるんだ?
…………。
「あっ! 思い出した!」
俺は痛みを忘れて慌てて飛び起きて辺りを見回した。
闇に目が慣れて来たお陰で、俺の周りは布で覆われている事が分かった。
「何だこの布? ……いや、こりゃテントの中か。と言う事はまだここは火山の近くって訳か?」
そうだ、俺は魔族の情報を探る為に再び訪れた祭壇で『城喰い』と遭遇したんだ。
そして健闘の甲斐無く……、いや健闘なんて出来てねぇな。
情け無くじたばた足掻いただけだ。
あれからどうなったんだ?
奴は姿を消した。
そして俺は、奴を見失ったまま魔力切れで気絶しちまった。
「岩場の休憩所ではねぇみたいだな。下は固ぇが野外にしちゃ平らで寝心地自体は悪くねぇ」
もしかして、『城喰い』に均された穴の上って訳か? それはそれで物騒だな。
布を通して外の焚火の明かりが見える。
それに動いている人影も。
どうやらその人影は、テントの入り口に向かって近付いて来ている様だ。
「先生! 目が覚めましたか!」
見知った声と顔が勢いよく開かれたテントの入り口から飛び込んで来た。
相変わらず元気な奴だぜ。
「よう、ダイス。無事だったみてぇだな。いや、ここが既にあの世って事なら話は別だがな」
「いやだなぁ~先生。そんな訳無いじゃないですか。大丈夫! 先生のお陰で皆無事ですよ」
「そうか、それは良かった。で、あれからどれだけ経った?」
無事なのは良かったが、俺はどれだけ寝ていたんだ?
長い事眠っていた様な、そうでない様な、魔力枯渇による気絶なんて体験した事ねぇから良く分からねぇ。
回復した魔力量は半分程だから、回復スピード的にそんなに時間は経っていないとは思うんだが……。
「まだ、一日も経ってませんよ。明日の朝になっても目が覚めなかったら、先生を担いで帰ろうって話ししていたんです。こんなに早く目が覚めるなんてさすがですね」
そうか、まだそれだけしか経ってねぇか。
まぁ、よく考えたら何日もこんな火山の近くで野宿なんて危なくて出来ねぇよな。
それにあれだけ派手にやり合ったんだ、街からも見えただろうし王国から調査団が派遣されててもおかしくねぇのに、テントの外からはそんな大勢の人が居る様な気配は感じねぇ。
「起きれますか? 丁度夕飯を食べていた所なんですよ。先生もどうです?」
夕食と言う言葉を聞いて腹が減っている事に気付いた。
そう言えば、朝早く食った切りだったな。
さっきの匂いは夕飯の匂いだったのか。
「あぁ、腹が減ってるし頂くぜ。あれから何が有ったかも聞きてぇしな」
俺は毛布から起き上がり、少し体に異常が無いか動かしてからテントを出た。
特に異常は感じられない。
頭痛は酷いし、身体も怠いのは確かだが、それだけだ。
怪我も無いし、動かない所も無い、少なくともあの後『城喰い』の野郎が現れて襲って来たなんて事は無かったようだな。
「良かった! 良かったなショウタ! お前があの時死ぬ気で俺達を避難させたってのが分かった時はもう生きた心地がしなかったぞ! お前はもっと自分の命を大事にしろ!」
テントから出て来た俺の顔を見た途端、先輩が涙を流しながらそう言って来た。
そして力任せに抱き着いて来た。
筋肉ダルマに抱き着かれるのは非常に嫌だが、今は先輩に心配をさせてしまった事に免じて受け入れようか。
『もっと自分の命を大事にしろ』か。
そうしたいのは山々だけど、俺の命はこの世界じゃ安いんだ。
そもそも、この世界の物じゃ無ぇ異物だしな。
「分かったよ。けど、先輩達に下がれって言った時は死ぬ気は無かったんだぜ? その後ちょっとしたトラブルが発生しちまってな。まぁ、心配かけた事は謝るから取りあえず放してくれ。暑苦しくて仕方無ぇよ」
「こら! 憎まれ口叩きやがって! それよりも言っておくぞ。お前は俺の息子になるんだから、親の俺より先に死ぬなんて許さねぇからな」
「ぶっ! ちょっと待て! 何言ってやがる。嬢ちゃんの相手を勝手に決めるなって言っただろうが!」
先輩の奴、まだそんな事を言いやがるのか。
本当に困った奴だぜ。
「まぁまぁ、マスター。生きて再会出来たのが嬉しいのは分かりますがそこまでにして食事しましょうよ」
「そ、そうだな。ほら、ショウタ。そこに座れ。今用意してやる」
やっと解放してくれた先輩に促され俺は焚火の前に腰を下ろした。
永久凍土の魔法が消え失せた所為で、辺りはそれなりに心地良い気温の様だ。
既に辺りは夜の帳が降りて焚火の明かりが届く範囲外は真っ暗になっている。
「ソォータ様! やはり貴方は『ケンオウ』達のご子息ですね。今回は残念ながら倒すまでには至りませんでしたが、人の身で有りながら『三大脅威』の一匹を撃退させるなんて」
「おいジョン。止めてくれってそう言うのは。撃退なんて良いもんじゃねぇよ。あいつは飽きたから帰って行っただけだぜ」
そうだ、あいつが帰って行ったのは飽きたから、いや目的を果たしたからだな。
恐らく、神の奴はイベント管理を間違えたんじゃなく、イベント通りのシナリオだったんだ。
目的は二つ。
一つはここに有った祭壇に隠されていたクリアに必須なアイテムか情報の回収。
そして、もう一つはやはり俺への顔見世だったんだろう。
奴が襲い掛かって来たのはある意味シナリオ通りで、今の俺の力で防ぐ事が出来るギリギリのラインでの攻撃だったってこった。
俺を殺すならもっと楽で簡単な方法は幾らでも有った。
あんなわざわざデモンストレーションの様な方法を取る必要なんて無かったんだ。
恐らく俺が『城喰い』対してあっさりと負けを認めたもんだから、活を入れるつもりでドッキリを仕掛けたんだろうぜ。
そして、俺が必死にもがく所を見たくなったんだろうな。
くそっ! 神の奴め! 俺を弄びやがって! 覚えてやがれ!
「それでもですよ! 有史以来『三大脅威』に真っ向から立ち向かった者など居ません。ましてやそれで生き残るなんておとぎ話でも聞いた事が有りませんよ。さすがは神の使徒でもあらせられる。人類の希望です」
ジョンや他の監視員達の熱い眼差しに何も言えなくなってしまった。
言っている事は間違っちゃいない。
俺は神の使徒で人類の希望としてこの世界に誕生した。
ただ、それは別にこの世界の住人を救う為に神がこの世界に遣わしたんじゃねぇ。
それはただ単に自分達の娯楽の為だ。
この世界の住人の事なんざ、考えちゃいねぇだろ。
俺だけが知っているこの真実に俺は胸が張り裂けそうになる。
この世界の住人はそんな事など、これぽっちも分かっちゃいねぇ。
ただ敬虔に神達に作られた神の事を信じている哀れな子羊だ。
けど、彼らは定められたルーチン通りにしか動けない魔物や動物等と違い、この世界でちゃんと生きているんだ。
日々の暮らしを喜び、悩み、悲しみ、怒り、そうやってちゃんと自分達の意思で考えて生きている。
神達のオモチャじゃねぇんだよ。
神のオモチャである俺が、神の奴等の好き勝手にはさせねぇよ!
書き上がり次第投稿します。