第四十七話 女神
『神がお怒りになった!』
『世界の終わりだ!』
『クーデリア様~! 御慈悲を!』
突然の天変地異に広場に集まった者達は皆、恐慌状態に陥り口々に恐怖と神への命乞いを始めた。
空を見上げても光は一切見えない。星も無く勿論月も無い。
一切の暗黒。
夜になったと言う訳じゃなく、まるで空に蓋でもされたかの様だ。
唯一の明かりは祭壇に据えられた銀の燭台に立てられた蝋燭達の仄かな明かりのみ。
それにより、僅かだが祭壇の前に居るメアリと大司祭の様子が伺えた。
大司祭はメアリを指差して何かを言っているみたいだ。
広場の魔法は消え去ったが、目に掛けた身体ブーストはまだ残っているらしい。
祭壇の様子自体は何とかここからでも視認出来た。
蝋燭の明かりに照らされ浮かび上がる大司祭の顔は明らかに激怒して、激しくメアリに向かって何かを言い放っている。
聞き耳の魔法は消え去ったが、何を言っているのかを想像するのは容易い。
恐らくメアリに対して『神罰』だの、『神の敵、魔族』だのを言っているのだろう。
「クソッ! あの野郎! メアリに向かって!」
俺は込み上げてくる怒りを、止める事は……。
いや止めるつもりは無ぇ! あの野郎をぶっ飛ばして、メアリを連れて逃げてやる!
「教会……、なんだったら世界を敵に回してもなっ!」
俺は怒りに任せて次々と身体にブーストを掛けていく。
先日の女媧モドキの時のように、増幅された身体が累乗的に強化されていくのが分かった。
「よし! このまま全てを置き去りにして、メアリと共にこの闇の中を駆け抜けてやる! 何処までも!」
パンッ
「なっ! なんで?」
ブーストを掛け終え、止まった時の中メアリに向かって飛び出そうとした瞬間、何かが弾ける音と共に俺のブーストが全て消え去った。
いや、いくつか残っている。
例えば視力強化、それに先程掛けた中に有った聴覚強化。
その他、ここからメアリの元まで駆け付けるには不向きな能力ばかりだ。
「くそっ! もう一回だ!」
何だこれは? さっきの魔法が消えた事と良い、こんな事初めてだ!
誰だ! 誰の仕業だ! 新たなる魔族の襲来なのか?
しかし! 何者に因る仕業か分からないが、何度だってやってやる!
だって、俺が行かないとメアリが……。
舞台の上では王子と先輩がメアリの前に立ち庇っているが、大司祭の命により教会付きの騎士団達が取り囲み、今にも飛び掛かろうとしていた。
「止めろーーーー!!」
声の限り叫ぶが、民衆の怒号に掻き消され祭壇まで届かない。
その間も何度ブーストを掛けても、助けるのに役には立たない能力を除いてブーストは解除される。
まるで『お前はここで見ていろ』と言われているようだ。
「クソッ! クソッ! クソッタレーー!」
俺はどうしょうもない無力感に苛まれその場で絶望する。
魔法に頼らず最初から階段で降りたら間に合ってたのか?
俺の判断ミス! 何もかも後手後手だ!
「ならばいっその事、ここから広場に攻撃魔法でも放って、全てを消すか?」
先輩と王子なら防御魔法で死にはしないだろう。
そしてその隙に……。
ブーストは解除されたが、精度無視した速攻の攻撃魔法なら、そんな隙は与えねぇ!
ピシッ
俺が広場に向けて魔力を集中させて魔法を放とうとした瞬間、真っ暗な空から何かがヒビ割れた音が響いた。
何事かと魔法を中断させ、空を見上げようとした……が出来なかった。
「指一本……動かせねぇ……」
いや音にビックリしたからじゃない。
物理的に指一つ動かせねぇ。
どうやら眼球だけは動くようだった。
目だけを舞台の方に向けると、動けないのは俺だけじゃなく、その場全ての者が同じ様に動けなくなっているようだ。
その証拠に先程までの喧騒が嘘のように静まり返り、舞台の上では騎士達がまるでビデオの一時停止ように飛び掛ろうとする不自然な姿勢のまま固まっていた。
何なんだこれ? 魔族の仕業か!
神の奴め! 魔族の能力は俺には効かないと言っていたが、嘘だったのか?
《心を鎮めよ》
疑問と恐怖の濁流に飲み込まれ、まともに機能していない思考に心が壊れそうになった瞬間、突然辺りに声が響いた。
その声は耳じゃなく直接心に語り掛けて来ているようだった。
とても荘厳でいて、しかし、その奥に果てしない慈愛が込められているかの様な女性の声。
その声が俺の記憶を刺激する。
神? いや、同存在を想起させるがこれは別物だ。
俺の魂がそう言ってる。
ふと空から微かな光を感じた。
俺は慌てて目線を空に向ける。
そこには信じられない事に、漆黒の天蓋の一点に微かなヒビが入り、その隙間から光が漏れ出しているのが見えた。
そのヒビは少しづつ広がり、やがて祭壇に向けてまるでスポットライトの様に一筋の光の柱が落とされる。
《心鎮めよ。我が子等よ》
また、声が響いた。
我が子等? 何だそれ?
いや、その言葉の意味も、その言葉を放つ存在にも心当たりが有る。
しかし、有り得ないだろう! そんな事!
サァァァァァーーー
その時、空気が変わった。
辺り一面がまるで浄化されたかの様に神聖な気で満たされていくのが分かった。
この感じは過去に覚えがある。
かつて俺が元の世界で死んだ後、神と対話したあの世界。
神の世界の気だ。
ふと、空に出来た光のヒビから何かが姿を現した。
それは、この世界の住人なら誰でも知っている。
教会の礼拝堂で祀られている御神体。
俺が作ったちゃちなイメージ映像なんて吹き飛んじまうようなその姿。
今この場に居る全ての者が心の中で同じ言葉を思い描いている事だろう。
この世界を司る女神……クーデリア、その御名を。
その姿を見た途端、体に自由が戻って来た。
ざわざわと民衆の声が聞こえ出した所からすると、全員そうなのだろう。
しかし、誰もメアリへの糾弾を再開しない。
皆、天蓋のヒビから現れた女神に対して祈りの言葉を捧げていた。
《先の我が化身の言葉は真実である。疑う事なかれ》
また声が響く。
我が化身? なんだ? 俺の魔法で作った女神の事か?
その言葉に大司祭が慌てふためいて平伏しだした。
まぁ、大司祭が先導してメアリに疑いの目を向けたんだから、自分の信仰を女神自ら否定された形になるし仕方無いか。
いや、あの大司祭の行動は全く悪くないんだが……。
しかし、なんだって女神はそんな事を言うんだ?
まるで、俺の不始末のフォローをしてくれているみたいじゃないか。
女神は光の柱の中を浮かびながら、ゆっくりと祭壇に降りてくる。
身を包んでいる衣は純白のドレスで所々ヒラヒラと棚引いていた。
《そこの敬虔なる我が下僕。面を上げよ。汝の信仰は不明に非ず。先の事は我が使徒の業ゆえ、我が意志を分からずとも致し方ない。心平安にあれ》
女神の言葉に大司祭は歓喜の笑みで顔を上げ、感謝の言葉を女神に捧げた後、改めて平伏した。
俺は今目の前で起こっている事に頭が付いていかない。
アレは間違い無く『神』だ。
しかし、あのふざけた『神』じゃねぇ。
根本が違う。
それは分かるんだ。
何せあの『神』は俺の世界を作った『神』だからな。
そこから生まれた物と俺の魂が理解してる。
そして、目の前の『神』は違った。
《我が名は、この世界を司る者。世界を支えし唯一つの柱。クーデリアである》
女神は名乗った。
そこに居る全ての者が確信しているその名を。
「女神クーデリア? 実際に存在していたのか? 神達がこの世界の信仰の為に作った概念的象徴じゃなかったのか?」
『神』の説明では宗教による争いを無くす為に、一つの神を信仰する世界としたと言っていた。
まさか、その神様自身が存在しているとは……。
それだけじゃない。
今なぜこの場に降臨した理由が分からない。
先程女神が言った言葉、あれは俺達が計画した聖女返上作戦の女神の言葉その物じゃないか。
《先の奇跡は、我が敵で在る魔族の襲撃にて危機に陥った者達の祈りの声に応じたまでの事》
『魔族』
その言葉に民衆は次々と驚きの声を上げる。
大司祭もここからでも分かるくらい震えていた。
《故にこの娘は、敬虔なる我の下僕では有るが、あの場に居た全ての我が力の代行者に授けし力なりて、聖女に非ず。我が此度顕現せしは、この娘の嘆きを聴き遂げた故で在る》
なんだか良く分からないが、要するに『あの奇跡は皆に与えた物なのでこの子は聖女じゃないよ。嫌がってるのを聞いてやって来た』と言う事か?
そんな……馬鹿な。
《聞くが良い。我が子等よ! 先の力の行使にて我が浅慮の果てに心痛せしこの娘、聖女非ずとも素晴らしき下僕なり。この者を非難してはならぬ、この者を自らの欲で汚してはならぬ、この者の進む道を妨げてはならぬ、如何なる身分の者とてそれを破りし者は我が神罰が下るであろう》
皆はその言葉を聞き、平伏したまま、女神の語ったその意を受け取った様だ。
《では、皆の者、今の言葉を忘れるで無いぞ? あと、この国の王よ。汝なら分かるな? 汝の友に聞かれし折は、かつて我が授けし言葉を伝えし事。よろしく頼むぞ》
女神は国王に向けて意味不明な言葉を言った。
国王はそれだけで女神の言葉の真意を理解したようで頷きながら祈りを捧げている。
《では皆の者。汝らに幸あれ》
女神がそう言って両手を振り上げると、空の闇に幾重にもヒビが入りだした。
パリンーーーー
突然ガラスが割れる様な音が響いたかと思うと、闇が割れ光が広がった。
割れた闇の破片は地上に落ちる事なく、虚空の彼方に溶け込むように消えていく。
斯くして世界に光が戻った。
再び皆が祭壇に目をやると女神の姿は既になく、辺りを満たしていた神の世界の気も消え失せていた。
しかし、俺だけはずっと女神を見ていた。
何故なら皆が上を向いた瞬間、俺と目が合い、そして俺の事を見て優しく微笑んだから。
そして、すぐに寂しそうな目をして光の泡になって姿を消したんだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その後は大変だった。
目の前で起こった天変地異の様な奇跡の出来事に、歓喜の声を上げる者、その場でただ祈りを捧げる者、感動のあまり泣き出す者。
俺は急いで尖塔の階段を走り下りて教会の入り口から外に出たが、先程よりも更に人が集まっており、それらの群衆の波が広場を埋め尽くし、祭壇まで辿り着けそうも無い。
クソッ! 退けよお前ら!
人混みを掻き分け進もうとするが思うように進めない。
ふと視線を感じそちらの方に目見向けた。
そこには祭壇前の舞台の上から俺の事を、くしゃくしゃになった泣き顔で見ているメアリが居た。
「メアリィィーーー!!」
俺の声が聞こえたのか、少しメアリの頬が緩んだ。
そして、俺の元に走り出そうとした途端、何故か立ち止まり首を振った。
ど、どうしたんだ? もしかしてこんな危険な目に合わせた俺を怒っているのか?
しかし、首を振るのを止め再び俺の顔を見てきたメアリの顔には怒りの表情は無く、無理しているのが分かるくらいの苦しそうな笑顔になっていた。
そして、俺に向かって何かを言って、何処かを指を指す。
声は周りの喧騒で聞こえないが、唇の動きと指した方向で俺は意味を理解した。
俺は大きく頷き振り向いて今来た道を戻って走り出した。
メアリが俺に身振りで伝えて来た、メアリの屋敷に向かって。
書き上がり次第投稿します。
すみません、今日は一話掲載です。
次話が第三章最終話となります。