ろっぱつめ★ショッピングモールでボコられない
モールの開店時間と同時に入り口が解放されると、列の先頭から順に建物の中へ━━並んでいた人々が、わりと凄い勢いで吸い込まれていく。
その流れはタクヤとマヤカのいる列の中頃にまで及び、さらにうしろから突き上げるようにして迫る後列の圧力がさらに勢いを加速させた。
「うわっ、んだよっ、押すなや!」
真後ろの男だけに文句を言ったところで、流れが緩やかになるわけもなく━━さらにうしろ、そのまたうしろの人間が前に前にと力をかけるため、タクヤたちも流れるようにモールの入り口へと進んでいった。本当に嫌なら列を離れればいいだけだが、今まで待ったのだからという気持ちが、もちろん二人にもあった。
ニコ・メンソレータスの限定バッグを前に、折れることはできない。
多少の苦行はやむを得ないと、さすがのバカップルも覚悟を決める。
とりあえずタクヤは、他の男たちからマヤカの身体を守るために、彼女をうしろから抱くような格好で、そのままモールに入場した。
人々の流れは止まらず、正面の上り階段をまるでエスカレーターみたいに押し流されてのぼってゆく。
そこでマヤカが言った。
「オ・ションベーノって二階だっけ?」
バッグを販売するショップは、マヤカの記憶では一階だったような気がする。けれど、彼女もモールを訪れるのが久しぶりのことで、正確な位地を思い出せない。もしかしたら二階だったかも、という考えも浮かぶ。
「わかんねっ! 限定だから、上で売ってんのかも!」と、タクヤは適当なことを言った。
男と男と男の熱気と圧迫で、それどころではなかった。もはやマヤカの匂いだけで切り抜けられるような状況ではない。明らかに朝っぱらからニンニク料理を食べてきたと思われる口臭をまともにくらい「おええっ、けぷっ!」と、あやうく本気で吐きそうになる。
マヤカの髪に鼻を埋めて、どうにか耐えた。
「くそっ、なんなんだよマジでこいつら━━ゾンビみてぇ!」
タクヤがそう感じたのも当然で、男たちの目は欲によりギラついていて、目的の商品だけに意識が向けられている。
前方には<アニメウリ>というアニメショップのモール支店があって、そこが人だかりの中心部になっていた。
当然、そこにニコのバッグは売っていないのだが、まだ、タクヤもマヤカも気づいていない。ゾンビのように前へ進む、人波に耐えることで必死なのだ。
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「押さないでください、押さないでください。魔法少女デスペレーション落ち子限定バージョン、まだございます! 順番に、お一人様おひとつずつ販売しておりますので、うしろのかたは押さないでください。購入された方はその場に留まらず、左手側へお進みいただきますようお願いいたします。大変混雑しております、どうかご協力のほど、よろしくお願いします。現在魔法少女デスペレーション落ち子限定バージョンに人気が集中しております。申し訳ございませんが、この販売を優先とさせていただき、通常営業のほうお待ちいただいている状況です。ご理解・ご協力のほう、どうかよろしくお願いいたします!」
店員のアナウンスも必死だった。
その様子から、おそらく想定以上の状況になっているのだということがわかる。
そして、さすがのバカップルもこれはおかしいぞ、ということがわかった━━が、気づくのが遅すぎた。もちろん退路なんてなくて、進むにしても進めない。とにかく人が密集しすぎているので、流れ次第でどこへでも歩かされる。
「マヤカ、ここじゃねー。ここ、違うわ!」
「マジかよっ、なんなんだよここ、ちょっとどーすんのタクヤ! 早くしないと、売り切れちゃうよ!」
くそっ、と言ってタクヤはなんとか方向転換しようとするが、うしろのデブに「いてーなカス、なんだよ!」と言われてキレ、さらに力任せにデブの身体を押してやった。
「いって、いてぇ! なんだてめ、なにしてんだよふざけんなよ晒すぞカス!」
デブもデブなりに応戦したり、スマホで撮影でもしようとしたのか、ポケットを探るような仕草をするも、中の物を取り出すような余裕はない。とにかく人と人とが密着していて、身動きができない。
「殺すぞデブ、どけっ、どけろブタっ!」
「あー、殺害宣言したー、はいこれ通報決定、お前訴えて人生おわ━━びんっ!」
タクヤの頭突きがヒットして、デブの鼻骨が折れる。デブが傾き、それにより多少の隙間が生まれたのを見逃さず、マヤカごと強引に身体をねじ込んだタクヤ。彼の目には前方に人の頭がないという事実だけがあって、その先がなにかなどは考えていない。とにかく人のいない場所に行こうとする意思だけが、彼の身体を突き動かした。
デブを突破したあとは数人のひ弱な男を無理やり動かしてスペースを空けさせると、なんとか目的の位地まで来ることができた━━が。
「ダメだ、階段向こうじゃねーか!」
そこは一階が見下ろせるだけの手すりの際で、結局右も左も塞がれて、さらに逃げ場がなくなっただけだ。
そうしている間にも人口密度は増えつづけ、もはやさっきまでよりも、どこにも行けない状態に追い詰められてしまった二人。
「いたい!」手すりのあるガラスに押し付けられたマヤカが叫ぶ。
タクヤもなんとかしてやりたいのだが、なんともできない。
右と左とうしろから圧力がかけられて、タクヤ自身も圧迫されていた。
「はーい、魔法少女デスペレーション落ち子限定バージョン、あと残りわずかとなってきましたー!」と、バカな店員が余計なことを言ったため、まだ購入できていない人間たちが動きだした。動けないはずの状況の中で、それでも細胞のひとつひとつのように蠢く人間たち。
その力はタクヤたちを更に壁際へと圧迫し、とうとう耐えきれなくなったマヤカが上半身を手すりの上に乗り出して、なんとか逃れようとする。
そこに突然、顔面を血で汚した狂気のデブが顔を見せた。明らかにタクヤを狙い、人を殺しそうな表情をしている。
さきほどタクヤに鼻を折られた、あの男だ。
「お前マジ殺すから、うわああーん!」
さきほど殺害宣言がどうとか言っていた本人が、まさにそれを行い、タクヤに向かって両手を伸ばす。
襟首を捕まれたタクヤは必死になって暴れたが、男の力が思いの外強くて、離れない。
それでも死に物狂いで暴れていたら、すぐ隣から「きゃああああーっ!」というものすごい悲鳴が上がり、見るとマヤカの姿がなくなっていた。
タクヤとデブの揉み合いに押し出され、手すりを乗り越えて落下してしまったのだ!
「まっ、マヤカぁぁぁぁぁぁっ!」
「し、しらね! オレ、しらねっ!」なにが起こったのかを理解した男は、すぐにタクヤから手を離すと人混みを無理やり押し退けて遠ざかる。
タクヤも今や、男のことなどどうでもよかった。それよりも、落下したマヤカの安否を確認しなくてはいけない。
手すりから乗り出し、一階を見ると━━マヤカが倒れていて、その周りに人が集まっていた。
ついでに、銀色のアイツもそこにいた。
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救急車と警察が駆けつける事態となったのだが、結果からするとそれでよかったのだった。
アニメショップの販売方法にも問題があったということで、店側にも指導がなされたのだから。
そして、二階から落下したマヤカは━━無事だった。
精神的なダメージと、多少の打撲があっただけで、ほとんど無傷で助かったのだ。
かなりの高さである。落ちかた次第では命を落としていても不思議ではないし、骨折も免れないような大事故である。なのにマヤカがほぼ無傷で助かった理由は━━たまたま落下地点を歩いていたボコラレールの存在によるものだった。
ちょうどボコラレールの真上に落下したマヤカは、ボコラレールのちょうどいい柔らかさと硬さがクッションとなり、落下の衝撃を殺したうえで床に倒れた。
ボコラレールは凹んだが、なぜかその時のボコラレールからは文句の言葉が吐き出されずに、ただじっと倒れたマヤカを見ていたのだというから不思議だ。
そのことがあってから、マヤカはタクヤにキツく言い渡していることがある。
『ボコラレールを殴るの禁止。もし殴ったりしたら、ソッコーで別れるからね!』と。
ボコラレールに命を助けられたと信じているマヤカには、当然の心境の変化だった。
街中でボコラレールを見かければ話しかけ、殴られているのを見れば助けに入り、また、あの時自分を助けてくれたボコラレールを探そうとしたが、それだけはついぞ叶うことがないのだった。
タクヤとしては不満もあったが、マヤカと別れるくらいならボコラレールを見て見ぬフリするくらいならできないこともなかったので、今ではもう、ボコラレールを見てもなにも感じなくなっていた。
ただ、ボコラレールをボコっている人間を見ると、なんとなく、なにか不満でもあんのかなぁと、ぼんやり考えるだけだった。
この世界はね、あなたたちのための世界ではないんですよ?
すべての生き物が等しく生きるはずの世界を、あなたたちがぐっちゃぐちゃにしたんです。
ボコラレールも、ぐっちゃぐちゃにしやがってよぉ、お前らもいずれ、ぐっちゃぐちゃにしてやんよぉ。
へへっ、うへへっ、ぐっちゃぐちゃによぉ……。