ごはつめ★シンジくんにボコられる
「早くしろよマカヒロ、てめーが遅れてどーすんだよこの野郎」
最近になってマイチューバーの真似事をはじめた猪狩が先頭から、いちばん最後尾をよたよた歩く摩可広に向かって苛立ちをぶつける。
橘と西住も苛ついたように、摩可広を睨んだ。
このグループは猪狩新慈朗を頂点に、その仲間の橘満理男と西住弥勒の3人に、仲間ともいえない奴隷のような田中摩可広のメンバーで構成された、暗黒の中学生集団だった。
親が反社会的な人間である猪狩による、悪意と暴力によって支配されたグループ。橘はそれなりの力と素質があってつるんでいるが、西住は金魚のフンそのもので、摩可広に至っては都合よく言いなりになる下僕の役割を担うためだけに、加えられた人間だった。
純粋なイジメとも違う。一人の人間を完全に言いなりにさせて、その人生を丸ごと我が物にしようとする意思が、猪狩にはあった。
そんな邪悪なるリーダーを筆頭に、彼らは無人の山中へと分け入っていく。
目的は宝探しだった。
IT企業の社長がはじめた悪ふざけ。高額な金を日本中に撒き散らしたという、今もっとも話題の流行でもある。
猪狩たちも、同世代の暇なティーンエイジャーが一夜にして億万長者になったという話を聞き及び、いてもたってもいられなくなったのだ。
小切手は確実に存在している。それも、かなりの数が。
ネットで見たものは、なにが出てくるかはわからないが、確実にクソみたいな物が出てくることだけはわかっているお楽しみガチャガチャで、たまたま回した小学生の男の子が、カプセルの中に入っていた百万円の小切手を発見したという話。もちろんこの場合の小切手は裸で入れられており、カプセルに収納するためくしゃくしゃに丸められていたらしい。
そして、もちろんその後に続こうと、その手のガチャガチャを買い占める大人たちが続出したのだが、当然のように小切手が発見されることはなかった。
『だから同じ隠しかたしねーって何回も言ってんだろボケナスwww』というコメントには、猪狩もなるほど、と得心した。そのコメントを見なければ、自分もガチャガチャを回していたはずだったから。
そんな中、有力な情報としてあったのが『山の中の掘っ立て小屋みたいなところが、かなり期待できる』という話だ。
これは、ある程度の発見例が出揃ってきたことで言われはじめた、信憑性のある予測だった。
たとえば高校生のグループが学校近くの山中にある廃屋の外壁の中から、一千万の小切手を発見したらしい。木造のその建物の、剥がれかけた壁をなんとなく剥がした一人が、その中に隠されていた小切手を見つけたという事例だった。
またある者は、誰も訪れる人間のなくなった山中の休憩所みたいな所で、半ば地中に埋もれたビール瓶の中から、一千万の小切手を発見したのだという。
一度掘り起こしたのか、あるいはわざわざ用意したのかはわからないが、それらを一人で隠したという社長の行動力のほうが話題にのぼったことは言うまでもない。
柳井社長超人説や、上層部グル説、または相当数の協力者がいるのではという噂が当然ながら浮上したのだが、真実を知る者はまだいない。社長は依然として固く口を閉ざしたまま、事態収束へ向けての協力を拒否しつづけていた。
猪狩、橘、西住、そして摩可広の四人はかろうじて道のように見えなくもない山道を、かれこれ一時間は歩いている。
猪狩の自宅で猪狩が衛星写真をちゃちゃっと簡単に確認しただけの、一番近くてそれらしい場所に向かっているだけだった。いわく、山の中に小屋みたいなものがあったらしい。
かなり適当な情報であるが、摩可広はもとより、橘と西住にも猪狩の提案に異を唱えるということができなかった。
いわば猪狩は絶対君主で、それがただの思いつきだとしても、下僕たちは従う以外にないのである。
「シンジくん、ちょっと休まね?」新慈朗のことをシンジくんと呼ぶ、猪狩以外の中では最も力と発言力のある右腕的存在の橘が言った。
「あん? なんだよマリオ、疲れたんかよ。たぶんもうすぐだから、着いたら休もうぜ」
「おっけ、そうするべ」橘は諦めたようだ。
それよりも撮影用のカメラを持たされた西住と、弁当やらなにやらが詰め込まれた大きめのリュックを背負わされている摩可広のほうが疲労しているのだが、もちろん彼らの様子を気にするような男じゃないのが、猪狩という人間だ。橘も、自分のことしか考えない。自分より弱い人間が自分の言いなりになるのは当然だという思考のゴミクズ様だった。
やがて四人の目の前が開ける。
手入れされていない畑のような場所と、農具置き場のような小屋が、ちょこんと建つだけの、小さな広場のようなところだ。
その様子から、今はもう訪れる人がいないのだろうということが窺える。雨ざらしにされた鉄製品や小屋の中にあるボロボロの農具も、もう何年もそのままにされているのだろう。とても使い物にはならないような道具ばかりが、この地に忘れ去られている。
よく見たら猪狩たちが来たのとは逆側に細い道のようなものがあった。さらによく見ると、軽トラ一台がギリギリ通れそうな道だった。
実は猪狩が見逃していただけで、歩きやすい道が隣町の山道の途中から伸びていたのだった。
自分の家からスタートし、パソコンの画面をスクロールさせていって建物を見つけた瞬間、見るのをやめた猪狩が知らなかった事実である。なんだったら猪狩たちが所有する原チャリで楽々来れる場所だったのだが━━バカはちゃんと確認しないので、する必要のない苦労をすることになるのだ。
「んだよっ! 道あんじゃねーか!」言って、朽ちかけたカゴを蹴って壊す。すぐ物にあたるところも、短気なバカの証明に他ならない。
そんな彼らの元に、木々の間からひょこひょこなにかが歩いてきた。
太陽光を反射する銀色ボディの、二頭身。
「あっ、ボコラレーロじゃんか。なんでこんなとこにいんだよ?」
名前は間違っていたが、確かにこんな所といえば、こんな所である。とはいえボコラレールに決まった出現場所やその法則性なんかがあるわけではないので、極端な話、深海の、生身の人間が絶対にいないような場所を歩いていたとしても、不思議ではないのだ。
実際、建設途中の超高層ビルの上階に現れたなんて話もある。どこからどうやって侵入したのか、誰もわからない場所にいたりするのだ。
ネット界隈ではボコラレールが瞬間移動的な出現方法をするという説が主流だったが、もちろん誰も確認できた人間はおらず、憶測の域をでることはなかった。
「ミロク、そいつちょっとこっちに連れてこいよ」猪狩は西住に命じた。
カメラを持ったままの西住は、もちろん首を縦に振り、こちらには気づいていないかのように歩いているボコラレールの手を握り、強制連行した。
「あん? なぁによあなたたち?」ボコラレールが喋る。気持ち悪いノイズのような声と、妙な喋り方が苛立ちを誘う。
「うらっ!」猪狩がボコラレールの脳天に肘打ちをくらわせた。
ベコッと音がしてベコッと凹んだボコラレールの頭は、そのまま戻らなくなった。
「へげうっ! な、な、やにしやがるんだタニシ野郎めが! スーパーのお刺身パックの中で蠢くアニサキスみたいな奴のくせに!」
「んだコラッ、誰に言ってんだハゲ!」
猪狩が更に拳でもって、ちょうどいい柔らかさと硬さのボコラレール頭を上から殴りつけると、ボコラレールの頭はさらに凹んだ。わずかに頭が胴体にめり込んだようになり、身長が縮まっている。
「オラッ、オラッ、潰れろやぁーっ!」
「ぎびっ! いびっ! みしっ!」
ボコラレールがどんどん潰れていく。もう半分くらいの身長になっている。
「てっ、てめっ、おっ、おぼえて、やがれ……絶対、お前みたいな、人間、は、よくないところに、行かせるかんな……げへっ、へへっ……」
気持ち悪い声で不気味な言葉を残したボコラレールが、とうとう喋らなくなった。そして、猪狩がさらにとどめの一撃を入れると、あっという間に萎んでしまい、銀色のアルミホイルみたいな残骸になってしまった。
「なんだよ、もう終わりかよ━━動けよ、動け動け動け、動けよーっ! チッ、クソが」
アルミホイルみたいになった残骸を踏みにじるも、すでになんの反応も示さないそれは、ボコラレールであったものとは思えないほどゴミみたいな残りカスになっている。
興味を失った猪狩は、その矛先を仲間たちに向けた。「とっとと探せよ、宝くじ!」と命令する。探すのは小切手であって宝くじではないのだが、それを指摘できる人間はいない。
「オメーもぼさっとしてねーでよぉ、それっぽいとこ探せよ。動けオラッ」
言って、摩可広の身体を突き飛ばす猪狩。
押された摩可広はバランスを崩した拍子に、でこぼこな地面に足を取られて転んだ。
のだが━━他と同じく土の地面に見えていたその場所にあったものは土ではなく。
表面こそ乾いて土みたいになってはいたが、その内部にはまだ柔らかく水分を含んだ肥料が残っていた━━そこにあったものは、いわゆる『肥溜め』というやつなのだった!
よく見れば虫やハエの存在に気づけもしたが、よく見なかったので誰も気づいていなかったのだ。
リュックごと身体を沈めた摩可広が、慌てて這い出してくる。うんこまみれの半身を晒し、顔を見せた瞬間にうぼえええっと嘔吐する。
「うっわ、くっせぇぇぇーっ!」猪狩が慌てて距離を離した。
橘も逃げるように離れ、遅れた西住はもらいゲロを吐きながらも、なんとか歩こうとしている。
最悪なのは摩可広だ。突然うんこまみれになって、吐いて、生きた心地もしなかった。
「おまっ━━弁当とかどーすんだよてめぇ、マジでよぉーっ! バッテリーとか全部、買って返せよこの野郎。クソくせーのなんて、もう使えねーだろがよぉ!」
なにを言われても、今の摩可広には聞こえなかった。聞こえてはいるが、耳を通りすぎてしまう。うえっぐ、えっぐと嗚咽を洩らし、涙と鼻水と吐瀉物とでわずかに流れた汚れをそのままに、立ち尽くすことしかできなかった。
「やめた。マリオ、ミロク、帰っぞ。摩可広、てめーは宝くじ見つけるまで帰ってくんな。弁償代見つけるまで探せよ」
言い置いて、悪魔のような少年は去った。橘も西住も、摩可広のことなどどーでもいい。とにかく、まずは自分が優先されるのだ。思いやりというものを、彼らは知らなかった。
取り残されたうんこ人間・摩可広は涙と鼻水と吐瀉物まみれのまま、地面に座った。体育座りで。もう、死にたいと思ったから。生きていたくないと思ったから。こんなうんこまみれになって、取り残されて━━死ぬ以外に逃げ場がないことがわかっていたから。
そんなふうに死を思った摩可広が、ふと自分の足を見ると━━うんこまみれの靴の上に、うんこの塊が乗っかっていた。
それを、なんとなくうんこまみれの手で崩してみたら、中からカードみたいな何かが出てきた。
うんこまみれの手で、それでもどうにか汚れを取って見てみたら、それは猪狩たちに探せと言われた、まさにそのお宝だった。
ラミネート加工された、現金の小切手。
額面は━━十億円だった。
十億円だった!
㊤㊤㊦㊦㊧㊨㊧㊨㊥㊥
うんこまみれのまま帰宅した摩可広は両親にすべてを打ち明けて、さらに十億円の小切手を渡し、翌日すぐに一家全員で引っ越しのための準備をはじめたのだった。
うえーい。うえーい。うえーい。
いひっ、いひひっ!
あん?
んだよ?
こっち見んなよ?
人間ごときが、我を見るなど烏滸がましいわ!
なんつって、現場からは以上でーすっ!
げへっ、げへへっ!