2-10 君にはやっぱり笑顔が似合う
「あ、お鍋!!」
ジュワッという音にがばっと顔を上げた花は、俺を押しのけてコンロへと体を向け、ゴボゴボとあふれながら沸騰する鍋に慌てながら火を消している。
「あー……大丈夫か?」
大丈夫……と言いかけた花は、ふと俺を見上げ、頬を染めて顔を背けた。
「透君が変な勘違いするからいけないんだからね!」
怒った素振りで動揺をごまかす様子に、思わず、ははっと笑いがこみ上げる。そんな俺にムッとした花が物言いたげな目をしてにらんでくる。
「……結婚前提は、重いか?」
いい気分だ。浮かれて舞い上がりそうなほど気分がいい。
文句のありそうな顔を幸せな気分で見つめ返せば、真っ赤な顔の花がふいっと顔をそらす。
「花」
わずかなためらいの後、花が顔を上げた。
「重くないよ。……重くないけど、早い……と、思う」
「早い?」
「……だって、付き合ってもないんだもん」
真っ赤な顔が、すねたような声を漏らす。
「デートもしたし、手もつないでたし、好きだと何度も言ったろ? 付き合ってたのと大差ない」
「気持ちの問題だよ!!」
「俺の気持ちは、変わってない。……花は、変わってくれた?」
「……変わったけど、変わってない」
とがらせた唇がかわいくて「そうだ、もう自制しなくてもいいんだ」と思い至り、触れるだけのキスをする。
「……な!!」
驚いた子猫を思わせる仕草で飛び退こうとするから、とっさに腕の中に囲い込んだ。
抱き寄せる形で、俺の胸に飛び込んでくる体になった花は、とっさに俺の胸元の服をつかみ、ふるふると震えている。
「透君!!」
抗議の声は、それでも拒絶する色はない。
「何が変わって、何が変わってないんだ?」
「透君、ごまかしてるでしょ」
「ごまかしたつもりはないけどな。ようやく恋人になったかわいい彼女が口をとがらしてるんだ。たまらなくなってキスぐらいするのは当然だろ?」
真っ赤な顔をして怒ったような困ったような顔をしてぼそっと怒る花に、俺はあたかも当然のようにうそぶく。
「……そんな当然なんて、知らないもん」
「これから当然になるから、覚えておけよ」
腕の中にとらえたまま、耳元にささやく。もちろん花のかわいい反応を期待してだ。
耳たぶにかするように触れた唇は、彼女の耳の熱さを伝えてくる。
びくんと震えた花が逃げようと腕を突っぱねた。
誰が逃がすかよ。
花の背中で組んだ俺の両手にかかる、彼女の重み。力一杯だけれど、全力とは違う。逃げているけど、拒絶とも違う。
逃げようとする彼女を更に抱き寄せた。
「花。これからは、恋人らしいこと、いっぱいしよう。いままでどおり時間が許す限り二人ですごそう。二人の時間を重ねていこう。……それは、ほんの少しだけ、していいことが増えるだけで、きっと今までと変わらない。俺は、今までもこれからも、この付き合いの延長線上に結婚があって、二人で過ごす未来があるっていう感覚は変わらないと思っている」
逃げようともがいていた花の腕の力が、抜けた。
「……それでも、そこまでを望むのが花にとって早いというのなら、待つよ」
花はうつむいたままだ。腕の中から逃すつもりはなかったけれど、ほんの少し抱き寄せる力を抜けば、突っぱねていた彼女の腕は俺の胸元から離れる。
代わりに、花がしがみつくようにぽふんと抱きついてきた。
「透君は、ずるい!」
「じゃあ、そのずるさに流されろよ」
「流されまくってるよ!!」
花がぎゅうぎゅうとしがみついてくる。それに応えるように抱きしめれば、笑いがこみ上げてくる。
「それはよかった」
俺が笑うと、
「全然よくないと思うの!」
と、抗議の声が上がる。そんな様子一つ一つがかわいくて、あほみたいにテンションが上がる。浮かれていた。
「ほら、流されついでに、結婚前提にうなずいとけよ」
「……うん」
俺のからかいに、予想外の爆弾が落とされ、浮かれきっていた俺の頭に血が上る。
そっと腕を放す。花は逃げない。それを確かめてから両方の手で包み込むように花の頬に触れる。彼女を見つめていると、こみ上げてくる喜びに胸が熱くなる。
コツン、と額を合わせた。
「……すっげぇ、うれしい。花、ありがとう」
額を離すと、くすぐったそうに花が頬を俺の手のひらにすり寄せてくる。
「透君、大好き」
そう言って、花が笑った。
それは俺が何よりも可愛いと思う、花の笑顔だった。
以前はずっと向けられていた笑顔だ。好きという言葉と共に、俺にずっと向けられていた笑顔だった。
ようやく、取り戻したのだ。
「……何?」
じっと見つめ過ぎていたのか、居心地悪そうに花がもじもじする。
俺は言葉を失っていた自分をごまかすように、肩をすくめて、何でもないように見せかける。
「いや。君にはやっぱり笑顔が似合うな、と思って?」
一瞬で花の顔が真っ赤になった。
その様子に、ほんの少しだけ余裕が戻ってくる。花の前ではかっこつけて余裕のある大人の素振りをしたい。振り回されているのは自分だなんてばれたくない。
そんな気持ちを隠してニヤニヤしながら見ていると、口をとがらせた花が言った。
「じゃ、じゃあ、私が笑顔でいられるように、……透君、してね?」
真っ直ぐこちらを見ることが出来ないのか、上目遣いで、顔を真っ赤にさせて顔をのぞき込まれて。
「そうだな、全力でがんばらせてもらう」
たまらず花を抱きしめて、その首筋に自分の熱くなった顔を埋めた。
大人の余裕を見せようたって、結局振り回されるのは俺なんだと、思い知らされながら。




