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2-8 君には俺を縛る権利がある

 珍しくうちを尋ねてきていた叔母を送っていると「悪いわね」と頭を撫でられた。年の近い叔母は未だに俺を子供扱いする。振り払うのもばからしくて苦笑いしながら花を駅まで迎えに行くついでだと説明すれば、叔母がにやりと笑った。

「へぇ、それって、透君にとってただの近所の子?」

 からかうそぶりに、俺は小さく肩をすくめた。

「まさか。口説いている最中」

「ヤダ、いっちょ前じゃないの」

 大げさに驚いたそぶりで更にからかってくる叔母にさすがに俺もそのからかいは子供じみてると呆れる。

「いっちょ前って、俺もう三十近いんだけど」

「ちょっと、まだ二十代のくせに四十越えた私に年の事言わないでくれる?」

 カラカラと笑う叔母は近くで見ても四十を超えているようには見えない。服装も年齢を問わない物でスタイルも悪くない物だから、遠目に見ると俺とそう年も変わらないように見えるかもしれない。

 叔母と一緒にいるところを花が見れば少しは焼いてくれるだろうか、などと考えるあたり、俺も相当追い詰められた感がある。想像以上に花のガードが堅い。嫉妬のひとつもしてもらえれば、見込みはあるのだが。けれど相手は四十代の叔母だ。なんだかんだ言ってもあからさまに年上。さすがにそれはないかと内心苦笑した。


 さすがにそれはない、と思ったのだが、叔母を近くで見ることのなかった花は、そうではなかったらしい。

「じゃあ、若いお嬢さん相手に、頑張りなさいね」

 なんてからかいながら撫でるように髪に触れてくる叔母に、苦笑いしながらはいはいと流し、叔母の荷物を持っていくのを手伝い駅に入ろうとした時だ。

 女性の影が目の端に映る。

 え……?

 花が、俺を探すそぶりすらなく、駅を立ち去ろうとしていた。慌てて叔母を呼ぶと、花が一人で帰ろうとしていることを手早く説明し、改札まで荷物を運べないことを謝ってから、車に乗り込んだ。

「頑張ってね」とにやりと笑われたが、余計なお世話だ。

 ロータリーを周り、信号でつかまった末、ようやく花を捕まえたのは数分後。

 むっつりとした表情がひどくかわいく見えたのは、期待のせいか。

 花が俺と叔母を見て嫉妬したようだというのを感じ取り、顔がだらしなく緩んだ。

「俺を自惚れさせてどうするの」

 嫉妬する花は、少し目を赤くして潤ませ、きゅっと口を結んでいる。子供じみた表情なのに、なぜかひどくなまめかしく見えて、触れたい衝動に駆られる。

「……そんなんじゃ、ないもん」

 花は小さくつぶやいたきり、また黙り込んだ。

 本当に、手強い。

 苦笑が漏れる。俺のことは嫌いじゃないはずなのに、未だに隠しきれない好意が彼女から滲んでいるというのに、花は俺に落ちてこようとはしない。

 その様子はとてもかわいくて、とてもじれったい。

「花、ちょっと、ドライブしようか」

 車の進行方向を家とは別の方向に向ける。

「え……」

 戸惑いを顔に張り付かせて花が顔を上げた。運転しながら、ちらりと目をやってから、当然のようにこの後の予定を伝える。

「大丈夫、おばさんには言ってあるから。食事に連れて行くって」

「な……!」

「なんか用事があるならいって。付き合うから」

 勝手に決められた怒りだろうか、睨み付けてくる花に気付いていたが、知らぬふりをして前を見たまま運転を続ける。

「花、俺は本気だよ。生半可な覚悟で、親同士の付き合いのある近所の子を口説いたりはしない」

「……透君が、私を好きだなんて、信じられない」

 俺の気持ちを即座に否定するのは、ここ数日何度も繰り返してきたやりとりだ。自業自得とは言え、地味に辛い。もっというなら、同じ事を花にしてきた身としては、あまり強く言い返せないのが更に辛いところだ。

「誠意になるかどうかは分からないけど、花が高三の頃から今まで、彼女は作ってない。俺が花を意識し始めてからは、花だけを見ている。花ほどじゃないけど、結構一途だと思うんだけどな」

 少しでも本気が伝われば良いと思っていった言葉だった。予想通り花が驚いた声を上げる。

「高、三……?」

「うん。花が可能性があるかって聞いてきたときには、もう、結構意識してたよ」

 押せるか、と思ったとき、花が低く叫んだ。

「じゃあ、なんであのとき……!」

 ああ、失敗した。

 期待が憂鬱さと取って代わる。怒った花を横目に、言うんじゃなかったと後悔したがもう遅い。動揺していたのだろう、俺は怒った花を押さえたくて、とっさに言わなくていいことまで口にしていた。

「言えるわけないだろ。花は子供だった。手を出せるわけがない。それにお前、俺以外の人に目を向けたことすらなかっただろ。本当に俺が好きかどうかも危うかった」

 言った直後、火に油を注いだ、と思ったが、怒りにまかせた様子で返ってきた言葉に、心臓がはねた。

「何それ…!! 本気だったよ!! 私は! 今でも忘れられなくて……!!」

 その言葉に目を向ける。まだ、好きでいてくれたというのか。怒ってはいるが、嫌われてはいないと思っていた。好意が残っているのも感じていた。でもそうじゃなくて、気持ちそのものが、まだ変わってないと花は言うのだろうか。

 花は自分の言った言葉に気付いたのか、口をつぐんでしまった。

 どくどくと心臓が胸を打つ。

 花が、今も、俺を……。

 車内で聞こえる音は車が町中を走り抜けてゆく音だけだ。

 ゴクリと息をのむ音が、耳の奥で大きく響く。俺は緊張していた。

「……悪かった。あのとき、たぶん俺も不安だったんだと思う。お前の世界はまだ本当に狭くて、おまえを俺の元に引き留めておける自信がなかったんじゃないかと、今は思う。あのときの花の気持ちを疑うわけじゃない。ただ、その狭すぎる世界の中で、一番が俺だっただけかもしれない。花の盲目さが、たぶん、俺は怖かったんだ。だからいちど俺以外に目を向けて欲しかった。その上で、俺を選んでもらいたかった」

 勝手な言い分だと、自分でも思う。花がこれをきいてどう思うかも分からない。いっそ何も言わず付け入ってごまかしてしまおうかともちらりと考えた。

 好きな気持ちがまだ俺にあるというのなら、きっとそれはたやすい。けれど、以前のような開けっぴろげな好意は、向けてもらえなくなるだろう。

 大人に足をつっこんだ花があの頃のままなはずはないが、それでもまっすぐな心根のままの好意を自ら摘み取るような真似をしたくはなかった。

 俺の自分勝手な言い分を聞いた花が、語尾を震わせながら叫ぶ。

「…そんなの! 不安なのはこっちの方が大きいのに!! いつもふられるばっかりだった私の方が辛かった!! 透君は卑怯だよ!! 自分ばっかりずるい!」

 花の訴えを聞きながら、道路脇に車を止めた。そして花に視線を向ければ、唇を震わせながら俺を睨み付けていた。

「……そうだな、その通りだ」

 それでもあきらめる気はない。

 殊勝な顔をして頷きながらも、まだ想われているという自信を得たせいか、花が怒っている様子すらかわいいと思える余裕があった。

「じゃあ……俺と、付き合う気にはなれない?」

 花に責められて苦しくないわけじゃない。花を傷付けたことを悔いていないわけでもない。切なくて、愛おしくて、だからこそ落ちてこない花を追い詰める言葉を口にした。

 俺の存在を、本気で閉め出したいわけじゃないだろう、と。

 花は、まるで死刑宣告でも受けたように目を見開いて、そして唇をかみしめ、……そうして彼女は、今にも泣きそうな顔で小さく頷いた。

「……透君の言葉、信用、出来ない……」

 小さな呟きは、俺の胸をえぐるように突き刺さった。

 予想とは違う、か弱いけれど、確かな拒絶だった。

 期待していた分、それは思った以上のダメージで、一瞬頭の中が真っ白になる。二人の間に落ちた沈黙に、何か言葉を繋げようと必死に頭を働かそうとするが、言葉が出てこない。

 混乱と動揺で落ち着かない自分を諫めるように、一つ、大きな息を吐く。

 俺の大きなため息に、花がびくりと肩をふるわせた。

 違う、大丈夫だよ、花、怒ってない。

 怯えた彼女の様子に、少しだけ理性が戻ってくる。

 さっきの言葉を言わせたのは、俺だ。俺が取り戻すしかないことなのだ。

 緊張に渇いた咽を潤すように、なけなしの唾液を飲み込んだ。

「……花の、信用を取り戻せるように、頑張るよ」

 ことさら、穏やかに聞こえるように、ゆっくりと言葉を選ぶ。

 けれど、花は何度も首を横に振る。

「……信用、出来る気がしない」

 泣きそうな声だった。

 その言葉を言うだけで辛いのに、それでも言わずにいられない言葉なのだろう。

 信用したくても、出来ない、そう言われたようだった。

 あの頃どれだけ花を傷付けていたのかを、今更になって知る。

 でも、花の気持ちは分かった。

 だからといって俺はあきらめる気もない。そんな中途半端な覚悟で口説いているつもりもないし、その程度であきらめられるなら、とっくにあきらめている。

 だったらやることはひとつしかない。

「無理に信用しなくてもいい。許せないって怒っても良いし、罵ってもいい。そのくらいじゃ、あきらめないから」

 そうだ。あきらめてなんかやらない。俺が身を引けば、花は今まで俺から離れていたように、それなりに忘れていくだろう。お互いへの気持ちに引っかかりを残したまま。

 傷付け合わないように別の道を進むこともまた、ひとつの選択肢だろう。けれど俺はそれを選ぶつもりはない。

「……なんで……」

 苦しそうな呟きに、俺は花の小さな手を取った。小さくても、もう子供の手ではない。でも、もっと小さかったときから、この手は俺に伸ばされていた。手をいっぱいに広げて愛情を示してくれていた。

「花が、高三のあのときまで、俺にいっぱい与えてくれてた物があるから。あのとき、俺はもらうばっかりだったしな。花は俺に何をしたっていい。俺は花を口説くけど、花が俺を選ぶかどうかは、花の自由だ」

 俺は愛情を向けてくれていた花を気まぐれにかわいがるばかりで、それに値する物なんて何も返すことが出来ていなかった。あれだけ一途に慕ってくれた記憶があるから、待つ事なんてたいしたことじゃない。例え、最終的にふられたとしても、無駄じゃない。それだけの物を俺はもらっているのだから。

「そんな事言って、どうせ透君は、私なんかよりきれいな大人の女の人を選ぶくせに……!」

「選ばない。花が俺以外の誰かと結婚しない限り、俺は、花以外を選ばない」

 花の不安がぶつけられる度に、俺が花につけてしまった傷を知る。

「そんなわけない!!私、透君にひどいことしかいってないもん!たぶんこれからも言ってしまうもの! そんなのにいつまでも付き合ってられるわけないよ!」

 俺よりも花の方が辛そうな顔をしていた。

 そんなに傷つかなくていい。

 彼女の不安を受け止めたくて、できる限り落ち着いた様子で頷く。

「良いよ。それで花の気が済むなら、それでいい。花は、好きにしていい。俺が、花を好きなだけだから。花が怒ってても俺は勝手に花をくどくし、お互い様だ」

「意味わかんないよ!!」

 泣くなよ。泣かせたいわけじゃないんだ。

 きっともう、感情が抑えられなくなっているのだろう。癇癪じみた叫び声が、胸にいたい。

 涙のにじんだ目もとを指先でぬぐい、ほほえみかける。

「花は、俺を好きでいてくれたんだろ? だから、花が俺を信用出来るようになるまで待つよ」

「出来るわけ、ないよ……」

「どうして?」

「透君の周りには、ずっと、私が太刀打ち出来ないような人ばっかりいるじゃない」

「いない」

「いるよ!! だって透君はずっと私以外の人を選んできたんだよ! ずっと好きって言ってた私なんて取り合いもしないで!」

 それを言われると辛いが、さすがに、当時俺が花を恋愛の対象に見ていたら、それはそれで問題が……。

「……それは、年が離れすぎていたから……」

「そんなの分かってる! あの頃透君が私を選べるわけがなかったなんてのは分かってる。でも、その人達に敵わなかった事実は変わらない。あんな大人だったらってずっと透君の彼女が羨ましかった。今だって、学生と社会人ってだけでも超えられない差を感じる。敵わないって思ってしまう。私なんか選ぶわけないって言う気持ちは消えない! 透君が好きって言ってくれても、続く気がしない! 付き合っても、透君のそばに大人の女性がいたら負けてると思うし、透君が違うっていっても、私は不安になるし、どうせって思うに決まってる! 敵うわけないっていっつも、いっつも……っ」

「じゃあ、花。俺を、縛ってよ」

 言葉のつまった花に向けた唐突な言葉に、彼女が眉をひそめた。

「俺を、花で縛れよ。君には俺を縛る権利がある。全力で束縛してみろよ」

「なに、いって……っ」

「本気だぞ。……そうだな。誰と何をしていたとか、あれは誰だとか、逐一聞いても良いし、なんならスマホも好きにさわっていい。いっそのこと、追跡アプリでも入れてみるか?」

 真剣に言ってしまえば相当やばいヤツな気がするから軽く言っているが、正真正銘本気だった。その程度で花が俺を信用しても良いかもという気持ちに傾くのなら上等だ。花の言動が常識を逸するとは思えないし、戸惑ったり遠慮しながら俺の様子を尋ねてくる様子を想像すれば、それはそれでアリだ。花の嫉妬なんて、かわいい物だ。

 とりあえずポケットからスマホを取り出して、ほら、と差し出す。

「……は? ……え?」

「納得いかないときは聞いてくれればちゃんと答えるし」

 花は呆然とスマホを受け取りかけて、触れたとたん、我に返ったように手を止めた。

「……いい」

「不安なんだろ?」

「いい……!! そんなことしても、疑えばきりなんてないもの! 一回見たら、際限なく見ないと不安になってしまう! もしかしたら他にもって、パソコンだってのぞきたくなるに決まってる! そんなんで安心しても、信用してるなんて言えない! 私が言いたいのは、そういうことじゃない!!」

 叫んだ後、興奮状態のせいか、花のからだが小刻みに震える。そして、ぼろぼろと涙をこぼし始めた。

 そんなつもりはなかった。ただ、信用する足がかりのひとつになれば良いとおもって言っただけだったが、逆に花を傷付けたようだった。

 震えながら涙をこぼす花を、抱き寄せた。頭を胸に押しつけて、もう片方の手で背中をぽんぽんとなだめるように叩く。

 何が正しいのか分からなくなってくる。花には振り回されっぱなしだ。けれどそのためにあたふたするのは、決して嫌ではないところが恐ろしい。

 きっと、どれだけ花に拒まれても、俺はあきらめられないのだろう。

 困惑と焦燥感と不安とにさいなまされながら、花の気持ちが浮上すれば良いと願って、何でもないことのように話を続ける。

「じゃあ、俺が「俺は花のだ」って主張しようか。花が俺を信用出来るようになるまで。それで花も主張しろよ。俺はお前のだって束縛しろ。俺を吹っ切ったときは捨てれば良い。気をつかうことはない。三年前、俺がやったことだ。無理に付き合おうとは言わねぇよ。お前は俺を縛り付けたまんま、俺を吹っ切ろうと無視するなり逃げるなり好きなようにしろ。逃げながら「よそ見するな」って俺に怒鳴りつける権利をくれてやるから。俺を突き放しながら「透君は私の」って主張してろ」

 軽い口調でそう言うと、腕の中でふっと笑う吐息が聞こえた。花の肩の力が抜ける。

「なに、それ。そんなのしたら、私、最低じゃない……」

 表情を緩ませながらも唇をとがらせて抗議してくる。

 その様子にホッとする。花の傷ついた様子を見るのは、苦手だった。

 その勢いに乗って彼女の気持ちを浮上させるように会話を続ける。

「そうか? ツンデレっぽくて可愛いだろ?」

「私、ツンデレじゃないもん」

「今の花は、ツンデレっぽくてかわいいけどな」

 花はむっと口をとがらせて黙り込んだ。

「信用されるまで待つし、花がよそ見できないぐらい口説き続けるし。今はまだ、答えは求めないから。信用もしなくていい。無視するなり、逃げるなり、ほだされるなり、お前は好きにしろ。けど、俺はあきらめないからな」

 覚悟しとけよ。

 耳もとでささやけば、バッと耳を押さえた花が真っ赤になって睨み付けてくる。

 まだまだ、前途多難だ。

 俺は笑った。とりあえず花も休戦してくれたようで、少しだけ笑って応える。

 春休みがまもなく終わろうとしていた。

 花は相変わらず俺に手厳しい。

 まだ頑なな花を、遠距離で口説きはじめる苦労は、まだまだこれから。


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