1-8 子どものころの約束は今も有効?
春休み、私は実家に帰ってきていた。最後に透君と言葉を交わしてから、三年が経っていた。
透君のことを忘れるのはとても難しかった。
無理矢理あきらめようとがんばった時もあった。けど、そもそも無理矢理あきらめるったって、どうしようもないよねって気付いてからは、あんまり無理に「考えないようにしよう」とかするのはやめることにした。
そのうちだんだんと透君のことを考えることは少なくなって、いないことにも慣れた。
二十歳を過ぎてから一度だけ男の人と付き合ったことがある。友達の紹介だった。何となくで付き合えないよって断ったけど、それはお互い様だから、知り合っていけば良いじゃないと言われて。
話しやすい人で、私がこの人良いなって思うのと同じように、彼もそう感じてくれてたようだった。
でも、好きとは違う。異性への好意は同性に対する物とは違ったけれど、でも、私は透君を忘れ切れていなかった。
私、好きな人いるよ。っていった。良いの?って。良いよって彼が笑った。
男女の付き合いって、そんなに軽い物なのかって思うと、なんだか切なかった。
私は、「付き合う」って言うのは、好きな気持ちが重なってじゃないと、意味がないように感じていたのだと、後になって気付いた。
でも世の中お見合い結婚なんていうのもあるし、こういうのもあるのかもしれないと思い直して、私は彼と付き合うことにした。
手をつなぐことまではどきどきしたし、彼と一緒に過ごすのは楽しかった。同性と遊ぶのとは違う満足感があった。「とりあえず付き合う」事の需要がなぜあるのか分かった気がした。その先に恋になることもあるのだろうと思った。だからこのまま好きになれるかもって期待してた。
なのに付き合いを重ねてもどきどきしても、キスしようとした時、とたんに怖くなるなんて。
思い出すことすらほとんどなくなっていた透君が頭をよぎった。透君を思い浮かべて彼の元に逃げ出したいと思った。そんな自分に驚いて、何とか振り切ろうとしたけれど、「もう少し待って」と、彼にとどまってもらうことでその場はやり過ごした。
頑張ってキスまではした。違和感となぜキスをするのか分からないという感情しかわかなかった。キスに何の意味があるのかすら分からなかった。
私は、彼に触れたいという気持ちを感じていなかったのだろう。
キスも逃げ気味、その先のことはどうしても無理で何度も待ってもらうことを繰り返す日々を過ごすうちに、彼の方がいらついた様子で別れを切り出してきた。
「ごめん」
そう謝った私に「分かってたことだし、良いよ」と、ため息交じりの返事が返された。
優しい人だった。恋愛感情とは少し違ったけど、確かに好意を持っていた。きっと彼もそうだったのだろうと思う。
でも、たとえそんなにお互い好きとか言うわけじゃなくても、仮にも付き合っている女が他の男を忘れられないのを知っていて、その上関係を深めるのを拒むのだから、それは面白くないのは当たり前だ。
いらついた態度こそ取られたけど、私をなじることすらせず、無理に関係を深めようともせず、簡単な言葉で終わらせてくれた彼には、どう謝ればよかったのか今でもよく分からない。
私の恋愛は、未だに透君から抜け出せずにいる。
会ってないせいか、以前みたいに好きで好きでたまらない!! っていうわけでもないんだけれども、でも、つまり、今でも私は透君を忘れてないって事だ。
だって、透君とキスするのを考えただけでどきどきする。意味わかんないとか思わない。触れたくてたまらない。私に触れていた透君の指先が唇になったら、きっと私はすごい幸せ。
二十一も過ぎたのに。小学生の頃から数えても、はや十五年の片思いだ。
小さいときには「とおる君のおよめさんになる」とか言ってたこともある。透君が適当にはいはいって流したから、何度も約束を取り付けた。本気で頷いたわけじゃないのは、私も、分かってたけれど。
そんな小さい頃から変わってないとか。
成長がないみたいで、切なすぎる。
このまま忘れられなかったらどうしようかな。
なんて考えるぐらいには、ちょっとヤバイ。
透君以外キスもイヤって、私の人生潤いがなさ過ぎる。透君のお嫁さんどころか、お嫁さん自体が危うい。
こうして実家にいると、すぐ近所の透君はどうしているかと気になってしまうせいか、どうしても透君のことを考えることが増えてしまう。
ごちゃごちゃ考えないように、地元の友達に久しぶりに連絡でも取ってみようかな。
とか思いながら、実家ですっかりだらけてしまっている体は動かない。
そんな私に動けとでも言うように、ピンポーンと来客を知らせる音がした。
今家にいるのは私一人。
「はーい」
めんどくささにため息をつきながら、何も考えずにドアを開けた。
「よう」
訪ねてきたその人は、柔らかく微笑んで親しげな挨拶を私に向けた。
記憶の中より大人っぽく見える。記憶の中より表情が柔らかい。でも、耳に馴染むぐらい、懐かしい声。
そこには、忘れたくて忘れられない人がいた。
「久しぶり」
そう言ったその人は、いつまで見つめてても今まで見たことないような、とても柔らかな笑みを浮かべたまま私を見ていた。久しぶりに近くで見たから、変なフィルターがかかっているのかな、なんて思いながら呆然と見上げる。
「……とおる、くん……」
口の中がからからになった。
「ねぇ、花」
名前を呼ばれて、胸が苦しくなる。ずっとずっと、この声で、こうやって名前を呼ばれたかった。何度も何度も、最後の別れの時を思い出して、頭の中で透君が私の名前を呼ぶのを繰り返した。
まだ、こんなに、好きで……。
うれしくて、かなしくて、せつない。
好きで、好きで、たまらなくて。
忘れなきゃいけないのに、忘れられなくて。
「か、家族、誰もいなくて、だから、用があるなら、また後にし……」
「花に会いに来たんだ」
追い出そうとした私の言葉を、透君が遮った。
私に? なんで?
会わないようにしてたのに。透君も知ってるはずなのに。
私のすぐ目の前で、とても真剣な顔をした透君がいる。
私に会って、どうする気なんだろう。
透君の真剣な顔が怖い。胸が、どくどくと音を立てた。
「花、彼氏、いる?」
突然の質問に、思わずバカみたいに素直に首を横に振って応えてしまった。透君の真剣な顔が、ふわっと緩んだ。
「……きれいになったな」
まぶそうに目を細めて、そして透君は、私に向けて思いがけないことを聞いてきた。
「ねぇ、花? 子どものころの約束は今も有効?」




