1-7 あなたがしあわせでいてくれるなら、それでいい
大学に受かった。大学は県外だったため、私は実家を出て一人暮らしをする。
あれから透君とは言葉を交わしたことはない。たまに見かけるけれど、全力で逃げてる。時には透君がこっちに気が付いていて、私をじっと見ていたりすることがあるけど、何考えているのか分からない。なんで今更って思いながら、私は逃げた。
透君を避けることに力を尽くして、考えないために勉強に打ち込んで、秋も冬もあっという間に過ぎた。
なのに、半年経っても忘れられない。
おばさんにはお世話になったから、透君のいないときに挨拶に行けば、「寂しいわねぇ」って言ってくれた。私も寂しい。何もかもが、寂しかった。
ずっとずっと透君が好きで、好きなのが当たり前すぎて、忘れかたが分からない。遠目に見つけただけで嬉しくなる気持ちは消えなくて、それに背を向ける度に胸の奥が苦しくなる。
忘れなきゃ、忘れなきゃって思う分だけ、透君で占められてゆく。
受験が終わった後の高校生活なんて、考える時間がいっぱいありすぎだ。失恋の重さが嫌というほどのしかかってくる。時間が経つごとに苦しさが増して、「時間が忘れさせてくれる」なんて嘘だって先人達に文句を言う。
そんな毎日が過ぎていって、途中から卒業式とか別れる友達と遊んだりとか、部屋探しとかで慌ただしさが増しくる。気がつけば、引っ越し日は目前になっていた。
引っ越しは業者に頼むことなく家族で済ませることにして、大きな荷物は向こうでそろえて、後は日用品を家から持っていくだけだ。
たいしたことはないと思っていたけれど、何を持っていくかで意外とばたばたするし、荷物も意外と多い。
慌ただしく荷物を車に運び込んでいるときだった。
透君が、そこにいた。
私の方をじっと見つめてくる。
なんでよ。ふったのは透君のくせに。今更どうして何か言いたそうな顔して私を見るの。
苦しい。嬉しくて、嬉しくて、苦しい。
駆け寄りたいのをこらえて顔を背けた。なのに。
「花」
いつものように、透君がそう呼ぶから。
交わした言葉は、そう多くない。
でも、とてもとてもひどいことを言われた。
可能性はないって言ったくせに。
今更透君は私を子供でないだなんて期待させることを言う。期待したくないのに、透君が優しくて、だから苦しくなる。
忘れさせてもくれないつもりなんだろうか。
好きな気持ちは止まらなくて、苦しくてたまらない。でも頭をぐりぐりと撫でるその仕草は、以前と変わらない子供扱いのままで。
期待と絶望が入り交じる。
どちらにしろ私はここを離れる。もう、透君を追いかけることも出来ない距離に引っ越してゆく。
どうせ期待させるだけさせて、何も変わらないくせに。
別れの言葉を切り出せば、「いってらっしゃい」と、まるで帰ってくることを期待するような言葉を返されて。
透君は、とても優しい顔をして私を見つめていた。
でも「行ってきます」は言わなかった。
そのまま逃げるように背を向けて、私は引っ越しの準備に戻ってゆく。
透君の気持ちが分からない。
どうしてそんなことを言うの。どうして期待させるの。どうせ、そんな気なんてないくせに。
あきらめるって決めたんだから。
でも、心の中にさっきの透君の笑顔が刻みつけられる。
ああ、やっぱり好きだなって思ってしまう。
でも、それも全部、思い出にしなくちゃね。
それだけで良いって、思わなくっちゃね。
あの笑顔が、これから先私だけに向けられることはないのは分かっている。そのうちまた出来る透君の彼女の物になってしまうのだろう。そのまま結婚なんてしちゃったりしてね。
想像すると、イヤだなぁって、じわっと胸がずうんと重くなる。
でも、あなたがしあわせでいてくれるなら、それでいいよ。
透君の笑顔を思い浮かべながら、強がって、そんなことを思ってみる。
でも、透君が新しい彼女と一緒にいる所なんて、今はまだ見たくない。
県外の本命に受かったのは、きっと、とても幸運なこと。
失恋を確定させられる出来事を、直接に見ることはないから。離れていれば、ほんの少しだけでも、苦しい気持ちをごまかせられると思うから。
引っ越しの準備が終わる。運び終えた荷物たっぷりの車に乗り込んで、家を出発する。
車の振動とエンジン音を聞きながら家が離れてゆく。それを窓の向こうに見つめながら、私は透君の近所の女の子じゃなくなったんだと、じんわりと感じていた。




