2-7 誓いは胸に、想いは言葉に
花が大学に合格したと母づたいに知った。県外の大学だそうだ。家を出て一人暮らしをするのだという。
「ほんとに会えなくなっちゃうわねぇ」
と、母が寂しそうにつぶやいて、ちらりと俺を見てからため息をついた。
知るか。
母がどう感じていようが関係ない。
花への気持ちは、自覚した。でも、今でもあの対応が最善だったと思っている。大学生になった花なら、手を出しても良いんじゃないかという思いもある。
でも、あのときは拒絶するのが一番だったと思うし、今更手の平を返したような態度なんか出来るか、というばかばかしい意地もある。
何より、花は、一度俺から離れて周りを見渡すべきだ、というのが、理性的なところで考えた、俺の意思だ。感情に負けているわけにはいかない。
俺は、花が好きだ。今まで見てきた保護者的な気持ちも含めて、けれど女の子として、全ての感情をひっくるめて、とても大切だと思う。
自覚してしまえば、必然的に、俺がどうするかは決まった。
花が自立するのを待とう。
彼女が外へ目を向けて俺にこだわるのをやめて、その時、もう一度俺を見てもらいたい。
近所にいた、ずっと好きだった透君のまま、その延長にいたくない。その立場は、きっと俺自身を追い詰めるから。
言い訳だ。花を手放す事への、自分に言い聞かせるための言い訳に過ぎない。まだ、俺自身も逃げているのだろう。「十八才の未成年、近所の子供」という存在は、気軽に付き合うにはとても重すぎた。軽々しく付き合ったり別れたりするには、人間関係も入り組んでいる。
でも、いつか、花が子供の枠から外れた、その時は……。
三月も終わりに近づいた頃、引っ越しでばたばたしている花と偶然であった。
「花」
顔を背けて無視しようとした彼女に俺は呼びかける。
ゆっくりと彼女が振り返った。
作業中の、動きやすいラフな格好だ。けれどそんな姿も可愛いと思う。それは、今すぐに抱きしめたいと思うほど。自分の気持ちを認めてしまえば、花はどこを見ても子供じゃなくて、立派に魅力的な女性だった。
「一人暮らしだそうだな」
歩み寄って声をかけると、目をそらしたまま、小さく頷く。
「大変だろうが、気をつけろよ」
「子供じゃないから、大丈夫だもん」
「子供じゃない女だから、気をつけろと言っているんだ」
はっとしたように花が顔を上げる。
「……なんで、今頃そんなこと……」
泣きそうな花の頭をぐりぐりと撫でる。子供にするように。
少しぐらい保険をかけさせてくれ。完全に忘れられてもきついんだ。
花、大人はずるいんだよ。おまえみたいに、まっすぐに生きていないから。
俺のことを忘れろ。でも、少しだけ、棘みたいに気持ちが残っているように願う。俺を思い出す度におまえが苦しめば良いと願う。忘れても、いつまでも、心のどこかに俺のことが引っかかっているように、ふとした瞬間思い出してしまうように。
もう少し大人になったおまえと再会したとき、俺の存在を無視出来ないように。傷として残れば良い、甘い期待をわずかに残して、捨てきれない感情が未練として突き刺さったままでいるといい。
そんな感情はおくびにも出さず、微笑みで全てを隠す。
「じゃあな」
柔らかな花の髪から手を離す。
「透君」
花が俺を見上げた。
「さよなら」
短い決別の言葉が胸を刺した。
「……いってらっしゃい」
俺は、あえて帰ってくることを臭わす言葉を意図して選ぶ。
花の方が先に背を向けた。
早く大人になれ。小さな世界から飛び立ったんだから、広く周りを見つめろ。俺を忘れるのもいい、他の男と付き合うのもいいだろう。けれど、そんな花の成長して行く先に、また交わるときが来ればいいと、心から願う。
今度は、俺が待つ番だ。俺がふらふらしている間おまえが待ってくれたように、今度は俺がおまえの成長を待とう。
いつか再び道が重なることを信じて。
そうして、誓いは胸に、想いは言葉にして、いつか伝えられたら良いと思う。