2-5 そんなこと、言えるわけがない
「可能性なんかないって透君が言い切るのなら、私、透君のこと諦めるよ。そしたらもう、見かけても声もかけないし、透君もかけてこないで」
距離を置いた方が良い、とは思っていた。あまり会わないようにしていたが、それでも花は可愛いし、たまには顔も見たかった。けれどせっかく距離を置こうとしていても、たまに会えば花の最近のアピールはずいぶん積極的になってきていて、腕にすがりつかれれば胸の感触まで分かる始末。だから本格的に会わないようにした方が良いかもしれない、とは思っていた。
花が、ただ可愛いだけだと思えるうちに。
予感があった、このままなら、俺の方が引き返せなくなる。
けれど今はまだ可愛い妹だ。それ以上の感情はほとんどない。今ならまだ可愛いと思いながらも引き返せる。妹のように思える。だから、今のうちに。
七歳という年齢差は花が思うより、ずっと重い枷だ。花が未成年である以上、どうしようもない壁だ。つきあうだけなら少々ロリコンとからかわれるだけですむだろう。けれど俺は好きな子に全く手を出さず健全につきあえるほど枯れてはいない。もっと年が近かったら問題なかった。けれど実際問題として未成年と成人の差は大きい。幼い頃から知っている分、尚更に、花を女の子としてみるということは、俺にとってハードルが高すぎるのだ。
けれど、つながりを切るほどの勇気もなかった。
最近の花は子供らしい幼さがずいぶんと薄れ、だんだん俺もほだされかけていた。花がこのまま俺を好きといって、年齢的にも問題なくなった頃になれば、付き合うのもアリかもしれない、と。とはいえ花が離れていくのならそれまでだ、とも思っていた。俺には花を引き留める権利はない。何より花は幼い頃からずっと俺にばかりなついていた。それが良いとは、どうしても思えない。理性的に考えれば、他に目を向けた方が良いのではないか、という気持ちの方が強い。花の感情はあまりにも盲目的すぎるのだ。付き合ってみたらがっかり、というパターンになりかねない。もちろん、花が俺に、だ。たぶん花は俺に対して夢を見すぎだ。
俺への思い込みが、花の世界を狭めている。
俺は別に、花でなくてもいい。今は花がどうしようもなく可愛く見えるが、妹分という欲目も少なからずある。花が俺じゃないといけないと示してくるほどに、俺の方にその感情はない。それでも認めたくはなかったが花に惹かれる感情は、確かにあった。だから手放しがたいとは思っている気持ちもある。それでも、花は一度、俺以外の男を見た方が良い。
それが最終的に俺の下した判断だ。それで俺を忘れるというのなら、離れて正解だという事になるだろう。俺がほんの少し、涙をのめば良いだけのことだ。花を奪われたら兄貴面して相手の男を精査はしてやりたいとは思うぐらいには悔しいだろうが。
だから、花が俺から離れるというのなら、俺は止めたらいけないのだろうと思う。
だから、可能性があるなんていう事実を、花が知る必要は、ない。
だから、花。だから……。
「……無理だ……」
他に、何が言えただろう。
泣き笑いの顔が俺に別れを告げた。
俺が困惑するほどにあっさりとした結末だった。きっと花は覚悟していたのだろう。
けれど俺の方が別れを信じ切れず、とっさに細い手首をつかむ。ごめんとむなしく響いた自分の声は、情けないほどに力なかった。
花が俺に背を向けた。
花は、もう何も言わなかった。
本当に、もう、声をかけてこないのだろうか。
実感がわかずに、ぼんやりとその背中を見つめた。
これでいい。
小さな背中を見つめながら、そう自身に言い聞かせる。
寂しいのは少しの間だけだ。元々そんなに顔を合わせていたわけでもない。これまでと大差ない。花のために、これでいい。
泣き笑いの花の笑顔が頭から離れない。
胸が軋んだ。
手放したいわけじゃない、泣かせたいわけでもない。
あんな顔をさせるぐらいなら、行かなくていいといえば良かったのだろうか。可能性はあると、素直に言えば良かったのだろうか。
けれど花の一途さは、思い込みと紙一重だ。花の気持ちがもし思い込みだったとしたら。花は早々に俺に幻滅するだろう。でも花は、それをすぐに表に出すことは、きっとない。そうなれば後はお互いを苦しめるだけだ。
だから、これでいい。
だから可能性があるだなんて、そんなこと、言えるわけがない。
俺は自分の中に芽吹きはじめていた感情を踏みにじるようにして目を背ける。
今まで通りでいたいと願う気持ちは俺の身勝手さだ。花を大切に思うのなら、手放してあげないといけないのだ。
花が玄関の扉を開けた。その向こうに広がるのは開かれた世界だ。
俺に別れを告げた彼女が、外へと一歩を踏み出す。
そして外の世界は花を受け止めて、そして俺の目の前で、音を立てて扉が閉まる。
花を俺から切り離す、閉ざされた扉がそこにあった。
花は、俺を中心に回る世界から、飛び立った。