第一章 不登校少女との会合
「………はふぁあ~………」
授業終了を告げる鐘が鳴り響き、俺は露骨とも言える位に大きく口をあけて欠伸をした。
席に付いたまま大きく背伸びをして背中の筋肉をほぐした後、そのまま力尽きたようにぐで~っ、と机に倒れ伏す。
数秒の後、体は勿論、顔も動かさずに視線だけで教室を見渡してみる。
俺の目に入ってきたのは部活動へ向かおうとするスポーツマンな男子生徒や、友達ときゃらきゃらバカ騒ぎしている煌びやかな女子生徒達の姿。
「いいね~。思いっきり青春できるってさぁ」
なんとなしにそんな事を呟いてみた直後、うわ、すっげぇ年寄りくせぇ……と心の中で軽く後悔した。
頭をブンブンと横に振ってネガティブになりそうな思考を振り払うと、俺はそのまま鞄を持って立ち上がり、廊下に出る。
ここらで自己紹介しておくか。俺の名前は、桐生東介。家の近所の駅から三つ隣の駅の近くにあるこの高校まで電車通学している高校二年生。
成績は中の中。テストで言うと、赤点は取らないけど平均点を上回る事は決してない、と言った感じ。生まれつき身体能力が良い為、体育は得意だが、俺はサッカーや野球などの団体競技は勿論、陸上やテニスと言った個人競技を含めた、所謂『スポーツ』と言うものがどうしても肌に合わない性分のようで、毎度毎度「面倒臭い」としか感じられなかった。
所属している部活も無い。趣味……漫画、小説、映画鑑賞、ゲーム……う~ん、どれもいまいちピンと来ねぇな。強いて言うなら散歩、か?(ジジ臭いとか言わないでくれ頼むから)
放課後はだいたい家に直帰するかバイトに行くかの二択。たま~に友達とどこかに遊びに行くことがある、といった具合だな。
なに?どこにでもいる様な「普通」の男子高校生像でつまらないって?……まぁ、確かにそうだよな、そうだろうよ。
『そしてそれで良いんだ』
つまらなくて結構。少なくとも俺はその『普通』を目指して今まで努力してきたんだし。
と、俺がそそくさと下校しようと下駄箱まであと数メートルの所までやって来たところで声が掛かった。
「あ~、桐生君。ちょっと待ってもらえるー?」
「ん?……どうかしたんすか先生」
俺を呼び止めたのはクラス担任の女性教師だった。
竜山美穂。年齢は恐らく二十代後半から三十代前半(馬鹿な男子共の勝手な推測だが)。身長は俺より少し低くい程度で、教師暦は本人曰く六年目。
容姿も悪くなく、サバサバとした性格をしている為か女子受けも良い為、今時珍しく男女共に生徒からの人気がある教師だ。
……まぁ、その一方で「婚期を逃しそうであせっている」だの「酒にめっぽう強い酒豪」だのと言った噂が絶えない「惜しい美人」としても知られていたりするけどな。
「いやね、別に大した用じゃないんだけどさ……詳しく話すから、ちょっと職員室来てくんない?」
そんな残念美人こと竜山先生は職員室に繋がる扉の前に立ち、書類を抱えていない方の手でちょいちょいと招き猫のように手招きしている。
何だ?一体何の用だってんだ?俺は若干不安になりながらも大人しく指示に従い職員室の扉の前へと移動すると、先導する先生に促されて、中へと入る。
職員室に入った途端、机に向かって書類を書いたり、パソコンで小テストを製作していた何人かの教師がチラッと。一瞬だが確かになんとも言えない視線で俺を一瞥(一瞥)した。
……何だよ、そんな目で見んじゃねぇって。別にこれから説教されるって訳じゃ……
……違う、よな?やばい、思い当たる節が無い訳じゃないから断言できねぇ。そういやぁ最近授業中の態度が悪いって社会の担任から注意受けたばっかだったような……。
不安に駆られる俺を見て心境を汲み取ったのか、先生は軽い調子で
「ん?ああ。お説教とか進路相談とか、そういう面倒臭いのじゃないから楽にして良いわよ」
そう言った。非常に気が楽になりましたが先生、仮にも教師が説教を「面倒臭い」の括りに入れていのか?それむしろ説教食らう側な生徒の感想じゃね?
俺の無言の突っ込みに気づく事無く、先生は自分の机(かなり散らかっている事をここに記しておく)の引き出しをゴソゴソと漁り、引っ張り出すように『あるもの』を取り出した。
「あ、あったあった」
それは、大きめの書類や資料などを入れる時に使われる、特大サイズの封筒だった。ほら、サラリーマンなんかが仕事で重要な資料とかを持ち運びする時に使うあれさ。
すでに何かが封筒の中に入れられているためか、少し膨らんでいるそれを先生は両手で持って
「桐生君さ――――――――奥神妃寄さんって、知ってるわよね?」
そう、聞いてきた
クラス担任に職員室へ呼ばれてからおよそ一時間後。
「……はぁ」
学校を出ていつもと同じ様に通学に使っている電車に乗り、自宅から一キロほど離れた最寄り駅のホームに降り立った所で、俺は小さくため息をついた。
そのまま階段を上がり、改札口を出ると、そのまま南口の方へと向かう。俺の家は反対側の北口方向にあるというのにも関わらず、だ。
はぁ……欝だなぁ、ったく。
歩きながらチラリ、と片手に持った学生鞄を見る。中に入っているのは教科書や数種類のプリント。宿題で使うための参考書や友達から借りた音楽CD(本来うちの学校では持ち込み禁止物の一つだが、その悪友はパソコン部員で「あくまでも資料として持参した」物なのでギリギリ合法)エトセトラetc……そして
先生から渡された、あの大き目の封筒が入っている。
「奥神妃寄……?」
聞き覚えがある名前だった。
会った事も無ければ話したことも無いが、それでもその名前を持つ女子生徒は間違いなく自分のクラスメイトで、それどころか自分の隣の席に座っているはずの少女だったからだ。
なんでクラスメイトでしかもとなりの席なのに喋った事も会った事も無いかって?そりゃあお前……
「えっと……確か、一年の頃から学校に来てない、って事ぐらいなら」
……まぁ、そんな訳だ。いわゆる「不登校」って奴さ。そうなった原因?……さあなぁ。
一年生の頃は別のクラスだったから、奥神に何が合ったのか、俺は良く知らねぇ。当時はB組に不登校少女がいるという噂を聞いた事があったくらいだったしな。(だから二年に上がって初めて自分の席に付いた時は、何で俺のとなりの席に誰も座ってないのか分からなかった)
しっかし、なんで急に不登校生徒の話題なんか振るんだ……?
俺が訝しげな表情を浮かべていると先生は散らかった机の上から一枚のメモを取り出して俺に見るよう促してきた。訳も分からないまま、それを受け取る。
手の平サイズのそのメモには、走り書きでとある住所が書かれていた。
……ってあれ?これって……
「その住所に見覚えは?」
「……住所には見覚え無いっすけど、でもこれ多分俺の家の近くなんじゃないっすか?」
俺の記憶に間違いが無ければメモに記されていた住所は俺がいつも学校に通うために使っている最寄り駅の近くだった筈だ。俺の家とは反対方向にある場所だが、近所である事には間違い無いだろう。
そう言うと先生は安心したように頷いて。
「そ、じゃあよろしくね」
―――と、今の今まで持っていた封筒をずいっ、と俺に差し出してきた。
……なにが?つか「よろしく」って何??
「ああ、中身は今月の定期連絡と、必要な書類とプリントと……一応言っとくけど、個人的なのも含まれてるから中身、見ないでよ?」
「いや、そういう親へ渡すプリントとかはもう教室でクラスの連中と一緒のタイミングでもらってるっすけど……」
つーか俺に渡してきた封筒なのに当事者である俺が開けちゃいけないってどういう事?
「はぁ?なに言ってんの。アナタのな訳ないでしょうが」
当然のように告げる先生……え、ちょっと待ってじゃあ何で俺に渡すの?
まるで意味が分からず、俺が困惑した表情を浮かべる中、先生は「だぁかぁら~」と痺れを切らしたような顔で
「それ、奥神さんに渡さなきゃいけないプリントとかが纏めて入ってるから。はい、あとよろしく。近所なんでしょ?」
………は?
「はぁああ!?」
そこまで言われてようやく先生の言わんとしている事を俺は理解できた。できたんだがちょっと待て、待ってくれ。……あと急に大声出したのは謝まるからこっちを睨まないでください先生方!
落ち着け、とりあえず状況を整理しよう。
すぅはぁ、と深呼吸した後、俺は恐る恐る聞いてみる。
「……えと、竜山先生。つまり、あれっすか?ようするに、この封筒を「奥神」って奴の家まで届けて来い―――と?」
「だからさっきからそう言ってるじゃない。よろしくね」
……何の躊躇も無く頷きやがったなこの先公。だがはいそうですかと素直に了解してたまるかっての!
何で俺が不登校生徒の家に郵便配達しなきゃいけねぇんだよ!?しかも女子ン家に!!気まずいなんてモンじゃねぇぞゴラァ!!
俺は何とか先生の要求を突っぱねる為の理由を脳内で模索しだす。あいにく、この学校には「バイトしても良いけどいつどこでどういうバイトをしているかを説明しろ」という校則があるため、今日バイトの日なんすけど……、という嘘は使えない。
「せ、先生が自分で行けばいいじゃねぇっすか!ってか、そういう……その……ふ、不登校な奴への届け物って普通担任の教師がするものでは!?」
俺がまず述べたのは至極全うで理に適った正論だ。病気や怪我で一時的に学校を休んでいる生徒にプリントを届けて欲しいというのならまだ分かるが、さすがに一年以上学校に来てない奴への届け物をクラスメイト(それも異性)に任せるってのは教師としてどうよ?ってか俺の勝手な想像だけど普通届け物を口実に家庭訪問とかするもんなんじゃねーの?
「あのねぇ、それが出来ないから頼んでるんじゃないの。……自慢じゃないけど教師って楽じゃないのよ?アナタ達生徒の事は勿論、教員会議に部活の顧問――まぁ私は担当してる部活無いんだけどさ。ほかにも小テストやお偉いさんに出す報告書の作成やらもう大変なんだから」
「……お世話様です」
椅子に座ったまま半分以上愚痴のような反論をしてくる先生に、俺は適当に労いの言葉をかけておいた。
「本当にね。……んで話を戻すけど、先生ここ三日ほど超忙しくてさ。つーか今夜はほぼ徹夜覚悟なのよ。悪いけど、奥神さんのトコまで行ってあげてる暇、無いのよね」
なるほどそれで俺に、って訳か……事情は分かった。でもそれだけじゃあまだ納得出来ない。だって別に『俺じゃなきゃいけねぇ理由』がねぇもんな。誰だって良いだろ、んなの。
「……俺以外の奴とかに頼めなかったんすか?奥神って女子っすよね?やっぱ同じ女子の方が良くないっすか?」
だから俺は第二の策。やっぱり同性の方が良いよね!をくりだす―――が
「いや、私も最初はそう思ってたんだけどね?」
先生は机の上に乗っていた生徒名簿をパラパラとめくりながら
「ほとんどいないのよ。私のクラスで奥神さん家の近くに家があるって女の子。いや正確にはいるんだけどさぁ……その子、水泳部のエースでね?夏に大きな大会に出る予定があるみたいで、ここんとこずっと部活三昧なのよ……さすがに届け物をさせる為だけに部活休ませるわけにもいかないでしょ?」
顧問の先生になに言われるかわかんないしぃ。と口を尖らせてぼやく先生。ぼやきたいのは俺の方だっての。クソ、良い案だと思ったのに……
……でもまぁ確かにそんな理由があるなら今日も、そして今後も、その女子には配達を頼めないだろうなぁ。
スポーツにはあまり興味が無く、つまらないとしか思えない俺でも、運動系の部活に所属している奴らの「大会に掛ける情熱」ってのは、なんとなく理解できる。
大好きだと思える何かに全力で打ち込む、大会で結果を残す、自分の限界に挑戦する―――高校生である今この瞬間しか出来ないそれらに、そいつらはまさしく「青春」をかけているのだろう。そしてそれは安易な理由で邪魔していいものなんかじゃ決して無い筈なのさ。それくらい俺にだって分かってる……分かってるけど
「な、なら男子は!?俺以外の奴はどうなって」
「いやそれだとあなたが一番近いんだけど」
ガッデム!ちくしょう悪あがきのつもりが普通に墓穴を掘っちまった!!そりゃそうですよね!じゃなきゃワザワザ俺を指名しませんもんね!!
俺は思わず両手で頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
―――と、そんな俺の頭上から先生の声がかかった。
「まぁまぁ、何もタダでやれっつってんじゃないんだし」
「……は?」
しゃがんだまま思わずといった具合に顔を上げる俺に、先生は椅子に座ったままグイッ、と顔を近づけ、内緒話をする時みたいに小声でボソボソと喋った。
「私がここ最近忙しい理由の一つ……なんだか知ってる?」
当然、一生徒である俺がそんな事知っている筈も無い。
いいえ、と告げると先生はニヤリ、といたずらっぽく含み笑いを浮かべた。
「明日抜き打ちでやる英語のテストの作成なんだけど」
…………マジで?